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日本の航空自衛隊の制空戦闘機 ウィキペディアから
F-15Jは、アメリカ合衆国のマクダネル・ダグラス社(現ボーイング社)が開発したF-15C/Dイーグルを、三菱重工業が中心となり、日本の航空自衛隊向けにノックダウン及びライセンス生産した制空戦闘機である。単座のF-15Cを原型とする「F-15J」と、機体能力は同一のまま複座としたF-15Dを原型とする「F-15DJ」の2機種があるが、この記事ではその双方について述べる。
航空自衛隊の第3次F-X計画により、米マクドネル・ダグラス社のF-15C/Dを導入。本機は航空自衛隊の運用に合わせてライセンス国産化された日本仕様機である[1]。
1977年(昭和52年)12月に制式採用され、三菱重工業を主契約社とし、単座型のF-15J165機と複座型F-15DJ48機の計213機が製造された。これは開発国アメリカに次ぐ保有数となっており、アメリカ国外での使用機総数356機の約6割を占めている[2]。 2023年(令和5年)3月31日時点で200機を運用しており[3]、90 %以上の高可働率を維持している。当初の調達価格は約70億円とされたが[4]、1990年度の調達価格は約86億円[5] であり、最終的には101億5600万円まで上昇した[4]。
航空自衛隊とアメリカ空軍のF-15に外見的な大きな違いはなく、国籍標識(日の丸)や迷彩塗装の色調[6]、電子戦関連アンテナ類の有無や形状の違い、操縦席後方右側面の空調用丸型排気口の有無(近代化改修機)などが主な識別点として挙げられる[注 1][7]。
基本性能の優秀さと高い拡張性を生かした独自の近代化改修によって段階的に能力向上が図られ、導入から40年近くを経た2024年(令和6年)現在も日本の主力戦闘機として防空任務に就いている。
三菱[1] とボーイングの日本法人では『F-15J』[8] と表記しているが、航空自衛隊では原型機と同じく『F-15』と表記している[9]。
1974年(昭和49年)に提出された来年度予算案にて、初めて主力のF-104J/DJとF-4EJの後継機、第3次F-X調査費が盛り込まれた。 翌年の1975年(昭和50年)より選定作業が開始され[10]、調査では13種挙げていた候補から7機種に絞った。
この7機種に対して、防衛庁(当時)は調査団をそれぞれ派遣した[10]。1976年(昭和51年)には調査結果をもとにF-14、F-15、F-16の3機種を候補として選出し、再度調査団が派遣された[11]。その後、(当時)F-16は「昼間格闘戦闘機」であり、全天候下の要撃戦闘能力や長期間の運用を考慮した結果、航空自衛隊の求める性能を有していないとして[12][13]、実質的にF-14とF-15の一騎討ちとなった。
F-14とF-15は性能やアビオニクス類などは同等と判断されたが、上昇力や加速力、ドッグファイト能力においてF-15に分があるとされた[12]。また、コストパフォーマンスもF-15が優れていると結論付けられ、1976年(昭和51年)の暮れに実質的にF-15に内定した[12]。しかし、同年12月21日に行われた国家安全保障会議にて、次年度予算に組み込むには審議を行う時間が十分でないとして、制式決定は1年先延ばしとなった[12]。
その最中、1976年(昭和51年)10月に入間基地で行われた「第5回国際航空ショー」では、F-14とF-15の熾烈な売り込み合戦が行われた。この時点でF-X選定作業はほぼ完了し、F-15の導入がほぼ確実とされていたが、グラマン社は起死回生を狙い、西太平洋を航行していた原子力空母「エンタープライズ」のアメリカ海軍第2戦闘飛行隊のF-14Aを呼び寄せた。対するマクダネル・ダグラス社も、アメリカ建国200年記念塗装を施したTF-15A(後にF-15Bと改称)を米本土より飛来させた。F-14とF-15の二機はその飛行性能を最大限に主張すべく、展示飛行を行った。無論、他のF-X参加企業も自社ブースにて宣伝活動を行うが、前者の二社には及ばなかった[14]。
1977年(昭和52年)12月28日に行われた国家安全保障会議にて[12]、航空自衛隊の次期主力戦闘機としてF-15J/DJを制式採用した[15]。アメリカ側はこのF-15導入計画を「ピースイーグル計画」と呼称し[16]、同年3月29日に予算が下りることを前提として三菱重工業、マクダネル・ダグラス間でライセンス契約の調印がなされた[17]。そして、1978(昭和53)年度予算で初めて23機の調達が決定した[17][18]。
1978年(昭和53年)4月、直ちに生産内示が出され[17]、日本の技術者はマクダネル・ダグラス社のセントルイス工場へ派遣され[19]、生産計画やノックダウンキット、治工具系列等国産化に必要な調整を行った[17]。7月には国産を承認された部品の生産を支援するため、アメリカの企業から40名の技術者が派遣された[19]。1980年(昭和55年)7月になってマクダネル・ダグラス社のセントルイス工場で、航空自衛隊に最初の機体が引き渡された[20]。10月にエドワーズ空軍基地での29回の飛行検査後一旦アメリカ空軍に返され、3月1日に沖縄県の米空軍嘉手納基地に空輸[20]、この時初めて2機のF-15Jに日の丸の国籍標識が入った。
航空自衛隊パイロットの適合訓練の終了を待った約1か月後の3月27日、アメリカ空軍のパイロット2名によって嘉手納から岐阜基地へ空輸された。そこで到着したばかりの2機のF-15Jをバックに、防衛庁関係者や企業関係者による記念撮影が行われている。なお、この最初の2機(02-8801/802)は三菱重工で再組み立てを受けている。続く8機(12-8803~22-8810)はノックダウン生産、残りは部品を国産化[注 2]したライセンス生産で155機(22-8811~82-8965)を調達した。当初、F-15は4個飛行隊分に当たる100機を10年かけて調達する計画でスタートした[17]。昭和56年度中期業務見積りを承認した1982年(昭和57年)の国防会議において155機へ修正、1985年(昭和60年)に187機、1990年(平成2年)に223機へと増勢されていったものの、中期防衛力整備計画により1992年(平成4年)に210機へと削減され、1995年(平成7年)に213機となった[17][23]。
J型は1998年(平成10年)11月4日の165号機、DJ型は1999年(平成11年)10月25日の48号機(92-8098:098号機)の生産で終了し、合計213機の調達となった。F-15DJはJ型と同時に、最初の12機(F-15DのBlock 26相当、12-8051~52-8062)を完成品輸入、8機(82-8063~92-8070)をノックダウン生産、28機(02-8071~92-8098)をライセンス生産で調達した[注 3]。
製造に関わった国内企業は、以下の通りである。
企業名 | 担当 |
---|---|
三菱重工業(主契約社) | 前・中部胴体、機体最終組立て |
川崎重工業 | 主翼、後胴、水平・垂直尾翼 |
住友精密工業 | 脚部 |
富士重工業 | 前脚・主脚扉、チタン合金ケミカルミーリング(化学研削)加工 |
日本飛行機 | パイロン、LAU-114 AAMランチャー |
新明和工業 | 600ガロン機外増加燃料タンク |
石川島播磨重工業 | F100 ターボファンエンジン |
日特金属工業株式会社 (現在は住友重機械工業に吸収合併) | JM61A1 20 mm機関砲システム |
三菱電機 | AN/APG-63 火器管制レーダー、AN/ARC-164 UHF無線機、OA-8639/ADR UHF/DF装置、OD-60/A インディケーターグループ、AN/ASN-108 姿勢方位基準装置、AN/ASK-6 対気諸元計算装置、CP-1075/AYK セントラルコンピューター |
日本電気 | AN/ARN-118(V) TACAN装置 |
日立製作所 | J/ASW-10 データリンク装置 |
東洋通信機 (現在はNECネットワーク・センサに吸収合併) | AN/APX-101(V) IFF応答装置、AN/APX-76A(V) IFF質問装置 |
島津製作所 | AN/AVQ-20 ヘッド・アップ・ディスプレイ |
東京芝浦電気 | CN-1377/AWG リードコンピューティング・ジャイロ、AN/ASN-109 慣性航法装置 |
東京計器 | J/APR-4 レーダー警報受信機 |
当初の調達価格は約70億円とされたが、最終的に101億5600万円まで上昇した[4]。
F-15J/DJは、F-104J/DJ飛行隊である200番台の飛行隊、及びF-4EJ飛行隊である300番台の飛行隊に配備された。1981年(昭和56年)12月7日に、ルーク空軍基地でアメリカ空軍要員と共に訓練を受けた操縦士が中心となり、新田原基地に臨時F-15飛行隊が編成され、1982年(昭和57年)12月21日に第202飛行隊(元F-104J/DJ装備)へ改編した。F-15J要員の転換訓練部隊でもあった第202飛行隊には、複座型であるF-15DJが集中的に配備された。以後、千歳基地の第203飛行隊(元F-104J/DJ装備)が1984年(昭和59年)3月24日、百里基地の第204飛行隊(元F-104J/DJ装備)が1985年(昭和60年)3月2日、千歳基地の第201飛行隊(元F-104J/DJ装備)が1986年(昭和61年)3月19日、小松基地の第303飛行隊(元F-4EJ装備)が1987年(昭和62年)12月1日、築城基地の第304飛行隊(元F-4EJ装備)が1990年(平成2年)1月20日、百里基地の第305飛行隊(元F-4EJ装備)が1993年(平成5年)8月2日、小松基地の第306飛行隊(元F-4EJ改装備)が1997年(平成9年)3月18日に装備機をF-15J/DJに改編[24] し、8個飛行隊編成となった。その後、T-2での教育を終えた操縦士への機種転換訓練を行ってきた第202飛行隊は、教育飛行隊の新設にともない2000年(平成12年)10月3日に解隊、これに先行してF-15臨時飛行教育航空隊が1999年(平成11年)8月に発足、2000年(平成12年)10月3日に第23飛行隊へ改編され[24]、現在は7個飛行隊+1個教育飛行隊となっている。
新田原基地の飛行教導隊(2014年(平成26年)8月1日に航空戦術教導団飛行教導群に改組)も1990年(平成2年)4月12日に5機のF-15DJを受領し、装備機をT-2から更新した[注 4]。
F-104Jが実戦部隊から退いた1986年(昭和61年)以降、主力戦闘機として運用されている。事故で13機が失われており(喪失事故参照)、2023年(令和5年)3月31日時点での保有数は200機である[3]。
航空自衛隊機の機体番号はアメリカ空軍と同じ7桁表記(xx-xxxx)だが、番号の持つ意味が異なり、最初の2桁は領収年度(西暦の下1桁)と登録順位(F-15J/DJ:2。F-2A/B:3、E-2C・E-767:4、C-130H:5、T-4:6、F-4EJ・RF-4E・KC-767:7、C-1・C-2:8、F-35A:9)、-以下の4桁は上1桁が機種区分(戦闘機:8。輸送機:1、偵察機:6、練習機:5、その他の固定翼機:3、ヘリ:4)、残りの3桁は機体記号(F-15J:801-965、DJ:051-098。F-35A:701-、F-2A:501-564、B:101-134、F-4EJ:301-440、RF-4E:901-914、E-2C:451-463、E-767:501-504、T-4:601-812、KC-767:601-604、C-130H:071-086、C-1:001-031、C-2:201-)を表している。
2016年(平成28年)7月現在、F-15J/DJは以下の7個飛行隊、1個教育飛行隊、飛行教導群、飛行開発実験団、第1術科学校において運用されている。2009年(平成21年)1月19日に第204飛行隊が百里基地から那覇基地に移駐し、第7航空団から第83航空隊に編入されている。2016年(平成28年)1月31日には第304飛行隊が築城基地から那覇基地へ移駐し、第83飛行隊を廃止して新編された第9航空団に編入されている[25]。また、平成28年度概算要求において、飛行教導群が新田原基地から小松基地へ、第305飛行隊が百里基地から新田原基地へ移駐する計画が明らかになり[26]、2016年(平成28年)6月10日に飛行教導群が新田原基地から小松基地へ移駐[27]、同年8月31日に第305飛行隊が百里基地から新田原基地へ移駐し、第7航空団から第5航空団に編入されている[28]。
撃墜事故を含めて航空自衛隊ではF-15J/DJを合計13機喪失している。特に最初の10年で5機を失っている。
発生年月日 | 喪失 | 事故状況 | 被害 |
---|---|---|---|
1983年 10月20日 | 第202飛行隊 DJ型 12-8053 | 夜間訓練中 | 2名殉職 |
1987年 3月13日 | 第204飛行隊 J型 42-8840 | 要撃訓練中の空間識失調による墜落 | 1名殉職 |
1988年 6月29日 | 第303飛行隊 J型 22-8804,22-8808 | ACM訓練中の空中衝突 | 2名殉職[注 5] |
1990年 7月2日 | 第204飛行隊 J型 52-8857 | 夜間要撃訓練後 | 1名殉職 |
1991年 12月31日 | 第201飛行隊 DJ型 12-8079 | 小松基地着陸進入中の燃料漏れによる爆発 | 1名脱出 |
1992年 10月27日 | 第204飛行隊 J型 72-8884 (第305飛行隊貸出) | 帰投中の操縦不能 | 1名殉職[注 6] |
1993年 10月6日 | 第202飛行隊 DJ型 82-8064 (飛行教導隊貸出) | 燃料系統不良 | 2名救出 |
1995年 10月6日 | 第303飛行隊 J型 72-8891 | 小松基地離陸中エンジントラブルで中止後滑走路外で火災 | 1名自力脱出 |
1995年 11月22日 | 第303飛行隊 J型 52-8846 | ACM訓練中、僚機(62-8870)の誤射したAIM-9が命中したことにより墜落。 F-15全生産機中唯一の航空機による被撃墜。 (詳細はF-15僚機撃墜事故を参照) | 1名脱出 |
2008年 9月11日 | 第304飛行隊 J型 72-8883 | 電源系統の不具合 | 1名脱出 |
2011年 7月5日 | 第204飛行隊 J型 72-8879 | 東シナ海の訓練空域にて、ACM訓練の開始直後に操縦士が訓練中止を宣言、海上に墜落[注 7]。 同年11月9日、防衛省は「操縦士の意識喪失が原因となった可能性がある」との調査結果を公表した[31]。 | 1名殉職 |
2022年 1月31日 | 飛行教導群 DJ型 32-8083 | 小松基地を離陸後、小松管制隊のレーダーから航跡消失[32]。管制官はオレンジ色の発光を確認、無線で呼び掛けたが応答はなかった[33]。 同年2月10日、航空幕僚長が「墜落と断定した」旨を発表(海中で当該機と断定できる部品等を発見したため)。 2月11日、現場海域で遺体の一部が発見され搭乗員の1人であると特定され[34]、2月13日にはもう1人の遺体が発見され、両名共殉職という結果になった[35]。(詳細は飛行教導群F-15墜落事故を参照) | 2名殉職[36] |
2007年(平成19年)11月2日にアメリカ合衆国ミズーリ州で、同州空軍に所属するF-15Cが空中分解し墜落した。このためアメリカ空軍は、11月4日に実戦参加機を除くF-15系(大部分の設計が異なるE型も含む)全機を機体構造の点検のために飛行停止とした。連絡を受けて防衛省も、11月5日には配備しているF-15J/DJ全機を飛行停止とした。墜落事故発生による原因究明までの間に同型機が飛行禁止となる事は珍しいことではないが、この時はF-2A/Bを飛行停止としていた[注 8] 事も重なり、同20日のF-15J/DJの飛行停止解除までの間、通常配備の日本の防空機はF-4EJ改だけとなった。
2011年(平成23年)10月7日には飛行中の小松基地所属機体に、左主翼の機外燃料タンクと模擬ミサイル弾が取り付け部分を残して脱落する事故が発生[37]。スクランブル待機の機体以外全機が原因判明まで飛行停止となる[38]。
防衛庁装備本部が2006(平成18)年度予算で三菱重工業と契約、納期は2009年(平成21年)2月。これはX線透過検査及び超音波探傷機能検査を自動的に行うもの。従来に比べ高い精度で機体の状態(金属疲労の有無など)を正確に測定できる。
航空自衛隊が現在進めている近代化改修プログラムにより、F-15J/DJは将来の多様な脅威に対処できる能力を得る。
防衛省から具体的な機体寿命や退役時期などに関する発表はないが、空自の年間飛行時間から換算すると初期生産分の機体が基本寿命である8,000飛行時間を迎えるのは2025年(令和7年)あたりとなる。アメリカ空軍のC/D型には8,000時間を迎えて更に10,000時間まで延長された機体もあり、当初の2倍以上になる18,000時間への延長も検討されている[39] ことから、J/DJ型にも同様の措置がとられる可能性がある。但し近代化改修に対応しないPre-MSIP機については、中期防衛力整備計画(平成26~30年度)において新戦闘機への更新を検討することが明記されている。31中期防では、将来的にPre-MSIP機はF-35A及びF-35Bによって代替することが明記された。また、近代化改修が施された機体については、単座型のJ型68機に対して電子戦能力の向上、スタンドオフミサイルの搭載、搭載ミサイル数の増加等の能力向上を実施する方針である。
F-15J/DJはF-15C/Dを原型とするが[45]、アメリカ議会から批判を受けた国防総省の決定により提供されなかったTEWS(戦術電子戦システム)については、国内で独自開発したJ/TEWSで代替している[46]。J/TEWSは国産のJ/ALQ-8電波妨害装置とJ/APR-4レーダー警戒受信機、ライセンス生産のAN/ALE-45J射出型妨害装置(チャフ・フレアディスペンサー)で構成される[45]。アメリカ空軍向けF-15C/Dでは左の垂直尾翼先端にECM装置が内蔵されているため左右非対称だが、F-15J/DJの垂直尾翼は左右対称になっており、外見上の大きな識別点にもなっている。
原型機のF-15C/Dは、F-15A/Bに機内燃料タンクの増設やFAST PACKと呼ばれるコンフォーマル・フューエル・タンクの搭載能力付加といった改良を加えた機体であり、F-15J/DJも機内燃料タンクなどの配置はこれに準じている。しかしながら、航空自衛隊はコンフォーマル・フューエル・タンクを保有していない[45]。
F-4EJ導入の際にも問題となった地上攻撃能力や空中給油能力について当時の国会で野党の追及を受けたが、「対地攻撃専用の計算装置などを有していない」「搭載装置から見ても、他国侵略的・攻撃的脅威を与えるものではない」、「空中警戒待機は有効ではあるがF-4が主力の時期では不要との判断だったが、航空軍事技術の著しい発展のすう勢から、F-15が主力となろう1980年代後半は、有事の際の空中警戒待機の必要が十分予想されるので撤去は望ましくない」などの答弁[47] の結果、撤去はされていない。
アメリカ国防総省は当時F-15が主力機であったため日本に対する技術情報の開示を規制したが、これは段階的に解除された[17]。日米装備・技術定期協議(S&TF)において旧防衛庁と国防総省の間で交渉が行われ、1981年にはTEWS以外の複合材料やF100ターボファンエンジンといった技術へのアクセスは許可された[19]。なお、独自装備の一つとしてBADGEシステムから時分割データを受信する日立製作所製「J/ASW-10」を搭載している。
1992年(平成4年)10月17日、F-15J(72-8884)が飛行訓練中に操縦不能となり操縦士は緊急脱出したものの、脱出時に頭部を風防に強打して死亡する事故が発生した。対策として事故以降、射出時にキャノピーを破砕するキャノピーブレイカーを座席上部前端に追加装備している。
訓練用に調達した複座型のF-15DJは、コックピット後部に搭載するJ/ALQ-8などの一部機器を省略してあるため、電子戦能力を要する任務の際は胴体下にAN/ALQ-131電子戦ポッドを外部搭載する[45]。
兵装は当初、F-15C/Dと同じく「AIM-9」及び「AIM-7」、固定武装として「JM61A1」を搭載していた。しかし、これらはいずれもライセンス生産での調達で、電子機器類の技術移転が少なかったこともあり、国内メーカーに割に合わないとの不満を生じた。但し、F-15と同時に国産化されたAIM-9Lは、F-4EJ及びF-4EJ改にも装備されている[48]。その後、短距離空対空ミサイルについてはAIM-9の後継として開発された国産の「90式空対空誘導弾(AAM-3)」、およびその後継である「04式空対空誘導弾(AAM-5)」(改修機のみ対応、後述)を運用出来るように改装された。また、中距離空対空ミサイルは、AIM-120シリーズではなく、AIM-7の後継として開発された「99式空対空誘導弾(AAM-4)」に更新されることとなった。
エンジンはプラット・アンド・ホイットニー社製の「F100-PW-100」をIHI(旧石川島播磨重工業)がライセンス生産した「F100-IHI-100」2基を搭載している。生産末期には整備性・耐久性がより向上した「F100-IHI-220E」が標準搭載され、それ以前に生産された機体にも順次換装が進められている。
三菱重工による生産中に何度か機体仕様が変更されており、一般に導入初期の機体をPre-MSIP機(MSIP非適用機)、導入中期からの機体をJ-MSIP機(多段階改良計画適用機)と呼称している[49]。
大きく分けて、F-15J/DJの中後期生産型にあたるJ-MSIP機(J:899-965、DJ:063-098)を対象とした近代化改修計画と、それより前の初期生産型のPre-MSIP機を対象にした近代化改修計画との2種類がある。
予算計上年度 | 部品調達 | 改修 | 納入 |
---|---|---|---|
平成16年度(2004年) | - | 2機 | 0機 |
平成17年度(2005年) | - | 4機 | 0機 |
平成18年度(2006年) | - | 2機 | 0機 |
平成19年度(2007年) | - | 0機 | 6機 |
平成20年度(2008年) | 20機 | 20機 | 2機 |
平成21年度(2009年) | 60機 | 22機 | 0機 |
平成22年度(2010年) | 0機 | 2機 | 12機 |
平成23年度(2011年) | 0機 | 8機 | 10機 |
平成24年度(2012年) | 0機 | 6機 | 10機 |
平成25年度(2013年) | 0機 | 6機 | 9機 |
平成26年度(2014年) | 0機 | 12機 | 11機 |
平成27年度(2015年) | 0機 | 8機 | 8機 |
平成28年度(2016年) | 0機 | 8機 | 8機 |
平成29年度(2017年) | 0機 | 0機 | 4機 |
平成30年度(2018年) | 0機 | 0機 | 8機 |
令和元年度(2019年) | 0機 | 0機 | 4機 |
合計 | 80機 | 100機 | 92機 |
予算計上年度 | 改修 | 納入 |
---|---|---|
平成22年度(2010年) | 2機 | - |
平成23年度(2011年) | 2機 | - |
平成24年度(2012年) | 3機 | - |
平成25年度(2013年) | 0機 | - |
平成26年度(2014年) | 0機 | 4機 |
平成27年度(2015年) | 0機 | 1機 |
平成28年度(2016年) | 0機 | -機 |
合計 | 7機 | 5機 |
出典: 最新! 航空自衛隊のすべてがわかる本 F-X完全解説&最終結論[109], Federation of American Scientists[110]
諸元
性能
武装
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