Loading AI tools
ウィキペディアから
常楽我浄(じょうらくがじょう、梵: nitya-sukha-ātma-śubha[1])とは、仏教とりわけ大乗仏教で、仏及び涅槃の境涯を表した語である。大乗仏教においては四徳、または四波羅蜜といわれる[1]。主に『大般涅槃経』に説かれるが、『勝鬘経』など多くの大乗経典にも登場する語である。
仏教において否定されるべき4種の見解をさしていた[1]。
と見なしていた[2]。これを四顛倒(してんどう、さかさまな見方)という[1]。
釈迦は成道した直後にまずこの四顛倒をただし、この世は無常・苦・無我・不浄であると説いた。これが諸行無常・一切皆苦・諸法無我などという仏教用語の基となっている。
大乗仏教においては、『大般涅槃経』や『勝鬘経』では、如来が常住であり、涅槃は最高の楽であることを強調し、四不顛倒(しふてんどう。無常、苦、無我、不浄)をさらに超える存在として、常、楽、我、浄を究極のものと見なした[1]。これを四波羅蜜あるいは四徳と称する[1]。 『涅槃経』では、如来は入滅してもこの世に常住し、涅槃こそ真の楽であり、人間我を超えた所に如来我(仏性)があり、浄らかであると説いた、とされている。
これが常楽我浄である。
日蓮は、『法華経』寿量品にある経文、「常住此説法」を「常」、「我此土安穏」を「楽」、「自我得仏来」を「我」、また薬王品の「如清涼地」を「浄」とする。また日蓮は、
上行は我を表し、無辺行は常を表し、浄行は浄を表し、安立行は楽を表す。有る時には一人に此の四義を具す。二死の表に出づるを上行と名づけ、断常の際を踰(こ)ゆるを無辺行と称し、五住の垢累を超ゆる故に浄行と名づけ、道樹にして円(まど)らかなり故に安立行と曰うなり。
— 『御義口伝』
と、この涅槃の四徳を『法華経』に出てくる地涌の四菩薩に配当している。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.