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日本の鳥取県(因幡国)にあった郡 ウィキペディアから
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、鳥取市の一部(気高町各町・鹿野町各町・青谷町各町・河原町各町・用瀬町各町・佐治町各町を除く千代川以西、江津・秋里および松並町の一部)にあたる。
当郡一帯は大化の改新以前より、因幡国の有力な在地首長一族であった因幡国造氏の本拠地が置かれていた。『延喜式』神名帳には郡内の神社7座が記載され、薬師寺、国隆寺などの寺院も存在していた。また、天平勝宝8歳(756年)には東大寺領高庭荘が成立、地元の豪族である国造難磐の協力を得て、開墾が進められた。
延暦3年(784年)に成立したとされる『伊福部臣古志』によれば、646年に伊福部都牟自が「水依評」の督に任ぜられたとあり、658年には「始壊水依評、作高草郡」と記されている。一説に水依評が高草郡となったとも言われるが、『新編鳥取市史』などでは水依評は法美郡・邑美郡に分割され、次いで高草郡が成立したとする説を採っている。また、『国府町誌』によれば、郡の成立年代については、意図的に縁起の良い年を選んでおり、史実かどうか疑わしいという。
郡家は古海郷に所在していたとされ、山陰道の敷見(しくみ)駅が設けられていた。
郡域の変遷の詳細は不明であるが、慶長10年(1605年)成立の『気多郡高草郡郷帳』には、本来八上郡に所属しているはずの5つの村が記載されているほか、内海村、沢見村(そうみむら)が気多郡に所属していると記されている。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 出身 | 備考 |
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1 | 梶川正温 | 明治13年(1880年)3月 | 明治14年(1881年)9月11日 | 鳥取市 | 明治13年11月から高草気多郡長 鳥取県に移管後も引き続き就任 |
参考文献 - 気高郡勢概要(鳥取県気高郡、1919年) |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 出身 | 備考 |
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1 | 梶川正温 | 明治14年(1881年)11月26日 | 明治19年(1886年)4月24日 | 鳥取市 | |
2 | 岡本偉佐男 | 明治19年(1886年)4月24日 | 明治22年(1889年)12月11日 | 熊本県 | |
3 | 伊王野冬雄 | 明治22年(1889年)12月18日 | 明治23年(1890年)11月6日 | 鳥取市 | |
4 | 岡本偉佐男 | 明治23年(1890年)11月6日 | 明治25年(1892年)1月17日 | 熊本県 | |
5 | 宮川武行 | 明治25年(1892年)1月17日 | 明治29年(1896年)2月28日 | 福岡県 | |
6 | 稲村改良 | 明治29年(1896年)2月28日 | 明治29年(1896年)3月31日 | 茨城県 | 引き続き気高郡長に就任 |
参考文献 - 気高郡勢概要(鳥取県気高郡、1919年)、気高町誌427-428頁(気高町教育委員会、1977年) |
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