愛媛汽船
ウィキペディアから
ウィキペディアから
1942年12月、海運統制令に基づく企業統合として、今治周辺の海運業者により、愛媛汽船統制組合が結成された。1946年に愛媛汽船組合と改称、1949年7月、海上運送法の公布に合わせて愛媛汽船株式会社が設立された。終戦直後は木造船のみで運航していたが、1959年に初の鋼船である「うきしろ」(111総トン)を建造、1965年にはフェリー化第一船として「みしま丸」(107総トン)を建造、以後毎年のように新船を導入した[1]。
1983年12月に因島大橋の開通により、尾道 - 因島間が廃止となった後、1988年の伯方・大島大橋開通による航路再編で、芸予観光フェリー(現在の芸予汽船)・大三島ブルーラインに航路と船舶を譲渡して運航を終えたが、2社の株主のほか、所有する「愛媛汽船松山ビル」のテナント業などで存続している。
1983年12月の因島大橋開通による尾道 - 因島間廃止前は今治 - 尾道航路に「第十六愛媛」「第十二愛媛」「第十愛媛」「第十八愛媛」「第十七愛媛」「第十五愛媛」が、今治 - 大三島 - 木江航路には「第二愛媛 (2代)」「第三愛媛 (2代)」、「第五愛媛」が、今治 - 熊口 - 瀬戸航路には、今治 - 尾道航路の6隻のうち1隻がローテーションで配船されていた。このほか、「第八愛媛」が予備船として在籍した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.