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トレミーの48星座の1つ ウィキペディアから
Andromeda | |
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属格形 | Andromedae |
略符 | And |
発音 | IPA: [ænˈdrɒmɨdə]、属格 /ænˈdrɒmɨdiː/ |
象徴 | アンドロメダー[1] |
概略位置:赤経 | 22h 57m 51.7s - 02h 39m 32.5s[2] |
概略位置:赤緯 | +53.19° - +21.68°[2] |
20時正中 | 11月下旬[3] |
広さ | 722.278平方度[4] (19位) |
バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 65 |
3.0等より明るい恒星数 | 3 |
最輝星 | β And(2.05等) |
メシエ天体数 | 3 |
確定流星群 |
アンドロメダ座流星群 アンドロメダ座c流星群 アンドロメダ座49流星群[5] |
隣接する星座 |
ペガスス座 カシオペヤ座 とかげ座 ペルセウス座 うお座 さんかく座 |
α星、β星、γ星の3つの2等星がある[7][8][9]。α星のアルフェラッツは「ペガススの大四辺形」を構成する星の1つで、四辺形の中で北東の角を成している[10]。また、ペルセウス座α星からアンドロメダ座のγ星・β星・α星・ペガスス座β星と繋いだ曲線は、「秋の大曲線」と呼ばれることもある[11]。
2023年10月現在、国際天文学連合 (IAU) によって9個の恒星に固有名が認証されている[12]。
このほか、以下の恒星が知られている。
有名なアンドロメダ銀河を始め、メシエ天体に数えられる銀河が3つ位置している[47]。また、3つの天体がパトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ」に選ばれている[48]。
アンドロメダ座の領域内に放射点がある流星群のうち、IAUの流星データセンター (IAU Meteor Data Center) で確定された流星群 (Established meteor showers) とされているものは、アンドロメダ座流星群、アンドロメダ座c流星群 (c Andromedids)、アンドロメダ座49流星群 (49 Andromedids)の3つである[5]。アンドロメダ座流星群は11月13日頃に極大を迎える流星群で[5]、19世紀半ばに分裂・消滅した周期彗星ビエラ彗星 (3D/Biela) が母天体であると考えられている。1872年と1885年に1時間に数千個の流星雨を降らせるなど顕著な活動を見せた[74]が、20世紀以降は活動が衰えており、放射点もアンドロメダ座に隣接するさんかく座とうお座に至るまで拡散している[75]。アンドロメダ座c流星群は2012年8月に追加された流星群で、7月13日頃に極大を迎える[5]。アンドロメダ座49流星群は2015年8月に追加された流星群で、7月17日頃に極大を迎える[5]。
紀元前3世紀前半のマケドニアの詩人アラートスの詩篇『ファイノメナ (古希: Φαινόμενα)』 や、紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネースの天文書『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』では、アンドロメダーは生贄にされたときと同じように両腕を広げて鎖で繋がれた姿で星座となっていると伝えられている[76][77]。
アンドロメダ座に属する星の数は、エラトステネースの『カタステリスモイ』や1世紀初頭の古代ローマの著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌスの『天文詩 (羅: De Astronomica)』では20個、帝政ローマ期の2世紀頃のクラウディオス・プトレマイオスの天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希: ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας)』、いわゆる『アルマゲスト』では23個とされた[77]。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Andromeda、略称は And と正式に定められた[78]。
紀元前500年頃に製作された粘土板文書『ムル・アピン (MUL.APIN)』では、アンドロメダ座東部の星が「牡鹿」、18・31・32 が「虹」、βが「抹殺者」の星座とされていたと考えられている[79]。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、アンドロメダ座の星は、二十八宿の北方玄武七宿の第六宿「室宿」、第七宿「壁宿」、西方白虎七宿の第一宿「奎宿」、第二宿「婁宿」に配されていたとされる[80]。
室宿では、3・7・8・λ・ξ・κ・ι の7星が空を飛ぶ蛇身の怪物を表す星官「螣蛇」に配された[80][81]。壁宿では、α が壁あるいは宮廷の図書館を表す星官「壁」に、θ・ρ・σ の3星が天の厩舎を表す星官「天厩」に配された[80][81]。奎宿では、η・ζ・65・ε・δ・π・ν・μ・β の9星が天の兵器庫を表す星官「奎」に、φ が軍の南門を表す星官「軍南門」に配された[80][81]。婁宿では、γ・51・49・χ・υ・τ・56 の7星が天の牢獄を表す星官「婁」に配された[80][81]。
帝政ローマ最初期の詩人オウィディウスの『変身物語』や伝アポロドーロスの『ビブリオテーケー』では以下の物語が伝えられている[82]。
アンドロメダーは、エチオピア[注 3]の王ケーペウスと王妃カッシオペイアの娘である。カッシオペイアが「自分の美貌は海のニュムペー ネーレーイスに優る」と自惚れたことに腹を立てたネーレーイスたちはポセイドーンに訴え出た。それを聞き入れたポセイドーンは、エチオピアに海の怪物ケートスを遣わし、災害を引き起こした。困ったケーペウスが神託を立てたところ、「災害を止めるにはアンドロメダーをケートスに生贄として捧げなければならない」とされたため、アンドロメダーはヨッパの海辺の岩に鎖で縛られ、ケートスに捧げられた[6]。そこに、ゴルゴーンの一人メドゥーサを退治して帰る途中のペルセウスが通りかかり、事情を聞いた。ペルセウスは、ケートスを倒して彼女を救うことができたら彼女との結婚を認めることをケーペウスに約束させると、ケートスをハルパーで切って倒してアンドロメダーを救った[6]。こうしてアンドロメダーはペルセウスの妻となることとなったが、婚約者であったケーペウスの弟ピーネウスはペルセウスを除こうと謀を巡らせた。これに気付いたペルセウスは、メドゥーサの首をピーネウスとその共謀者たちに見せて彼らを石に変えて難を逃れた[83][84]。アンドロメダーはペルセウスとの間にペルセスを始めとして6人の子を設けたとされる[6][83][85]。アンドロメダーは、後にアテーナー[注 4]により天に上げられた[77]。
エラトステネースの『カタステリスモイ』とヒュギーヌスの『天文譜』では、紀元前5世紀の古代ギリシアの劇作家エウリピデースの戯曲『アンドロメダー』に記された話として、ペルセウスに助けられたアンドロメダーはケーペウスとカッシオペイアの懇願を振り切ってペルセウスと共にアルゴスへ向かったと伝えている[77]。
19世紀イギリスのアッシリア学者アーチボルド・セイスは、バビロニア神話の創世叙事詩『エヌマ・エリシュ』で語られるマルドゥクによるティアマト退治の物語が、ペルセウスとアンドロメダの物語の基礎となった、と主張している[86]。
世界で共通して使用されるラテン語の学名は Andromeda、日本語の学術用語としては「アンドロメダ」とそれぞれ正式に定められている[87]。
明治初期の1874年(明治7年)に文部省より出版された関藤成緒の天文書『星学捷径』では「アンドロメダ」という読みと「縛セラレタル公主」という解説が紹介された[88]。また、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳して刊行された『洛氏天文学』では「アンドロメダ」と紹介された[89]。30年ほど時代を下った明治後期でも「アンドロメダ」と呼ばれていたことが、1908年(明治41年)4月に創刊された日本天文学会の会報『天文月報』の第1巻1号に掲載された「四月の天」と題した記事で確認できる[90]。この訳名は、東京天文台の編集により1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「アンドロメダ」として引き継がれ[91]、1944年(昭和19年)に天文学用語が見直しされた際も「アンドロメダ」が継続して使用されることとされた[92]。
これに対して、天文同好会[注 5]の山本一清らは異なる読みを充てていた。天文同好会の編集により1928年(昭和3年)4月に刊行された『天文年鑑』第1号では、星座名 Andromeda に対して「アンドロメダ」の読みを充てた[93]。しかし、翌1929年(昭和4年)刊行の第2号ではこれを「アンドロメ」と改め[94]、以降の号でもこの表記を継続して用いた[95]。これについて山本は東亜天文学会の会誌『天界』1934年4月号の「天文用語に關する私見と主張 (2)」という記事の中で以下のような見解を開陳していた[96]。
例へば,筆者は今まで時々 Andromeda 星座の俗名として『アンドロメ』を用ゐたことがある.之れを見て嘲ふ人も世の中にはあるやうであるが,筆者は決して徒らに語を弄んでゐるのではない.元々,筆者が此の俗語を用ゐ始めたのは,かつて大庭濱子女史の歌の中に「あんどろ女 女」とあるのから暗示を與へられ,多少のユーモアを含んで之れを用ゐてゐるのであつて,『アンドロメは不可である,是非アンドロメダとしなければならない』などと主張する人々は,アンドロメダといふのが,日本語といふよりも,むしろ,ラテン語の發音を正しく冩すことにのみ腐心してゐられる點を反省して貰へば好いのである.尚ほ,ラテン語の發音をより正しく冩すのならば,アンドロメダよりも寧ろアンドロメーダとする方が好いのだ.
因みに,Andromeda は女性の人名だが,之れを日本語で「アンドロメダ」とするよりも「アンドロメ」に止めた方が女性らしい優しみの感じをを與へる點に於いて,詩人大庭夫人の直覺はすぐれたものだと思ふ.西洋人は,しかし,語尾の -a によつて女性の聯想を呼び起す. — 山本一清、「天文用語に關する私見と主張 (2)」『天界』1934年4月号[96][注 6]
この山本の主張は受け容れられず、戦後も継続して「アンドロメダ」が使われ続けた[97]。1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[98]とした際も Andromeda の日本語名はアンドロメダが維持され[99]、以降も継続して アンドロメダ が用いられている。
δ、β、γの3つの星が作る線を、升に盛った穀類の盛り上がった部分を平らにならす「斗掻き」に見立てて「とかきぼし」(斗掻き星)と呼んだことが伝えられている[102][103][104]。アンドロメダ座は、その領域の多くが二十八宿の1つ「奎宿」の領域に含まれており、江戸時代には奎宿に「トカキボシ」と訓があてられることもあった[103]。また新潟県三条市には、玄米から糠を落として白米にする作業に使う「米搗き」に見立てた「こめつきぼし」(米搗き星)という呼び名が伝えられている[102][103][104]。
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