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日本の実業家 ウィキペディアから
江頭 豊(えがしら ゆたか、1908年(明治41年)1月16日 - 2006年(平成18年)9月24日[1])は、日本の実業家。銀行家。日本興業銀行常務取締役。チッソ株式会社の社長(1964年12月 - 1971年7月)。学位は法学士(東京帝国大学)。
東京府出身[1]。父は海軍中将の江頭安太郎、母は現・海城学園設立者の古賀喜三郎の娘・米子。
海城中学、旧制松本高校を経て、1933年(昭和8年)東京帝国大学法科を卒業後、日本興業銀行へ入行[2]。1946年(昭和21年)資金部長、1949年(昭和24年)人事部長、1951年(昭和26年)融資第三部長、1955年(昭和30年)中小企業金融公庫理事を歴任。
1958年(昭和33年)、日本興業銀行に戻り取締役。1961年(昭和36年)常務取締役(大阪支店長兼任)[3]。
1962年(昭和37年)、日本興業銀行をメインバンクとし、水俣病問題と労働争議による長期ストライキにより[4]経営不振に陥っていた新日本窒素肥料の立て直しのため、中山素平頭取の意向で[5]同社の専務取締役として派遣された。
1964年(昭和39年)12月、新日本窒素取締役社長に就任[6]。1965年(昭和40年)1月、同社は「チッソ」に社名変更。経済同友会幹事。
1970年(昭和45年)11月28日と1971年(昭和46年)5月26日に開かれたチッソ定時株主総会は一株運動との対決で大きな混乱を生じた[7][8]。江頭は総会混乱の責任を取り、1971年7月に辞意を表明[9]。同年7月27日の取締役会で、社長を退任し、会長に就任した[10][11]。1973年(昭和48年)5月、チッソ会長を退任し、相談役に就任[11]。
2004年(平成16年)10月から妻・寿々子と共に静岡県富士市の病院に入院(同年11月に妻が死去)。2006年(平成18年)9月24日、病院で死去。98歳没[12]。
皇后雅子の母方の祖父であり、愛子内親王の曽祖父にあたる。晩年には「愛子さまが天皇になる夢を見たんだよ」と語っていたと報じられた[13]。
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