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1997年の中日ドラゴンズ
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1997年の中日ドラゴンズ(1997ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1997年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、2回目の星野仙一監督体制の2年目のシーズンであり、ナゴヤドームを本拠地とした最初のシーズンである。
概要
大型補強などもなくドーム元年のこの年は優勝候補にあげられたものの、自慢の強竜打線が開幕から沈黙。先発陣では二枚看板の一人でエースの今中慎二が左肩痛で投げられず山本昌、抑えの宣銅烈に頼る有様で投手陣も崩壊。それでもチームは6月まで阪神とAクラスを争うものの、夏場に入ると打線の不振などもあり自力優勝が消滅。8月に大きく負け越すと最後は1992年以来5年ぶりの最下位で終了。投手陣では最多勝の山本がチームを引っ張り、2年目の門倉健も10勝を挙げる活躍を見せたがチーム防御率4.33はリーグ5位に終わった。打撃陣では新外国人のレオ・ゴメスや立浪和義が打線を引っ張ったほか、星野の大学の後輩である鳥越裕介も低打率ながら守備で活躍した。一方で強竜打線を牽引した大豊泰昭や山崎武司、アロンゾ・パウエルなどが本塁打や打率を大きく落とし、狭いナゴヤ球場から広いナゴヤドームに本拠地が移転したことでチーム本塁打が前年の179本(リーグ1位)から115本(リーグ4位)へ激減した[1]ほか、チーム打率最下位、打点・得点リーグ5位、併殺打がリーグ1位を記録するなど不振に陥った。対戦成績では巨人、阪神に14勝13敗、17勝10敗と勝ち越して全球団負け越しこそ逃れるものの、優勝のヤクルトには11勝16敗1分で太刀打ちできず、巨人同様ヤクルト優勝の引き立て役となった。オフに星野監督は大豊と2番手捕手の矢野輝弘を阪神へ放出し、関川浩一・久慈照嘉を獲得するなど戦力を再編。コーチ陣では星野監督の片腕であるヘッドコーチの島野育夫は留任したものの、コーチ陣も大幅に刷新され、投手コーチの小松辰雄や打撃コーチの柏原純一や外野守備走塁コーチの豊田誠佑(解任後編成部へ異動)[2]などは成績不振の責任を取らされる形で解任された。
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チーム成績
レギュラーシーズン
- 年数はNPB所属通算年数、年齡は開幕時
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 83 | 52 | 2 | .615 | 優勝 |
2位 | 横浜ベイスターズ | 72 | 63 | 0 | .533 | 11.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 66 | 69 | 0 | .489 | 17.0 |
4位 | 読売ジャイアンツ | 63 | 72 | 0 | .467 | 20.0 |
5位 | 阪神タイガース | 62 | 73 | 1 | .459 | 21.0 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 76 | 1 | .437 | 24.0 |
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オールスターゲーム1997
→詳細は「1997年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回(136イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
主な打撃成績
- 色付きは規定打席(421打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
網掛けの選手は逆指名による入団
脚注
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