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國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日[1] - 2002年10月21日[1])は、日本の脚本家。中華民国吉林省長春県(現:中華人民共和国吉林省長春市)生れ[1]。出版している本や、脚本家としての映画などでは「国弘」と表記されているが、本名は「國弘」の表記である。
中学途中まで満洲で育ち、戦後父の郷里の山口県に引き揚げる[1]。少年時代から映画好きだったことから、脚本家を志すようになる[1]。山口県立柳井高等学校中退後、公務員となるが後に上京、雑誌社・東芝労組書記局などに勤務しながら投稿を続ける[1]。
1957年に日本シナリオ作家協会主催のコンクールで1位となり、同年同協会主宰のシナリオ研修所に入所[1]。修了後橋本忍門下となり、1959年に橋本との共作『空港の魔女』(東映・佐伯清監督)でデビュー[1]。1964年加藤泰監督『幕末残酷物語』で第15回ブルーリボン賞脚本賞を受賞し、脚本家としての地位を確立する[1]。その後東宝・日活・東映との契約を経て、フリーランスとなる[1]。以後は映画・テレビドラマを中心に活動。映画では稲垣浩監督『風林火山』、村山三男監督『樺太1945年夏 氷雪の門 』などの作品があり、テレビドラマでは『子連れ狼』、『必殺シリーズ』など、主に時代劇の分野で知られる。
また、1956年からシナリオ同人誌「おりじなる」を15年に渡って主宰[1]。1997年には自らが中心となり、「葫蘆島を記録する会」を結成[1][2]。終戦後、満州からの日本人引き揚げの拠点となった同島の記録映画『葫蘆島大遣返』の制作・脚本・演出を手がけ、翌1998年に完成させた[1][2]。
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