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松岡氏(まつおかし)は、中世期の室町・戦国時代の伊勢国の豪族で、北勢四十八家の1つ。北勢地方(現在の三重県桑名市・員弁郡)の上井城主・金井城主・城井戸城主。織田信長の北伊勢侵攻で城主、松岡彦之進家勝は自害し、武士としての松岡氏は滅亡したが、彦之進の長男彦兵衛やその弟たちが帰農したことで松岡氏は存続した。毛糸紡績や高級品質の竹成米を開発した農業偉人家系で鉄道の内部八王子線の創設者家系である。北勢四十八家の松岡氏は別名では金井氏と呼ばれていて、[1]この項では三重県内全体の三重松岡家と金井城の歴史についても記述する。
松岡一族は桑名藩の藩士となった。戊辰戦争で活躍した松岡孫三郎は、桑名藩の会計方伴外御水近奉行報係で石高は12石で3人扶持であった。松平定敬の側に仕えていた松岡孫三郎は、主命により外国船に乗って密かに横浜へ行き、そこからさらに桑名藩領から蝦夷地へと向かうなどの活躍をした。
竹成村の竹成五百羅漢は江戸時代の地域の苗字松岡家の守護仏像である。松岡家の守護仏像として信仰される竹成地域の仏教彫刻である。嘉永年間に竹成村出身の神端和尚が慶應二年までの数年の年月をかけて竹成五百羅漢の多数の仏像を建設した地域である。朝明川右岸の台地上に集落と耕作地がある水不足が頻繁に発生する地域が竹成地域である。[10] 松岡直右衛門の母の名前は寿恵で長男で後継者の初代松岡直吉は明治24年に24歳の若さで死去したとされている。次男は栄三郎で長女は葉興で次女は興野で大正3年に死去した。孫の2代目松岡直吉の代には松岡家は没落していた。[11]住所の町名別では三重県で一番松岡姓が多い地域が三重郡菰野町の竹成地域である。
熊本県菊池村の菊池一族松岡家の浄土真宗の門徒たちが戦国時代の混乱期から江戸時代に四日市に移住したとされる。江戸時代に浄蓮寺の菊池住職が田中一族及び3つの家系の一族の浄土真宗の信者と共に四日市周辺地域に移住したとされる。安土桃山時代に浄土真宗本願寺派松岡菊池氏3家であったが、幕末の福崎松岡家が13家になり、昭和戦後期に72家に急増した。1990年代の平成初期に浄土真宗門徒の菊池松岡家が84家になる。日永家系や竹成家系や桑名家系以外の浄土真宗の家系は熊本県菊池村の菊池住職由来の菊池松岡家とされる。[12]
三重県では松岡の名称が付く企業が多くて建設業界(松岡建設株式会社と関連企業の名阪商事)や建設機械・重機レンタル業(マツオカ建機と関連企業のプライド物流)などの中小企業経営者が多い。三重郡川越町の南福崎地区には、昭和25年に創業された松岡毛糸紡績株式会社があった。クラボウと関係が深い企業で2005年頃までハローワークに女子工員の求人を出していた。羊毛合成繊維を原料として毛糸の製造と毛織物の一貫生産をしていた。2000年代に企業活動を休止して紡績工場の跡地は住宅団地として不動産売却された。[13]
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