興居島汽船
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概要
1951年に設立され、高浜港と泊港(興居島)を結ぶ旅客船航路を開設、1968年にはフェリー化[1]され、約60年に渡り運航を続けたが、原油高騰や過疎化による利用者の減少で、2011年5月6日をもって航路を廃止した[2]。航路はごごしまが引継いだ[3]。
航路
就航船
廃止時点における就航船

過去の就航船
- 興居島丸[6] (旅客船)
- 1935年11月進水、木造。
- 11.87総トン、焼玉機関、機関出力20ps、最大速力6.0ノット、旅客定員47名。
- 観興丸[7] (旅客船)
- 角田造船所建造、1951年12月竣工、木造。
- 46.80総トン、登録長15.24m、型幅3.93m、型深さ1.41m、焼玉機関、機関出力60ps、最大速力8ノット、旅客定員110名。
- 第二観興丸[7] (旅客船)
- 角田造船所建造、1956年12月竣工、木造。
- 66.58総トン、登録長20.34m、型幅4.72m、型深さ1.72m、焼玉機関、機関出力150ps、最大速力10.4ノット、旅客定員166名。
- ももたろう[8] (フェリー)
- おおさき丸[9] (フェリー)
- 吉浦造船建造、1966年3月竣工、もと愛媛汽船。
- 162.71総トン、全長29.00m、型幅7.20m、型深さ2.70m、ディーゼル1基、機関出力400ps、航海速力11ノット、旅客定員150名、2t車8台。
- 第一愛媛[4] (フェリー)
- 松浦鉄工造船建造、1968年5月竣工、1977年12月就航(買船)、もと愛媛汽船の尾道~今治航路船。
- 189.1総トン、全長32.30m、型幅7.40m、機関出力600ps、航海速力11.5ノット、旅客定員200名、大型トラック2台、小型トラック4台。
脚注
関連項目
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