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日本の皇族 ウィキペディアから
邦彦王妃 俔子(くによしおうひ ちかこ、1879年〈明治12年〉10月19日 - 1956年〈昭和31年〉9月9日)は、日本の旧皇族。久邇宮邦彦王の妃。島津忠義公爵令嬢。旧名は、島津 俔子(しまづ ちかこ)。皇籍離脱前の身位は王妃で、皇室典範における敬称は殿下であった。
旧薩摩藩主の公爵・島津忠義八女。1898年(明治31年)4月12日、木曽川丸で妹・徳川正子と弟・島津忠重と神戸へ、汽車にて同年4月18日、旧新橋駅に着く[1]。1899年(明治32年)10月6日、久邇宮邦彦王と結婚[2]。3男3女をもうけた。また、「恩賜財団愛育会」(現・恩賜財団母子愛育会)の初代総裁を務めるなど、日本の児童や母性に関する研究の発展に尽力した。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、朝融王ほか家族と共に皇籍離脱。皇籍離脱後は、「久邇 俔子(くに ちかこ)」となる。
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