Loading AI tools
日本の女優 (1941-2022) ウィキペディアから
横浜市本牧間門に生まれ、戦時中は平塚市へ疎開、終戦後は間門へ戻り、元町小学校4年生の時に金沢八景へ引っ越す。1957年、六浦中学校を卒業、1959年、女学校である私立明倫高等学校(現・横浜清風高等学校)3年生の春、陽子を含め修学旅行に参加しない残留組は平常通り授業があり、そんなある日の通学途中「ぶしつけに失礼ですが、チヨッとお話ししたいことがあるのです」と声を掛けてきた作曲家の木下忠司に「テレビの音楽を担当しているんだけど、テレビに出たくはありませんか?」と誘われる、やがて木下は陽子の両親に主旨を告げ、間もなく実兄である映画監督の木下恵介を紹介、彼は陽子に「テレビもいいけど、映画に出てみないか?」と話す、この言葉で心を動かされた陽子に父は「木下恵介先生に一切をお任せして、お前に出来ることならやってみてはどうなんだい!!」と促す、さっそく夏休みを利用し『今日もまたかくてありなん』で映画初出演、明けて1960年1月の冬休みに同じく木下恵介作品『春の夢』に出演、卒業後に出演したNETの『新三等重役』がきっかけで東宝ニュータレントに応募[6]、応募総数1万5千人の中で只1人全審査員の満票を以って合格[4]。翌1961年4月に東宝俳優養成所を卒業、5月1日付で東宝へ入社[7]。
こうしてオール東宝ニュータレント1期生となった陽子は[注釈 1]、同年夏に加山雄三主演の『大学の若大将』で銀幕デビュー[出典 2]。東宝は司葉子に続く都会派で上品な美貌の正統派女優として「魅惑の新星」と名づけ大々的に売り出した。目鼻立ちがはっきりした高貴でノーブルな風貌の美人で、清純な令嬢役やBG(現在のOL)役が多く『銀座の若大将』など若大将シリーズ、クレージーキャッツ映画、社長シリーズなど東宝の娯楽映画に数多く出演[1][4]。映画では特に際立った代表作がなかったものの、テレビではマドンナの女教師、生徒の姉役として夏木陽介主演の『青春とはなんだ』、続編である竜雷太主演の『これが青春だ』日本テレビで放映された青春学園シリーズに出演したことで新境地を開拓しお茶の間の人気を得た[1]。この『青春とはなんだ』の映画版である『これが青春だ!』、『でっかい太陽』、『燃えろ!太陽』の一連作にも夏木と共に出演している。
2021年、桜井浩子のYouTubeチャンネル『ROCO TALK』にゲストとして出演し、東宝時代の撮影秘話や裏話などのトークを披露した。久々に公への登場となった[出典 3]。
(すべて東宝映画)
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.