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赤平駅
北海道赤平市にある北海道旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅 ウィキペディアから
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赤平駅(あかびらえき)は、北海道赤平市泉町1丁目[1]にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)根室本線の駅である。駅番号はT23。事務管理コードは▲130402[3]。かつては急行「狩勝」の停車駅だった。
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歴史

空知炭山北側に位置する赤平は芦別と共に豊富な石炭鉱脈があることが知られ、早くから大小の企業による試掘や採掘が行なわれて来た。その中で赤平3山と呼ばれてきたのが、昭和電工の豊里、北炭の赤間、住友の赤平の各炭鉱で、当駅西側に豊里、中央及び空知川対岸に北炭赤間、当駅東側に住友赤平と市街を3分していた。いずれも駅裏山側に大きなズリ山を有し、赤平は3つのズリ山が特徴となっていた程である。 昭和30年代後半の最盛期には、これら3つの積込専用線から毎日200両近い石炭車が当駅へ吐き出され、長大貨物列車となって全国へと向かっていった。昭和40年代になり、エネルギー転換政策によって他の産炭地同様に炭鉱が閉山に追い込まれると、当駅の貨物取り扱いは殆ど無くなった。
年表
- 1913年(大正2年)11月10日:国有鉄道の
上赤平駅 ()として開業[2]。 - 1918年(大正7年)4月?:北海道炭礦汽船赤平坑(後の末広炭礦)から駅裏の積込場へ輪車路敷設、及び当駅滝川側からの引込線敷設。
- 1938年(昭和13年)2月:昭和肥料(後の昭和電工)豊里炭鉱積込ポケットまでの専用線敷設。
- 1940年(昭和15年)
- 1942年(昭和17年)
- 7月:北炭赤間炭鉱本坑から空知川の赤間開坑橋を渡り、駅裏選炭工場までの坑外電車軌道(輪車路)が完成し索道廃止。
- 10月21日:駅舎改築。
- 1943年(昭和18年)
- 1967年(昭和42年):昭和電工豊里炭鉱閉山。専用線廃止。
- 1973年(昭和48年)2月27日:空知炭礦(旧北炭)赤間炭鉱閉山。専用線廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物の取扱いを廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[2]。
- 1989年(平成元年)
- 1999年(平成11年)10月17日:駅舎改築[5]。
- 2016年(平成28年)3月25日:みどりの窓口の営業を終了。翌日より簡易委託駅となる[1]。
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駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する地上駅。ホームの移動は跨線橋を使う。駅舎は「赤平市交流センターみらい」との合築となっている[5][6]。駅舎から見て反対側には、貨物側線、照明灯、信号機が残されているが、2022年12月現在は使用されていない[6]。
滝川駅が管理し、赤平市が駅業務を受託する簡易委託駅(土日祝休業)。乗車券は当駅発の道内在来線各駅まで、特急券・指定券は道内在来線に限り発売する。
のりば
- 駅舎内(2008年7月)
- ホーム(2008年7月)
- 跨線橋(2017年8月)
貨物取扱
かつて、駅南東に住友石炭鉱業赤平鉱業所があり、この工場へ至る専用線が駅から分岐していた。専用線上には、石炭を貨車に積み込むためのホッパーが設置されていた。工場の閉鎖に伴い1989年(平成元年)に専用線が廃止されると、当駅の貨物列車発着はなくなり、駅の登録も抹消された。最終期の1988年(昭和63年)3月時点では、石炭は滝川駅と東室蘭駅へ輸送されていた。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
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駅周辺
隣の駅
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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