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東京都江東区の町名 ウィキペディアから
亀戸(かめいど)は、東京都江東区の町名。現行行政地名は亀戸一丁目から亀戸九丁目。住居表示実施済区域。また、亀戸駅および亀戸水神駅を中心とする副都心[注 1]。
江東区の北部エリアにあり、亀戸駅の北に、蔵前橋通り、南に、国道14号(京葉道路)が通っている。繁華街、オフィス街、商店街、住宅街と様々な雰囲気を持つ。
商業的には、旗艦型複合商業施設の「カメイドクロック」、駅ビルの「アトレ亀戸」を擁する一方、五ノ橋豊国通り商店会・亀戸十三間通り商店街・亀戸中央通り商店街・亀戸天神通り商店街・亀戸香取勝運商店街など多くの歴史ある商店街がそれぞれに多様な活況を呈している。
錦糸町と合わせて『錦糸町・亀戸副都心』の指定を東京都から受けているが横十間川を挟んで錦糸町は墨田区、亀戸は江東区に属している。地方自治の行政区分は2つの行政区内に連なる。鉄道はJR総武線・東武鉄道亀戸線が利用できる。
東西南北を川に囲まれた地形である。東に江戸川区平井・西に墨田区太平・南に江東区大島・北に墨田区文花。
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、亀戸4-33-8の地点で47万円/m2、亀戸9-16-5の地点で53万9000円/m2となっている[5]。
亀戸と書いて「かめいど」と読むのは難読地名で、元々は亀井戸と書いたことに由来する。元々の地名は「亀島」(または亀ヶ島、亀津島)で、その名の通り亀の形に似た島であったことによる。
古代の利根川の東京湾河口に土砂が堆積して島が作られた。その地点は利根川の河口付近の分流である当時の中川(現在の旧中川)と隅田川(現在の横十間川)の接近した東西両河口の間に当たる。現在の北十間川(これも当時の隅田川の分流の一つ)が陸側と島とを隔てていて、その流れの南岸の堆積が島となった(現在の亀戸香取神社付近)。
後に島の周辺に土砂が堆積して周りの島々と陸続きになり、亀島は亀村と呼ばれるようになった。これが、現在の亀戸三丁目附近にあった臥龍梅庭の井戸「亀ヶ井」と混同されて「亀井戸」と呼ばれるようになり、さらに「井」が取れて亀戸となった(亀津島の津(「つ」は古語で「の」の意)が「と」に変化したものとする説もある)。
亀戸村のうち、亀戸天神・天神橋周辺、北十間川南岸(境橋周辺)、および十間川東岸(日鐵NDタワー周辺)の各地の百姓商売屋は1664年(寛文4年)に取り立てられ、1697年(元禄10年)に町地となり、亀戸町・亀戸境町・亀戸清水町が成立した。この三町は正徳3年閏5月11日(1713年7月3日)に本所の町地が町奉行に移管された際に、町奉行と代官の両支配地となった。1872年(明治5年)に亀戸町以外は亀戸村に再び合併した。
1889年(明治22年)市制町村制施行が施行された際に横十間川以西が東京市、以東が南葛飾郡とされ、南葛飾郡内の各村も合併・再編された(「明治の大合併」)。それまでの亀戸村も、新設の各村((新)亀戸村、大島村、吾嬬村)、そして東京市深川区と本所区へ編入された。
現在の亀戸はこの時に成立した(新)亀戸村の区域である。これには南葛飾郡(旧)亀戸村の大部分、深川出村、南本所出村、北本所出村の各一部(飛地)のほか、柳島村、小梅村、中之郷村、押上村の各一部、本所区亀戸町(上述の亀戸町)、本所松代町四丁目(もと深川松代町四丁目)、本所瓦町(もと南本所瓦町)、本所五ノ橋町(もと小梅五之橋町・中之郷五之橋町)の各全域が含まれた。
1945年(昭和20年)の東京大空襲で亀戸の大部分が焼失したが、旧中川沿いの亀戸九丁目の大部分は焼け残った。これを受け毎年8月15日に旧中川東京大空襲犠牲者慰霊灯籠流しを開催している。
江戸時代、江戸の東はずれに亀戸天神があり、ここから東は民家が切れ、田畑ばかりが広がっていた。亀戸天神から北東400メートル足らずの場所に臥龍梅があった。農家の梅であるが、享保九年に吉宗が隅田川辺への鷹狩の途次立ち寄って、世に知られた。創始の伊勢屋彦右衛門という人は本所に住む商人であったが、風雅を好んで別荘を造って、梅を楽しんでいた。梅は成長して奇木となって、龍が地面に臥すような形で四方に枝を伸ばした。地に着いた枝から根を生じ、そこから新しく枝を出すというように、周りに広がっていった。伊勢屋の子孫はここに住んで農業を営み、臥龍梅を育て続けた。吉宗が来て以来、臥龍梅は御用木となっていたのである。寛政4年(1792年)頃には、元の臥龍梅は枯死したが、枝から次々と根を出すので、二代、三代と臥龍梅がついていた。臥龍梅は、一本から分かれた梅だけであったものを、遊客が増えるにつれて、梅を数百本に増やし、茶屋を作って客をもてなすようになった。臥龍梅が梅屋敷へと発展したものである。
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[12][13]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
亀戸一丁目 | 全域 | 江東区立第一亀戸小学校 | 江東区立第三亀戸中学校 |
亀戸二丁目 | 全域 | ||
亀戸三丁目 | 1~46番 | ||
47〜62番 | 江東区立香取小学校 | ||
亀戸四丁目 | 全域 | 江東区立第二亀戸中学校 | |
亀戸五丁目 | 全域 | 江東区立水神小学校 | |
亀戸六丁目 | 1~31番 58~62番 | 江東区立第二亀戸小学校 | 江東区立第三亀戸中学校 |
32〜57番 63番 | 江東区立亀戸中学校 | ||
亀戸七丁目 | 1~8番 39~68番 | ||
9〜38番 | 江東区立浅間竪川小学校 | ||
亀戸八丁目 | 全域 | 江東区立水神小学校 | 江東区立第二亀戸中学校 |
亀戸九丁目 | 全域 | 江東区立浅間竪川小学校 | 江東区立亀戸中学校 |
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
亀戸一丁目 | 353事業所 | 7,336人 |
亀戸二丁目 | 452事業所 | 6,703人 |
亀戸三丁目 | 306事業所 | 2,124人 |
亀戸四丁目 | 166事業所 | 1,514人 |
亀戸五丁目 | 414事業所 | 5,112人 |
亀戸六丁目 | 426事業所 | 4,623人 |
亀戸七丁目 | 223事業所 | 2,318人 |
亀戸八丁目 | 48事業所 | 338人 |
亀戸九丁目 | 165事業所 | 2,173人 |
計 | 2,553事業所 | 32,241人 |
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
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