Loading AI tools
かつて存在した日本のゲーム会社 ウィキペディアから
株式会社コーエー(登記上の商号:株式会社光栄、英: KOEI Co., Ltd.)は、かつて存在した日本のパソコンゲーム・開発ツールおよび家庭用ゲーム機のゲームソフト開発会社である。1978年創業[2]。2010年に同業のテクモと合併し、コーエーテクモゲームスとなった。
本社ビル(1991年 - 1997年) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
略称 | コーエー |
本社所在地 |
日本 〒223-0051 神奈川県横浜市港北区箕輪町一丁目18番12号 |
設立 | 1978年(昭和53年)7月25日 |
廃止 |
2010年(平成22年)4月1日 (コーエーテクモゲームスに商号変更) |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | パーソナルコンピューター・家庭用ビデオゲーム機用ソフトウェアの企画・開発・販売、書籍及びCDの企画・制作・販売 |
資本金 | 90億9000万円 |
発行済株式総数 | 6857万1624株 |
売上高 | 単独:20,195百万円(2009年3月期) |
営業利益 | 単独:4,161百万円(2009年3月期) |
純利益 | 単独:1,123百万円(2009年3月期) |
純資産 | 単独:48,823百万円(2009年3月期) |
総資産 | 単独:53,197百万円(2009年3月期) |
従業員数 | 932名 |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | コーエーテクモホールディングス 100% |
関係する人物 | 襟川陽一(創業者) |
外部リンク | http://www.koei.co.jp/ |
特記事項:特記ある場合以外は2009年9月30日時点の情報[1]。 |
光栄・KOEIのブランド名で知られる。元々は染料および工業薬品の問屋であったが、1980年に創業者の襟川陽一がゲーム開発に興味を示し業種転換した。2009年4月にテクモと経営統合を行い、コーエーテクモホールディングスを設立、2010年4月にテクモを吸収合併しコーエーテクモゲームスに商号変更した。合併時に開発部門が(新)コーエー、(新)テクモに分離されたが、2011年4月に再統合された。
1983年4月に発売された『信長の野望』はその後シリーズ化され、同社の代表作となった。以後『三國志』シリーズなどを加え、「歴史シミュレーション」というジャンルを確立した。売り上げ不振でパソコンのゲーム市場から撤退するメーカーが多いなか、数少ない国産非アダルトPCゲームメーカーとして、25年以上にわたりPC向けに歴史シミュレーションゲームを提供し続けた。
1994年9月には世界初となる女性向け恋愛シミュレーションゲーム『アンジェリーク』を発売[3]。そのほか3Dアクション『無双シリーズ』やMMORPGの開発も手がけた。
会社設立の際に、業種にとらわれない社名を易学師に勧められ、「光り栄える会社に」という願いをこめて名づけられた[4][5]。なおアルファベット表記は当初「KOEY」だったが、外国人には「コーイー」としか読めないという指摘を受け「KOEI」に改めた[6]。
光栄マイコンシステム(KOEY)(設立〜1984年) → 光栄(KOEI)(1984〜98年) → コーエー(koei)(1998年9月CI実施)。
CI実施後も、関連団体の科学技術融合振興財団(FOST)は2024年現在も光栄(KOEI)時代のロゴを流用しているほか、エルゴソフト(ERGO)も会社解散まで同様のロゴを使用していた。また、2023年設立の襟川教育財団(FOEE)も光栄(KOEI)時代のロゴを使用している。
ゲーム開始画面などで現れるコーエーのロゴの特徴を示す。
1978年7月25日、襟川陽一が前年倒産に陥った家業を継ぎ栃木県足利市に染料および工業薬品問屋「光栄」を創業。襟川27歳の時であった[8]。その後、当時の学生ベンチャーで流行していたレコードレンタルなど異業種に進出。当時のアルバイト店員に後のスクウェア社長・鈴木尚がいる。
1980年10月26日、襟川は30歳の誕生日に妻・恵子からシャープ製パソコン・MZ-80Cをプレゼントされた。これがきっかけで、襟川はパソコンに没頭。社内に「光栄マイコンシステム」というソフト開発部門を設けて[9]、同年12月よりパソコン販売および業務用特注ソフトの開発を開始。経営は専務である妻と二人三脚で行い[10]、店舗は妻の実家の軒先を借りていた[11]。
1981年10月、第1作『シミュレーションウォーゲーム 川中島の合戦』を発売(メディアはカセットテープ)し、染料だけの年商よりも3倍の年商を上げる[9]。同時発売の『投資ゲーム』のほか、『地底探検』『コンバット』『ノルマンディー上陸作戦』の各作品が発売され、これら5作品はそのパッケージのデザインから「光栄の赤箱シリーズ」と呼ばれ人気を博した[12]。またこの頃はビジネスソフトやアダルトゲーム(後にストロベリーポルノシリーズとして知られる)も手がけていた[13]。
1983年3月30日、『信長の野望』を発売。大ヒット作となったことを機にソフト開発に専念することとし、1984年10月に本社を横浜市港北区日吉本町に移転した[9]。この頃は自社開発以外に他社製ゲームの移植も受託しており、代表的な作品に『忍者くん 魔城の冒険』『フォーメーションZ』などがある[5]。
1985年7月には『蒼き狼と白き牝鹿』が、同年12月には『三國志』が発売され、これら3作品を中心に「歴史シミュレーション」というジャンルを定着させた。
1988年4月より出版事業を開始、自社製ゲームのガイドブックを始め、小説やコミック、歴史や競馬などに関する雑学書籍などを発行している(2010年4月の再編で現在はコーエーテクモゲームスの出版部門となっている)。なお、2007年12月にライトノベル系文庫レーベル・GAMECITY文庫を創刊した。女性向けの作品が多い。
1994年9月、業界初の女性による女性ユーザーのための恋愛シミュレーションゲーム『アンジェリーク』を発売。以後他社でも同様の作品を制作するようになり、「女性向け恋愛シミュレーション」はジャンルとして確立した。
このようにシミュレーションゲームを中心に制作してきたが、1997年2月に対戦型格闘ゲーム『三國無双』を発売し新たなユーザー層を取り込んだ。逆に、2000年以降は日本の戦国時代・中国の三国時代以外を取り上げた歴史シミュレーション作品の発表が皆無となっている(2005年に『大航海時代Online』が発売されているが、同作はMMORPGである)。さらに、従来は1-2年おきに新作がリリースされてきた『信長の野望』『三國志』シリーズも、近年は発売間隔が長くなっている。
2008年9月4日に同業中堅のテクモと経営統合の協議を開始したと公表。同年11月18日に統合契約書を締結し、2009年4月1日に共同持株会社コーエーテクモホールディングスを設立。
2010年4月1日にコーエーを存続会社としてテクモを吸収合併し、コーエーテクモゲームスが発足。開発部門は(新)コーエー、(新)テクモに分離されたが、「更に柔軟かつ機動的な開発体制へと変えていく必要がある」として、2011年4月に再度吸収合併された[14][15]。
出典:[16]
ほぼシミュレーションゲームの専業メーカーだった頃は、いわゆるヘビーユーザーがメインの購入者層と言えた。その後、女性向け恋愛シミュレーションゲーム・ネオロマンスシリーズや、アクションゲーム『真・三國無双』シリーズなどにより新しいユーザー層を獲得した。
さらに近年はガンダムシリーズや『北斗の拳』、『ONE PIECE』などの人気アニメを題材にした「無双シリーズ」を相次いで発売し、ライトユーザー層が大幅に増加している。
コーエーが運営するゲーム情報ウェブサイト。オンラインユーザー登録、コーエーファンクラブ入会、オンラインショッピング、オンラインゲームのアカウント作成などにはGAMECITY市民登録(無料)が必要となる。
元はリコエイションゲームとして発売されたが、後に独立シリーズ化。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.