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1985年の日本競馬(1985ねんのにほんけいば)では、1985年(昭和60年)の日本競馬界についてまとめる。馬齢は旧表記で統一する。
1984年の日本競馬 - 1985年の日本競馬 - 1986年の日本競馬
前年(1984年)にクラシック三冠、そして第29回有馬記念を勝ってJRAのGI4勝を挙げたシンボリルドルフがGI勝ちを「7」に伸ばした。これは、2020年にアーモンドアイが天皇賞(秋)を勝利するまで、JRA史上最多タイ記録であった。
初戦の日経賞を楽勝し、天皇賞(春)では3度目の対決となった先輩三冠馬ミスターシービーが早めに先頭に立つ展開となったが、5着に沈むミスターシービーを尻目に完勝しGI5勝目を挙げる。ミスターシービーはこれが最後のレースとなった。
シンボリルドルフは海外遠征も計画されていたが、宝塚記念前日に軽い脚部不安で出走を取り消した影響で取りやめとなった。ぶっつけで挑んだ天皇賞(秋)はギャロップダイナの追い込みに敗れ2着となったものの、その後は隙のない競馬でジャパンカップ、有馬記念を連勝してGI勝利を7とした。有馬記念が国内最後のレースとなり、翌1986年に海外遠征に出発することとなった。
この年の牡馬クラシック戦線は五冠馬シンザン産駒ミホシンザンが無敗のまま皐月賞を5馬身差で圧勝。3年連続の三冠馬の期待もあったが、レース翌日に骨折が判明し、東京優駿(日本ダービー)は早々に断念となった。
ミホシンザン不在のダービーで本命に推されたのはシリウスシンボリ。こちらは仔細あったが(詳細は同馬の項参照)、皐月賞を脚部不安で回避しており、若葉ステークスからダービーに直行する異例のレースプランであったが1番人気に支持され、勝利を収めた。シンボリ牧場は生産馬によるダービー連覇を果たしたが、シリウスシンボリはこの後2年に及ぶ長期の海外遠征に臨み、秋以後は不在となった。
秋にはミホシンザンが復帰。セントライト記念は苦手の重馬場もあり5着に敗れたが、京都新聞杯そして菊花賞と勝ち、二冠馬となった。
結局、シリウスシンボリが日本に帰国しレースに出走したのは6歳となった1987年の夏で、その頃にはミホシンザンは故障してそのまま出走することなく引退したため、この両者はついに対戦することがなく終わった。
前年の第1回マイルチャンピオンシップを制したニホンピロウイナーが安田記念を勝ってマイルGI連覇を達成。
秋には毎日王冠(4着)から天皇賞(秋)に出走し、2000メートルの距離で最強馬シンボリルドルフ(2着)に果敢に挑み、同馬から0.1秒差の3着(ウインザーノットと同着)に粘った。そしてマイルチャンピオンシップ連覇を達成したのを最後に引退した。
この年に生まれた競走馬は1988年のクラシック世代となる。
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