アメリカ発祥の宗教団体 ウィキペディアから
セブンスデー・アドベンチスト教会(セブンスデー・アドベンチストきょうかい、英: Seventh-day Adventist Church、SDA)は、19世紀アメリカの再臨待望運動を源流とする、自らを聖書主義のプロテスタントとするキリスト教会の教派。信徒数は2000万人を越え、209の国々で活動。教育、医療、食品、出版、放送、福祉など諸事業活動も行われている。
名称の「セブンスデー」は週の第七日(現在の土曜日)の安息日を、「アドベンチスト」はキリストの再臨を待ち望む者を意味する。
セブンスデー・アドベンチスト教会は自らをプロテスタント教会と位置付けており[1]、宗教学やキリスト教専門家・関係者の間ではキリスト教もしくはプロテスタントの一派とする[2][3] 見解、キリスト教系の新宗教に分類する[4][5] 見解の両論がある。 『キリスト教大事典』652頁(教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版)では、プロテスタントと位置づけず、一方で異端(キリスト教系の新宗教)とも位置づけず、冒頭文で単に「アメリカに始ったキリストの再臨と安息日厳守を主張する教派」としている。
1800年代前半に北米で起こった再臨待望運動を源としている。中心人物であるウィリアム・ミラーが、聖書の預言から1843年にイエス・キリストの再臨の日を特定して予告した。ミラー派に加わった牧師・教会員たちは(異端として)自分たちの教会から追放され、後に「教団に与えられた預言者」とされるエレン・G・ホワイトも同様に、所属していたメソジスト教会から(異端として)教籍を剥奪される結果を招いた。
ミラーはキリストの再臨を1843年3月21日から1844年3月21日の間と特定し、再臨待望集会は100以上の場所で開かれ、熱狂的な雰囲気であった。運動は拡大の一途を辿り、一時参加者の数は6万人に達したと言われている[6]。しかし、再臨は起こらず、ダニエル書の2300日目に"聖所が清められる"という預言に従って、清めの儀式が行われていたヨム・キプルである翌年1844年10月22日が本当の再臨日だとし、彼らは再び熱狂的にその日の到来を待った。ある者は仕事を放棄し、屋根や山の上に登って天を仰いだ。しかし、その日も何の変化もなく、彼らの失望は非常に大きかった。その後、後にセブンスデー・アドベンチスト教会を設立する母体となった少数の人々が、"聖所"は地球でなくて、ヨム・キプルの至聖所の働きに象徴された、大祭司としてのキリストの役割の最終段階が始められたとして、預言の成就を信じた。
具体的には、ミラーの支持者であるエレン・G・ホワイト夫人らを中心とした小さなグループが、ミラーの解釈の何が間違っていたか研究し、ホワイト夫人の「啓示の証言」と新たな聖書解釈を元に「第7日安息日の遵守とキリストの再臨とは深く結びついている」と解釈した[7]。その解釈によって、土曜日を安息日にするという意味で、セブンスデー・アドベンチスト教会が発足した[8][9][10]。
その後米国で宗教団体として正式に組織されたのは1863年であり、現在209の国々で活動している。その後世界中に広がり、過去30年間では、10年毎に倍増する成長を逐げ、信徒数2000万人を越えている。福音宣教活動に加え、発展途上国においてはADRA(アドラ)という支援活動を行っている。
日本における正式な活動は、1896年(明治29年)、ヒルズバーグ大学の学長を辞し、来日して後の学校法人三育学院を立ち上げたウィリアム・C・グレンジャーによって開始された。第二次世界大戦中にキリストの再臨信仰(再臨したとき天皇の現人神思想と相容れない)や良心的兵役拒否が治安維持法に触れて宗教弾圧を受け、1943年全牧師・有力信徒が検挙され、1944年教会は解散させられた[11]。戦後回復し今日に至っている。
信徒数2000万人を越えており[12]、世界を13の支部に分け、209の国々で732の言語を用いて活動する。日本の教団は韓国、中国、台湾などと共に55万人の会員がある「北アジア太平洋支部」に属する。 日本のセブンスデー・アドベンチスト教会は、100を超える教会と、1万5千人余の信徒を有している。
セブンスデー・アドベンチスト教会は信仰の大要として28の項目を宣言している[13]。
セブンスデー・アドベンチストは聖書を唯一の信条として受け入れ、一定の基本的な信仰大要を聖書の教えとして堅持している。 ここに公にされている「信仰の大要」は、教会が理解し、表現した聖書の教えである。 この声明の改訂は、教会が聖霊の導きによって、聖書の真理に対するより豊かな理解と、神の聖なる言葉に対するより適切な表現とに達したとき、世界総会本会議によってなされ得るものである。
元来、セブンスデー・アドベンチスト教会は1984年ごろ存在していた文書において、自身のみが唯一の真の教会であると自称していた[14][15]。唯一の真の教会の条件として以下を挙げており、同教会はそれに当てはまるとしていた。
セブンスデー・アドベンチストはまた、自分たちの預言的見解の正当性を確信している。それによれば、人類は今、終わりの時に生きている。アドベンチストは、聖書の預言に基づいて、この地球がキリストの再臨の直前に前例のない混乱に直面すると信じている。その時には、第七日安息日が論争点となる。そのとき、世界の諸宗教は、中心的な役割を果たす。主要なキリスト教団体と共に、神と安息日の教えに反対する勢力と同盟すると、私たちは考える[16]。 — セブンスデー・アドベンチストのローマ・カトリック観に関する声明 - セブンスデー・アドベンチスト教団公式サイト
2001年1月に開かれた「第34回教団定時総会」において「私たちの使命――愛情深い証人として生き、主のまもない再臨に備えて、三天使のメッセージの永遠の福音をすべての人に宣べ伝えるイエス・キリストの弟子をつくること。」という、この教団独特の使命(「三天使のメッセージ」)を有する「使命宣言」を行うとともに、「福音による全人的回復をめざして(To Make People Whole)」というモットーに基づき、以下の宣教理念を採択した[9][38]。
上記理念のもとに教育、医療、食品、出版、放送、福祉など諸事業活動が行われている。
第36回教団定時総会で採択された教団伝道基本方針では、「アドベンチストの原点に立ち返って」を掲げ、モットーを「永遠の福音を、今すべての同胞 に」とした。また具体的な基本方針として以下を採択した。
宣教活動は「全国各地に散在する信徒を中心に教会を組織する。」とし、事務所(横浜本部事務所、立川事務所、原宿事務所)と伝道局、教区事務所(東日本教区、西日本教区、沖縄教区)、全国の教会が連携して行われている[39]。
教育では日本各地にて保育園、幼稚園、小・中・高等学校、大学、専門学校(神学校)を運営し「三育グループ」と名付けキリスト主義教育を行なっている。三育教育とは、「人の中に創造主のみかたちを回復するという使命に従い、人の身体性、精神性、霊性の調和のある開発を行い、与えられた全生涯の期間に渡って、神と人とに奉仕する人物となることを目標に掲げる教育である」とされる[1][9]。
日本における医療活動は1953年(昭和28年)の沖縄伝道を機に開始された。
東京衛生アドベンチスト病院で都内初、神戸アドベンチスト病院では兵庫県初のホスピス病棟が開設され、終末ケアが施されている。
関連病院では生活習慣病予防教育に力を入れている。禁煙などに力を入れた活動も行っており、「日本禁煙協会」[40] の活動は1987年(昭和62年)に厚生省の「喫煙と健康問題に関する報告書」で紹介された。他にも「心の健康相談」(電話相談)などの活動も行われている[1][9]。
福祉では養護老人ホームやその関連事業などを行っている。
1984年(昭和59年)、東京衛生病院(現・東京衛生アドベンチスト病院)の患者が寄贈した土地を基に、横須賀に50床の特別養護老人ホーム「シャローム」が完成し、「いのちを敬い、いのちを愛し、いのちに仕える」をモットーとするシャローム・グループとして、ケアハウスや身体障害者療養施設、グループホームなどの福祉関連施設を設立、運営している[1][9]。
出版では「福音社」[41] を展開する。同社の創立は1899年(明治32年)。月刊誌『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』は100年以上発行を継続している[1][9]。
国際開発支援、緊急救援活動を行う組織として特定非営利法人(NPO)「ADRA(アドラ)Japan」[42] を運営している。近年では新潟県中越地震、スマトラ地震等で援助活動を行っている[1][9]。
また特徴的な事業として健康食品事業があり、120年以上に渡って穀物・卵乳菜食のポリシーを基に「三育フーズ」を展開している[1][9]。
日本のセブンスデー・アドベンチスト教会は、教会活動とあわせて、東京衛生アドベンチスト病院を通じた病院伝道、三育学院を通した学校伝道など、教育、医療、食品、出版、放送、福祉など諸事業を行っている[1]。
セブンスデー・アドベンチスト教会は自身を『聖書主義に立つキリスト教・プロテスタントの教会』『聖書に示されている神の愛による救いを全人類に伝え、その愛を、人々の必要に応えるさまざまな活動を通して実践しようとしている』と述べている[1]。
そしてセブンスデー・アドベンチスト教会は、「その教えは多くの点において、プロテスタント諸教会と共通しています。」としている[1]。しかし同時に、従来とかわらず自身の教会の「唯一性」として「エレン・G・ホワイトの著作=アドベンチスト教会に与えられた預言の霊の賜物(である)[44]」、「(ホワイトは)終末時代に神から与えられたメッセンジャーである[45]」とも主張している。
プロテスタントとの融和を表明し、相違点を積極的に強調しなくなったが、それでも最もはっきりプロテスタント教会および主流派キリスト教会と相違する点として宣言・表明されている見解が以下である。「自分たちの預言的見解の正当性を確信している。」「その時には、第七日安息日が論争点となる。」「主要なキリスト教団体と共に、神と安息日の教えに反対する勢力と同盟すると、私たちは考える。」とし、主流派キリスト教会と相違する点があることを表明している。
キリスト教界において、「異端(ないしキリスト教系の新宗教)」として位置付けるかどうかの見解に違いがある。
セブンスデー・アドベンチストと世界福音同盟との対話が2007年8月に行われた[92][93]。双方が互いに、共通する信仰内容があることを確認した一方、同意がみられなかった点があることを確認した上で、今後の協力関係を発展させることで合意した共同声明が発表された[94]。
セブンスデー・アドベンチスト教会から派生・分派した組織として以下がある。 以前より教会の独自性や律法の厳守が強調されなくなったことに反発し、ホワイト夫人の著作や教会の初期の聖書解釈や生活習慣に忠実であることを主張する原理主義的なグループが分派することがある。
チャールズ・テイズ・ラッセルはキリスト教系の新宗教であるエホバの証人を設立する前に、セブンスデー・アドベンチスト教会のジョナス・ウェンデル牧師の開催する信仰復興リヴァイヴァル集会で聖書が誤り得無い真実のものであると霊感を得た。その聖書の中で後に彼の教義体系の中核になるものをつかんでいき、セブンスデー・アドベンチスト教会の教義の中の「地獄というのは墓にすぎない」という教義に聖書に根拠があるので兼ねてから自身の宗教的思想的信条(特に長老派の永劫の地獄説への運命の予定)であったものとアドヴェンチストの教義に同意の合意し確認したものであろう、永遠の刑罰の教えに反対し「地獄」(マルコによる福音書9:43-48)の存在を否定した(魂が死に得る消滅説。この教理はキリスト教弁証家のアルノビウスが4世紀にこの説を説いたが、第5ラテラノ総会議(1513年)にて異端とされた)。他にも類似する教理として「イエス・キリストは天使ミカエルである」とすること、「自分たちこそ14万4千人の選民である」とすることなどの黙示録的表象の強調がある。尚ジョナス・ウェンデル牧師はアメリカ合衆国のセヴンスデー・アドヴェンチストの公同の教会名簿に名前が有ると云う。本当に関係のあった教会はN-H-バーバー派の無教会アドヴェンチストの『朝の先触れ(Herald of the Morning)』誌に於いて一時期に連合したに過ぎない。会衆はその無教会派の会衆ではあったが。「ものみの塔」の出版物の雑誌をもジョージ・ストーズの発刊していた「バイブル・イグザミナー」という雑誌があったり、「朝の先触れ」という雑誌もあったりして、19世紀からの宗教雑誌が多く発刊していたその一つに「シオンのものみの塔及びキリストの臨在の告知者」誌をも「ものみの塔--ヱホバの王国を告げ知らせる」の前身として乱立されて発刊されていたものであろう。「ものみの塔」が堅実味があって人間の単なる希望と憶測を退けて聖書に土台し裏付けられた信仰を示し続けて居るので19世紀のその再臨思想流行時代から(西暦1,879年7月初刊発行)今日迄続いて存続しているものであろう。
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