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日本の伝説上の天皇 ウィキペディアから
綏靖天皇(すいぜいてんのう、旧字体:綏靖󠄁天皇、神武天皇29年 - 綏靖天皇33年5月10日)は、日本の第2代天皇(在位:綏靖天皇元年(BC581年)1月8日 - 綏靖天皇33年(BC549年)5月10日)。『日本書紀』での名は神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)。欠史八代の1人で、実在性については諸説ある。
神日本磐余彦天皇(神武天皇)の第三皇子。母は事代主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(日本書紀)[1]。同母兄に神八井耳命(多臣等諸氏族の祖)、『古事記』では加えて同母長兄に日子八井命(日本書紀なし、茨田連・手嶋連の祖)の名を挙げる。神武天皇42年1月3日に立太子。
父帝が崩御した3年後の11月、異母兄の手研耳命を誅殺。翌年1月に即位して
漢風諡号である「綏靖」は、8世紀後半に淡海三船によって撰進された名称とされる[2]。「綏」も「靖」も「やすらか」の意であり、「綏靖」で「安らかに落ち着く」の意になる。「綏靖」は中国三国時代について書かれた歴史書三国志に由来している。
君其茂昭明德,修乃懿績,敬服王命,綏靖四方。[3]
神武天皇76年3月11日に父帝が崩御した際、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命は皇位に就くため弟の神八井耳命と神渟名川耳尊を害そうとした(タギシミミの反逆)。己卯年[注 1]11月、この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、神武天皇の山陵を築造し終えると、弓部稚彦に弓を、倭鍛部の天津真浦に鏃を、矢部に箭を作らせた。そして片丘(奈良県北葛城郡王寺町・香芝町・上牧町付近か[4])の大室に臥せっていた手研耳を襲い、これを討った。この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることが出来ず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。神八井耳はこの失態を深く恥じたため、神渟名川耳が皇位に就き、神八井耳は天皇を助けて神祇を掌ることとなった[4][1]。
『日本書紀』による。
2 綏靖天皇 | 神八井耳命 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3 安寧天皇 | 〔多氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4 懿徳天皇 | 息石耳命 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5 孝昭天皇 | 天豊津媛命 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6 孝安天皇 | 天足彦国押人命 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7 孝霊天皇 | 〔和珥氏〕 | 押媛 (孝安天皇后) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8 孝元天皇 | 倭迹迹日百襲姫命 | 吉備津彦命 | 稚武彦命 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
彦太忍信命 | 9 開化天皇 | 大彦命 | 〔吉備氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
屋主忍男武雄心命 | 〔阿倍氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武内宿禰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔葛城氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(名称は『日本書紀』を第一とし、括弧内に『古事記』ほかを記載)
『日本書紀』の伝えるところによれば、以下の通り[5]。機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。
宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)、『古事記』では葛城高岡宮[6]。
宮の伝説地は『和名類聚抄』に見える大和国葛上郡高宮郷と見られ、『大和志』以来現在の奈良県御所市森脇周辺と推定される[6][1]。同地には「葛城高丘宮阯」碑が建てられている(北緯34度26分56.58秒 東経135度42分43.93秒)[7]。
陵について『日本書紀』では前述のように「桃花鳥田丘上陵」、『古事記』では「
また皇居では、宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族と共に綏靖天皇の霊が祀られている。その他、阿蘇神社では「金凝神」として十二宮に祀られている。
甲斐国に伝承が多く存在する。山梨県甲府市中央にある甲斐奈神社や甲府市下向山町にある佐久神社、甲府市朝気にある熊野神社は綏靖天皇の御代創建とされる。
甲斐国山梨郡甲斐奈神社社伝によると”第二代綏靖天皇の皇子土本毘古王、甲斐国疏水工事を行い、開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山に、白山大神を祀る事に始まり、以来延喜式神名帳に載る如く甲斐国鎮守の神として尊崇された”とされる[13]。
甲斐国八代郡佐久神社社伝には”彦火火出見尊の後裔向山土本毘古王は媛靖天皇の勅命により国造として甲斐に入国後、一面の湖水を切り開き平土を得た。住民安住の地を確保した功績は偉大なるものであり、甲斐の大開祖として崇められた”とある[14]。
甲斐国山梨郡熊野神社社伝によると”第二代綏靖天皇の御宇、皇子土本毘(とほび)古王(こおう)、甲斐国開拓に際し、邑を設け守護神として奉斎。又、第十二代景行天皇の御宇、日本武尊ご東征の節、酒折宮にご仮泊中度々この地にお出ましあり。そのつど住民が朝餉を奉り、この縁によってこの地を朝気(あさけ)と称す。故に五穀豊饒の御神徳篤い。”とある[15]。
いずれの神社の社伝でも向山土本毘古王は綏靖天皇の皇子とされるが古事記・日本書紀にも記載がなく実在が疑われる。しかし佐久神社社伝に彦火火出見尊の後裔であることが書かれていることから近縁皇族からの養子の可能性がある。
筑前国怡土郡産宮神社社伝によると”産宮神社御祭神である奈留多姫命は御懐妊の際、胎児教育をとても大切にされ、祖神豊玉姫命・玉依姫命に産育の吉兆を祈られた。 そこで「わたくしのお腹にいる子が、月が満ちて生まれてきた時、健康であったならば、萬世産婦の守護神となりましょう」と誓いを立てられた。 そしてお産に臨まれ、心忘れたかのように皇子神渟名川耳命(第二代綏靖天皇)をお生みになられた。”とある[16][17]。しかし『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』には綏靖天皇の母親はヒメタタライスズヒメとされており正史とのずれがある。ただ社伝によると”三韓討伐の折、神功皇后が出産が遅れることを産宮神社の神に祈り、そのしるしがあって、帰国後、無事に皇子(応神天皇)を出産した。そのお礼に百手の的射を奉納した。”とも伝えられている[16]。
山城国一宮名神大社賀茂御祖神社社伝によると綏靖天皇の御代(BC580年頃)に、現在の御蔭祭の始源である御生神事がはじまったとの所伝があるとされる[18]。
群馬県高崎市にある榛名神社は綏靖天皇の時代に饒速日命の御子、可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれている。
綏靖天皇を祭神とする神社は熊本県と大分県に多く、阿蘇神社で祀られている金凝神は綏靖天皇と同一であるとされている。また次いで多いのは四国であり、愛媛県伊予三島市豊岡町にある井川神社や東予市安用甲にある延喜式内社佐々久神社[19]、徳島県三好郡東みよし町にある若宮神社でも祀られている[20]。
綏靖天皇(第2代)から開化天皇(第9代)までの8代の天皇は、『日本書紀』『古事記』に事績の記載が極めて少ないため「欠史八代」と称される。これらの天皇は、治世の長さが不自然であること、7世紀以後に一般的になるはずの父子間の直系相続であること、宮・陵の所在地が前期古墳の分布と一致しないこと等から、極めて創作性が強いとされる。
一方で宮号に関する原典の存在、年数の嵩上げに天皇代数の尊重が見られること、磯城県主や十市県主・春日県主との関わりが系譜に見られること等から、全てを虚構とすることには否定する見解もあり、特に綏靖天皇は他の7代と異なり皇位継承争いの記述があること、在位年数が最も短く、2倍年暦、4倍年暦で考えれば実際の年数は16年または8年と現実性があることが指摘される[21]。詳細は春秋二倍暦説を参照のこと。
和風諡号である「かん-ぬなかわみみ」のうち、「かん」は後世に付加された美称、末尾の「み」は神名の末尾に付く「み」と同義と見て、綏靖天皇の原像は「ぬなかわみみ(渟名川耳/沼河耳)」という名の川の神であって、これが天皇に作り変えられたと推測する説がある[1]。
南北朝時代の編とされる『神道集』によれば、綏靖天皇には食人の趣味があり朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたため、人々は「近く火の雨が降る」との虚言を弄し天皇を岩屋に幽閉して難を逃れたという[22][23]。ペルシアの叙事詩シャー・ナーメに登場する暴君ザッハークとの共通性を指摘する説もある(大林太良 『神話の系譜 -日本神話の源流をさぐる-』 講談社、1991年[要ページ番号])。
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