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中華民国の省 ウィキペディアから
1912年(民国元年)、辛亥革命により南京臨時政府が成立したが、吉林地区はなおも清朝の支配地域であり、東三省総督の下の吉林巡撫により統治されていた。同年3月、東三省総督が廃止、吉林巡撫は吉林都督と改称され軍政長官となり、民政長官としてはかつて吉林巡撫の下の民政使(1913年に民政長、1914年に巡按使、1916年に省長と改称)が当てられた。1928年12月31日、張学良が易幟を実行したことで、南京国民政府は吉林省政府の設置を実施、ここに吉林省が正式に誕生した。
1931年(民国20年)の満洲事変以降は関東軍の影響下に入り、1932年(大同元年)以降は満洲国の領土に編入され、中華民国による支配は一旦中断したが、1945年(民国34年)8月15日の日本の敗戦により満洲国は自然消滅、国民政府は旧吉林省地区に吉林省・松江省・合江省の3省を設置、9月には吉林省政府が再興された。
1947年(民国36年)に行政院は東北9省の行政区画を発表、吉林省は18県2市、1旗を管轄するとされたが、翌1948年に中国共産党の支配下に入り中華民国の行政権は消滅した。
清代の吉林省には東南路道、東北路道、西南路道、西北路道の4道が設置されていたが、1912年(民国元年)に廃止されている。1913年(民国2年)、北京政府の『劃一令』により省域には東南路道、東北路道、西南路道、西北路道が設置され、観察使が任命された。1914年(民国3年)5月、各道は延吉道、依蘭道、吉長道、浜江道と改称され、観察使も道尹と改められ、翌6月に行政区域が確定された[1]。1929年(民国18年)、南京国民政府により道制は廃止されている。
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