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日本の法学者 (1928-2023) ウィキペディアから
西原 春夫(にしはら はるお、1928年3月13日 - 2023年1月26日)は、日本の法学者。位階は従三位。専門は刑法。早稲田大学名誉教授。法学博士(早稲田大学)。東京都出身。
この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。 (2017年12月) |
東京都武蔵野市吉祥寺出身。1941年成蹊小学校卒業、1948年旧制成蹊高等学校卒業。1949年に早稲田大学第一法学部(3年次)に入学する。1951年に同学部を卒業。1951年同大学大学院法学研究科修士課程に入学し齊藤金作教授に師事する。同大学副手就任。1953年に同研究科博士課程入学後、同大学助手に就任する。1956年に同研究科博士課程を修了。
1959年早稲田大学専任講師、1962年同大学助教授、1967年同大学教授。学位論文『間接正犯の理論』にて法学博士(早稲田大学)。アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の研究奨学生として、ドイツ・フライブルク大学外国・国際刑法研究所に留学(1962年~1964年)[1]。さらに、早稲田大学在外研究員としてドイツ・フライブルク市のマックス・プランク外国・国際刑法研究所に留学した(1979年)。同大学法学部学生担当教務主任(1968年~1970年)、法学部長(1972年~1976年)、理事(1978年~1980年)、常任理事(1980年~1982年)。学生担当教務主任時代は大学紛争[2]、法学部長時代は川口大三郎事件(リンチ殺害事件)、理事時代は入試不正事件、常任理事時代は所沢・幕張論争の処理に追われた。1982年の総長就任後は、日本私立大学団体連合会会長(1980年~1992年)や文部省大学設置・学校法人審議会会長(1991年~1993年)を兼任し、私学の顔として活動した。当時公にはされなかったが、平成の元号を選択する諮問会議にも呼ばれたことを、のちに報道機関に述懐している[3]。1990年に早稲田大学総長を退任。1995年から1998年まで早稲田大学ヨーロッパセンター(ボン)館長を務める。1998年に早稲田大学を定年退職後は、学校法人国士舘の理事長の職にあたり、2005年から名誉顧問。また、同年7月15日早稲田大学名誉賛助員。2005年、特定非営利活動法人アジア平和貢献センターを設立し、理事長に就任(2012年から一般財団法人)。2007年、学校法人常磐大学特別顧問就任。2011年、財団法人(2013年から公益財団法人)矯正協会[4]会長[5](2017年退任)。
また、実務家も多数育てたが、裁判官では岡村稔、千葉勝郎、検察官では川口晴司、加藤友朗、薄金孝太郎、長島裕、矯正関係では田中常弘、吉野和博、弁護士では渡辺直行(故人)、川﨑達也(故人)、山下更一、乙部幸市郎、齋藤正和、津田薫、坂本博之などが薫陶を受けた。
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