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Kダブシャイン(ケーダブシャイン、本名:各務 貢太〈かがみ こうた〉[1]、1968年5月8日[1] - )は、日本のヒップホップMC、タレント。
ヒップホップグループキングギドラのメンバー。かつて所属していた事務所はワタナベエンターテインメント[2]。旧表記はK DUB SHINE。東京都渋谷区出身[1]。独身。
1995年にキングギドラのメンバー及びリーダーとしてアルバム『空からの力』でデビュー。1997年にアルバム『現在時刻』でソロデビューし、2006年12月にはradio aktive projectを結成[1][3]。
2015年から2021年まではワタナベエンターテインメントに所属し、地上波ゴールデンタイムのクイズ番組などにも出演する等、活動の場を広げた[4]。なお、ワタナベエンターテインメントにはミュージシャンやタレントではなく文化人として所属していた[5]。
東京都渋谷区富ヶ谷にて母一人子一人の母子家庭に育つ[6](1980年代には同区神山町に転居)。 幼少の頃は病弱で、入退院を繰り返しており、小学生になるまで生きられないかもしれないと言われていたという。小学校時代には、中学受験のために四谷大塚へも通塾していたが、地元の渋谷区立松濤中学校に進んだ。高校は町田市にある私立高校へ入学。すぐに中退して、産経新聞社の主催する交換留学制度を利用して、アメリカ合衆国フロリダ州の高校へ留学。帰国後はテンプル大学ジャパンキャンパスに通ったが、後に中退した[7]。
1980年代半ば頃にアメリカのヒップホップに出会い、後に自身もラップをするようになる。当初は、日本語はラップには向かないと考え英語でラップをしていたが、アメリカ人の友人に「何故日本語でラップしないのか」と問われた事をきっかけに、日本語によるラップを模索しはじめる[8]。
1993年 友人であったZEEBRAに自身の日本語によるラップを聴かせたところ意気投合し、ZEEBRAの幼馴染のDJ OASISを加え、日本語ラップグループ キングギドラを結成する。グループでは自身が活動コンセプトを発案し、リーダーを務める。
1995年 キングギドラのメンバーとしてアルバム『空からの力』でレコードデビュー。
1996年 ヒップホップイベントさんピンCAMPに出演。ソロ曲「機能停止」も披露する。キングギドラとしての活動を停止し、ソロでの活動を開始する。同年発行のS.H.フェルナンドJ.R.著 石山淳 訳『ヒップホップ・ビーツ』に翻訳協力・アルバム解説という形で参加している。
1997年 カッティング・エッジよりアルバム『現在時刻』を発表しソロメジャーデビュー。DJ OASISらと共にアトミックボム・プロダクションズを設立する。
1998年 MISIAの楽曲「陽のあたる場所」のリミックス曲に客演として参加。法務省主催の「社会を明るくする運動〜HIP HOPを見て聴いて若者を語る〜」に若者と大人を繋ぐ存在として参加。ヒップホップをほとんど聞かないような参加層の前でラップを披露。ヒップホップと社会との関係性を語り、若者と社会(大人)、双方の歩み寄りを訴えた。 ちなみに主催した政治家と友人であり、昔は一緒に悪い事をした仲でもある。
1999年 アトミックボム・プロダクションズを法人化し、渋谷を拠点に本格的に事業を開始する。
2000年 2ndアルバム『生きる』をリリース。2001年 ミニアルバム『SAVE THE CHILDREN』をリリース。
2002年 キングギドラを再結成。発表したシングルが次々オリコンチャートインし、地上波のゴールデンタイムの音楽番組である『ミュージックステーション』、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』、CDTVに出演、知名度を上げる。同年に発表したアルバム『最終兵器』はオリコン初登場3位にランクインする。自身やキングギドラのPVを手掛ける薗田賢次が監督を務め、親交のある窪塚洋介が主演した映画『凶気の桜』で初の音楽監督を務める。児童虐待をテーマにしたコンセプトアルバム『CHANGE THE GAME』に参加。
2003年 初のベストアルバム『世界遺産』を発表。カッティングエッジからソニーミュージックレコーズに移籍、11月27日「オレはオレ」をリリースし、ソロ活動を再開。
2004年 自身の生い立ちや半生を綴ったコンセプトアルバム『理由』を発表。収録曲「来たぜ」の中のリリックからDEV LARGEとのビーフが勃発(後述)。出演しているスペースシャワーTVの時事放談番組『第三会議室』が放送を開始。
映画『デビルマン』に楽曲「彼が去れば」を提供。同曲を収録したEP『自己表現』をiTunes Storeで配信[9]。DJ OASISと共にRadio Aktive Project(後にradio aktive projeqtに改名)を始動。
2007年 映画『それでも生きる子供達へ』の応援ソングとして書き下ろした楽曲「ソンはしないから聞いときな」を配信[10]。自身の半生を綴った書籍『渋谷のドン - Kダブシャインと渋谷のリアルな30 年史』を発表。
2008年 映画版及びOVA版『デトロイト・メタル・シティ』の劇中曲に「フロムNYシティ」を提供。アニメ版には声優として出演もしている。妄走族のメンバー剣桃太郎と同席し和解[11]。
2009年 5月27日、Radio Aktive Projeqtとしてファーストアルバム「neworlder」を発売[12]。8月5日、少年犯罪事件の犠牲者となり他界した高校生(ケンタS)が生前に録音していたラップ曲を、高校生がキングギドラのファンだったと知ったDJ OASISと共に「今の世の中」としてiTunes Storeで配信。名義は「K ダブシャイン feat. ケンタS」
2010年 1月27日、新曲3枚と2009年に発表した「今の世の中」を含む、2枚目のベストアルバムとなる「自主規制」を発売。
2011年 3月18日、自身のTwitterにて、キングギドラ名義で東北地方太平洋沖地震の被災者への義援金チャリティー・コンサートを行う計画を立てていることを明かす[13]。4月30日、キングギドラを再結成させ、大阪城野外音楽堂で開催された東北地方太平洋沖地震チャリティーライブ「KEEP YOUR HEADS UP!」でライブを行う。
2012年 9月19日、昨年発生した東日本大震災から、その後の日本の状況についてまでの心情を綴った約8年ぶりとなるシングル「沈まぬ太陽」を発売。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
2004年6月19日、BUDDHA BRANDのDEV LARGEと思われる人物がK DUB SHINEをディスした曲、「ULTIMATE LOVE SONG」がとあるサイトにアップされ、一気にビーフに発展した[19]。
内容は、K DUB SHINEの新作『理由』の収録曲である「来たぜ」の中での、「BUDDHA BRANDとのバトルは俺が完全に食った」といった挑発的な内容の歌詞が発端。また、英語を多用するDEV LARGEとして、K DUB SHINEが日本語ラップと言いながら英語を多用するバイリンガル・ラップを、以前から批判していたことに激怒したことが原因であった。
6月22日にDEV LARGEがInterFMのラジオ番組『Joint One Radio Show / DEN説の火曜日』に出演し、この曲をかけたため本人によるものである事が発覚した。K DUB SHINEはこれに反応し、10日後の6月22日にアンサーソング「1 THREE SOME」を同じくネット上で発表。内容は「急にどうしたのか」という様な問いかけやDEV LARGEがソロアルバムを出していないことへの皮肉などを歌うものであった。これに対しDEV LARGEは更なるアンサーソング「前略ケイダブ様」を発表した。
なお、DEV LARGEは2006年にソロアルバムをリリースした。
2013年、MAKI THE MAGICの死を機に両者は和解した[20]。
なお、後にK DUB SHINEの「1 THREE SOME」はDJ MASAKI『BEST OF K DUB SHINE(Blendz Version)』に収録され、DEV LARGEの「ULTIMATE LOVE SONG」、「前略ケイダブ様」は刃頭のミックステープ『現場デ炸裂』に収録されている(『前略ケイダブ様』は『前略、ケイダブ様お元気ですか?pt.2』として)。また「ULTIMATE LOVE SONG」はI-DeAのアルバム『self-expression』に「Ultimate Love Song(Letter) feat. MONEV MILS & 漢」として別バージョンが収録されている。
2015年にDEV LARGEが逝去した際にはKダブシャインは号泣し、目を赤く染めながらTwitterで追悼コメントを寄せている。[21]
キングギドラのメンバーであるZEEBRAとは、アングラ志向寄りのK DUB SHINEとオープンなZEEBRAというヒップホップに対する価値観の違いから不仲とされていた[22](ヒップホップ雑誌のインタビューでも両者共に価値観は違うと認めている)。DJ OASISは「仲が悪い訳じゃない。お互いの考え方が違うだけ。それは二人とも分かってること」とどちらの肩を持つわけでもなく、話している。1996年のキングギドラの活動停止も、リーダーのK DUB SHINEが抱くキングギドラのコンセプトに、幅広いヒップホップの音楽をやりたかったZEEBRAが賛同しなかったことが理由とされている[23]。会話の弾みからではあるがZEEBRAを「元相棒」と発言したり、「(俺が死んだとして)ZEEBRAは(葬式に)来ない」と話したこともある。
一方、Radio Aktive ProjectがZEEBRAが司会をしていた番組『シュガーヒルストリート』に出演し、2007年1月11日(12日)に放送され、このときに撮られた写真がDJ OASISのブログに掲載されており、K DUB SHINEがDJ OASISとZEEBRAと肩を組んでいる写真や話をしている写真が掲載されている[24]。さらに1月の『DANGEROUS』ではZEEBRA、K DUB SHINE、DJ OASISそしてRHYMESTERの宇多丸四人で写っている写真も公開されている[25]。後日の『第三会議室』の公開収録の際に、この事に話が及んだがK DUB SHINEはこれを「お芝居」と語っており、実際の所は不明である。
2007年3月31日、RHYMESTERのライブ、『King of Stage vol.7 at 日本武道館』で、キングギドラとして一時再結成しRHYMESTERと共に「口から出まかせ」を披露した。K DUB SHINEにこの武道館ライブに出演するように宇多丸が催促する様子が過去に第三会議室で放送された。
2008年11月1日、ZEEBRAが同じく日本武道館で、デビュー20周年を飾る公演『ZEEBRA 20th ANNIVERSARY THE LIVE ANIMAL in 武道館』を行った。多数の縁のあるゲストが出演したがK DUB SHINEは現れず、キングギドラの揃い踏みは実現しなかった。この件に関して『第三会議室』内で、宇多丸が参加を強く促すもK DUB SHINEが頑なに拒み続ける様子が放送された。 その後、早稲田大学で行われた『第三会議室』の公開収録においても、ゲストであり、武道館ライブに出演したYOU THE ROCKから武道館ライブに来なかった事について強く責められた。この件について後にK DUB SHINEは1995年にキングギドラとして一緒にデビューしたのでZeebraがデビュー20周年ではない事を指摘し、当時自分に対しディスを行っていて対立関係だったゲストとコラボレーションしていたことに関しても不満を述べている[26]。
2009年、B BOY PARKの会場で行われた『第三会議室』の公開収録[27] では、ZEEBRAがMummy-Dとともにゲストとして登場し、K DUB SHINEと共演した。ZEEBRA退場後、宇多丸にこの二人はすごく仲がいいとコメントされると「表面上はね」「カメラの前ではホント仲良し」とコメントしている。
一方で2011年の再結成以降、ZeebraとK DUB SHINEが共演した際、仲については問われると明確に否定するなど、不仲を一蹴するコメントもしている。
セルアウトの傾向のあるヒップホップを極端に嫌う。キングギドラ「公開処刑」ではKICK THE CAN CREW、RIP SLYMEを暗にディスした(その後、この2グループとは和解したようである[要出典])。また、『理由』収録の「なんでそんなに」ではこの頃頻出していた歌手やSOUL'd OUTを批判している。「公開処刑」以後は特定のラッパーに向けたディスはしておらず、ソロ楽曲『いつもの』、radio aktive projeqtの「そりゃあないよ」でもポップなラップをする者全般に関して言及している。
かつてアトミックボムに所属していたラッパー童子-Tに対して、DJ MASAKIのミックステープ「DJ MASAKI Presents R.A.P. Special MixShow」においてディスした(DJ MASAKIのブログにおいてトラックリスト欄にDissin by童子-Tと表記されている)。 また、2009年7月28日に「R-Festa2009」に出演した後[28]、悪ガキGプロダクション[29] のメンバーのTHE A-WORD a.k.a. 日の丸240が、ブログにて「Rフェスタで童子-Tがコッタ君(K DUB SHINE)に胸ぐらを掴まれて、泣かされたらしい」といった記事を投稿した[30]。
DEV LARGEにディスされたほか、剣桃太郎から、「きたないおっさん[31]」にて、般若から、「サンクチュアリ[32]」にて、SEEDAから、SEEDA & DJ ISSO『CONCRETE GREEN 3』特典CD-R収録曲にてディスされている。本人はこれらに対して、楽曲「いつもの」のリリックやインタビュー[33] にて「CDを売るための話題作り。2回戦ボーイがチャンピオンとタイトル・マッチなんて出来るわけないだろ。いい加減にしてくれよなー、ウィー。」としている。その後、Kダブシャインと剣桃太郎は、両者による話し合いが行なわれ和解した[34]。
派閥的な対立はほとんどせず、上記の対立関係にあるラッパーと友好的なミュージシャン(RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWの兄貴分であり、DEV LARGEとも親交を持つ宇多丸など)でも交流を持つ事が多い。盟友・DJ OASISの他、『第三会議室』で共演している宇多丸が在籍するRHYMESTER、DABO、DJ MASTERKEYら親交がある。
靖国神社に積極的に参拝、ロシアで行われた世界愛国者政党会議に一水会と共に参加するなど、保守的なラッパーとして知られていた。
対米自立(戦後レジームからの脱却)、日本文化の保護などをテーマとした曲を多数リリースしており、保守派の中でも新右翼系強硬保守派と見られている(実際に一水会代表の木村氏とも親交がある)。
2013年12月26日に安倍首相が靖国神社に参拝した際、中国・韓国との関係が日々悪化している事と、その日が毛沢東の誕生日である事を理由に批判[35] するなど、主に保守派から支持を集めている安倍政権には概ね批判的である、とされていたが第240回一水会フォーラム「ウクライナ政権は米ネオコンの傀儡だ(R5/2/15)」でゲスト講演した際には「(アメリカ・ファーストを掲げ自国第一主義を採った)トランプ(米前大統領)と交流してから変わった」などとある程度功績を認める発言をしている。
また、義務教育で小学校低学年には「自由」という教科を設け、自由と自分勝手、無秩序の違いや、人としての尊厳がなぜ守られるべきなのか? といった基本的なことについて授業してほしいと述べるなど、リベラル色が強まりつつ自由主義的な思想や考え方も多く主張していた[36]。
2021年頃よりTwitter上にて友人DJ OASISと共に、Qアノンに賛同する投稿やリツイートを繰り返し、Qダブシャインなどと揶揄されるようになった(本人もそのことをネタにしている)。また、トランスジェンダーやブラック・ライブズ・マターに対しても否定的である。
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