三法印
仏教用語のひとつ ウィキペディアから
三法印(さんぽういん)は、仏教において三つの根本的な理念(仏法)を示す仏教用語である[1][2]。
- 諸行無常印(梵: anityāṃ sarvasaṃskārāṃ[2])-「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」
- 諸法無我印(梵: sarvadharmā anātmānaḥ[2])-「すべてのものごと(一切法)は、自己ならざるものである」
- 涅槃寂静印(梵: śāntaṃ nirvāṇaṃ[2])-「ニルヴァーナは、安らぎである」
法印(ほういん、梵: dharmoddāna[3][4])とは、仏教と他の教え(バラモン教・ヒンドゥー教や六師外道)との区別を明らかにする用語[5]と一般に言われるが、パーリ仏典には、このような術語はみられない。[6][1]
内容
雑阿含経
雑阿含経においては以下と記載される。
令我知法見法。我當如法知如法觀。時諸比丘語闡陀言。
色無常。受想行識無常。一切行無常。一切法無我。涅槃寂滅。
大智度論
龍樹の著作といわれる大智度論巻十五では、まだ煩悩を十分に絶つことができないで、有漏道(うろどう)にあって無漏道を得ていない人々が「三種法印」を信ずべきである、として「一切有為生法無常等印」・「一切法無我印」・「涅槃実法印」の三法印を示している[8]。また巻三十二では「一切有為法無常印」「一切法無我印」「涅槃寂滅印」とよんでいる[8]。
仏教詩人マートリチェータの説
2世紀ごろの仏教詩人マートリチェータは自作中において"dharmamudrã trilakṣaṇā"という表現で三つの教えを表した。それは以下の通り。[11]
- Sarva-dharmā anātmanaḥ[11] - 一切の法は無我である。
- Kṣaṇikaṃ sarva-saṃskṛtam[11] - 一切の作られたものは刹那(滅)である。
- Śāntaṃ nirvāṇam[11] - 涅槃は寂静である。
マートリチェータはこれらを「eṣa dharmamudrã trilakṣaṇā」(これが『三法印』である)としている。[注 1][11]
三法印と大乗仏教
中村元は、三法印は部派仏教のものであり、それに対して、大乗仏教は諸法の実相を説く「実相印」を標幟とするとしている[12]。大乗仏教では部派仏教の三法印とは別に、諸法実相の「一法印」がよく説かれるとされる[5][13]。中村は実相印を第四の印としている[12]。なお、諸法実相が意味する内容は諸宗派の教学によって異なる[12]。中村は、龍樹(ナーガールジュナ)は三法印のほかに別の法印を立てなかったとしている[14]。袴谷憲昭はエジャートンの『Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary』には“dharmamudrā”の用例が三つしか挙げられておらず、すべて梵文の法華経によるものであると指摘している[6]。また袴谷は、坂本幸男による「小乗教は三法印、大乗は諸法実相印。」という言明について、天台宗の智顗の所説に依っていることを推測している[15]。
脚注
参考文献
関連項目
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