東滝川駅
北海道滝川市にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
北海道滝川市にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
東滝川駅(ひがしたきかわえき)は、北海道滝川市東滝川町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅である。駅番号はT22。電報略号はヒワ。事務管理コードは▲130401[3]。
下富良野線(現在の滝川駅 - 富良野駅間)の分岐点が1910年(明治43年)に滝川に決まってから、当地への駅設置位置についても議論が起き、最終的に当知の農場主、小林和三郎が土地を提供したことで、当駅の位置が決まり工事が始まることとなった[1]。
旧駅名「幌倉」は現在のポロクラ川を意味するアイヌ語が大地名化したことに由来する旧地名である[11]。由来については諸説あるが、アイヌ語研究者の山田秀三は「はっきりしない[11]」とした上で永田方正『北海道蝦夷語地名解(永田地名解)』の「機弓を置く大川」説を引用し、「クラ」は「ku-rar(弓を・置く)とでも読んだものか」と推察している[11]。この説を採る場合「ポロクラㇻ(poro-ku-rar)」(大きい・弓を・置く〔・川〕)に由来する、ということになる。
このほか国鉄による『駅名の起源』などで「ポロクラ」を「大きな岩崖」とする解釈もあるが[5]、山田は「クラを岩崖と呼んだ地名を見たことが無い」として疑問視している[11]。
現在の駅名は1955年(昭和30年)に滝川市内の町字が改正されるのに伴って改称されたもので[1]、滝川市街の東にあることによる名称である[5]。
相対式ホーム2面2線をもつ地上駅。上り線側に駅舎が設置されており、互いのホームは跨線橋を挟んで点対称に結ばれている[12]。また、下り線の内側には線路跡の隙間が残されている[12]。
駅舎は1950年(昭和25年)に改築されたもので、木造平屋モルタル塗りである[1]。
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1917年(大正 | 6年)19,836 | (54.3) | [1] | ||
1933年(昭和 | 8年)36,336 | (99.6) | |||
1934年(昭和 | 9年)37,698 | (103.3) | |||
1965年(昭和40年) | 73,477 | (201.3) | |||
1970年(昭和45年) | 17,158 | (47.0) | |||
1975年(昭和50年) | 8,125 | (22.2) | |||
1978年(昭和53年) | 5,355 | 15 | |||
1992年(平成 | 4年)(11.0) | [13] | 1日平均乗降客数22人 | ||
2015年(平成27年) | 「10名以下」 | [JR北 1] | |||
2016年(平成28年) | 5.6 | [JR北 2] | |||
2017年(平成29年) | 5.2 | [JR北 3] | |||
2018年(平成30年) | 4.8 | [JR北 4] | |||
2019年(令和元年) | 3.8 | [JR北 5] | |||
2020年(令和 | 2年)3.0 | [JR北 6] | |||
2021年(令和 | 3年)2.6 | [JR北 7] | |||
2022年(令和 | 4年)2.2 | [JR北 8] | |||
2023年(令和 | 5年)1.8 | [JR北 9] |
駅前には当地出身の作曲家仁木他喜雄の顕彰碑(童謡「めんこい仔馬」の歌詞が書かれている)が設置されている。
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