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第二次世界大戦前の1942年(昭和17年)3月に、東京の読売新聞社は北海道小樽市で発行されていた「小樽新聞」(道内三大紙の一角と言われた新聞)との連携が成立し、正力松太郎が小樽新聞社の取締役会長に就任するなど読売は本格的に北海道に進出したが、同年11月に戦時下における政府・軍部によるマスコミ統制策「一県一紙令」により、小樽新聞は道内他10紙とともに統合され、「北海道新聞」となった。
1959年(昭和34年)5月1日、読売新聞社(現・読売新聞東京本社)は改めて札幌支局を北海道支社に昇格させ、読売新聞の道内での現地印刷を開始した(なお、北海道支社開設前は現在の東京本社が北海道向けに『北海読売』を発行していた)。同じ時期に朝日新聞社、毎日新聞社も北海道支社を開設して現地印刷を始めた。東京で制作した紙面をファクシミリで送信して印刷する形をとった。なお、高校野球や選挙の結果によっては一面であっても北海道支社で独自に差し替えを行うこともある(但し、北海道向けの紙面も東京本社に於いて一括して制作される)。
元々支社は札幌市中央区北4条西4丁目にあり、一時期は札幌ワシントンホテルが同居していたが、老朽化のため、2004年9月に読売北海道ビル着工、2006年7月竣工。ホテルとの同居は維持されており、現在はホテルグレイスリー札幌と同居している。移転期間中は札幌市北区あいの里の読売新聞北海道新館で業務をしていたが、読売北海道ビル完成後はロイズコンフェクトの本社と工場になっている。
株式会社メガ・コーポレーションと共同で「よみうりメガビジョン」を札幌市内2箇所にて稼動させている。
道東地方向けの新聞印刷は十勝毎日新聞社(帯広市)の子会社かちまい印刷に委託[1]。それ以外は道南向けの函館新聞を含め、凸版印刷との合弁会社トッパンメディアプリンティング北海道に委託し、読売新聞大曲工場(北広島市)で印刷している[2]。
札幌-小樽-岩見沢-函館-苫小牧-帯広-釧路-北見-旭川-稚内-東京-名古屋-大阪
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