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仏教用語 ウィキペディアから
諸行無常(しょぎょうむじょう、巴: sabbe saṅkhārā aniccā、सब्बे संखारा अनिच्चा)は、仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味[1]。
諸法無我と並べられるが、行は因縁によって起こるこの世の現象を指すのに対し、法は涅槃すらも含むあらゆる事象を指している[1]。
宋代の仏教書『景徳伝灯録』によれば、釈迦牟尼仏がクシナガラで入滅した際、沙羅双樹の木の下で説いた言葉と伝えられる[3][より良い情報源が必要]。
「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。
Aniccā vata saṅkhārā uppādavayadhammino,
Uppajjitvā nirujjhanti tesaṃ vūpasamo sukho諸行無常 是生滅法
生滅滅已 寂滅為楽
仏教の根本思想をなすもので、あらゆるものは刹那(一瞬=きわめて短い時間)の間にも変化をくり返している(有為法)。仏法の三法印の一つで、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の3つからなる[2]。涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」とあり、これを諸行無常偈、無常喝と呼ぶ[6]。釈迦が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり[6]。これより雪山偈とも言われる[6]。
「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。
「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に対して寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。
なお『大乗涅槃経』では、この諸行無常の理念をベースとしつつ、この世にあって、仏こそが常住不変であり、涅槃の世界こそ「常楽我浄」であると説いている。
三法印・四法印は釈迦の悟りの内容であるとされているが、釈迦が「諸行無常」を感じて出家したという記述が、初期の『阿含経』に多く残されている。
しばしば空海に帰せられてきた『いろは歌』は、この偈を詠んだものであると一説では言われているという。
いろはにほへどちりぬるを 諸行無常 わがよたれぞつねならむ 是生滅法 うゐのおくやまけふこえて 生滅滅已 あさきゆめみじゑひもせず 寂滅為楽
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