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2006年後期のNHK連続テレビ小説第75作 ウィキペディアから
『芋たこなんきん』(いもたこなんきん)は、2006年度後期放送のNHK「連続テレビ小説」第75作で、2006年10月2日から2007年3月31日まで放送されたテレビドラマ。小説家・田辺聖子の半生をモデルにしたドラマ[2]。全151回[3]。
芋たこなんきん | |
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原案者で自ら本作品のモデルになった田辺聖子 新潮社『旅』第40巻第7号(1966)より | |
ジャンル | テレビドラマ |
原案 | 田辺聖子 |
脚本 | 長川千佳子 |
出演者 |
藤山直美 國村隼 香川京子 田畑智子 岸部一徳 城島茂 火野正平 山口智充 尾上寛之 平田満 いしだあゆみ 淡島千景 |
ナレーター | 住田功一 |
音楽 | 栗山和樹 |
オープニング | Fayray「ひとりよりふたり」 |
時代設定 |
1965年(昭和40年)夏 - 2007年(平成19年)3月 〈回想編:昭和13年 - 20年〉[1] |
製作 | |
制作 | NHK |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 2006年10月2日 - 2007年3月31日 |
放送時間 | 15分 |
回数 | 151 |
番組年表 | |
前作 | 純情きらり |
次作 | どんど晴れ |
脚本は長川千佳子、原案・題字は田辺聖子で、田辺の自伝的ドラマである[4][5]。主な舞台は大阪・天満の商店街にある徳永医院。
タイトルは、古くから女性が好む食材の代名詞「芋、蛸、なんきん(南瓜)」の大阪生まれの慣用句にちなむ[3]。また、土曜日の放送では「料理コーナー」として料理のレシピを紹介する回もあった[6]。
このドラマでは「古き良き昭和の大阪」を体感してもらうため、朝ドラで初めてVFXを用いて、昭和10年代と昭和40年代の街並みを再現した。例えば、花岡写真館の建物はスタジオセットであるが、スタジオの天井高の制約から2階部分までが実写で、3階部分はCGで補っている。前面道路を走る路面電車(大阪市電)や自動車、周囲の街並みなどはCGで作成している。VFXを使ったシーンは200カットに及び、大阪放送局と東京放送センターが役割分担をして制作した[7]。
初回視聴率は20.3%、最高視聴率は20.3%、平均視聴率は16.8%であった(ビデオリサーチ調べ)[8]。
2代目の副音声解説者であった江原正士が今作を以て解説を卒業、次作『どんど晴れ』からは3代目の松田佑貴が起用されている。
全都道府県でデジタル放送が実施された最初の作品である(2006年12月1日放送分から)。
制作のきっかけはプロデューサーの尾中美紀子が、田辺の著書『田辺写真館が見た“昭和”』(文藝春秋社、2005年)を読み、田辺聖子の半生と昭和の大阪を描くドラマを企画したことである。主人公は藤山直美を指名して本人の了解を得たが、当初は民放で2時間程度のドラマ枠を想定していた。尾中は以前から一緒に仕事をしていて、1997年度下半期『甘辛しゃん』にも関わっていた長川千佳子に脚本を依頼し、快諾を得るとNHKに朝ドラ企画として持ち込む[9]。脚本は田辺の多くの著作を資料とし、田辺本人への取材、矢木沢純子のモデルとなった秘書にも取材した。しかし当時の藤山は舞台公演で忙しく、通常の朝ドラヒロイン26週分のスケジュールを押さえられなかった。このため現代パート、小学生時代、女学生時代の三段階にわけることで藤山の出演シーンをカバーした。本作中もっともシリアスな戦争時代編は藤山のクランクイン前にまとめて撮影された[10]。
前作『純情きらり』に引き続き、ヒロインの選定オーディションは行われず、藤山直美が直接キャスティングされている。なお、藤山は当時47歳で「史上最年長ヒロイン」とも呼ばれた[4]。
ヒロインの藤山は、『純情きらり』の宮﨑あおいと共に2作同時に発表され、会見を行った。このため当時のメディアは「史上最年長ヒロイン」ばかりを強調した[11]。
秘書の矢木沢純子は、フジテレビのドラマ『ナニワ金融道・4(1999年4月放送)』でのコメディエンヌぶりが印象的でモデルの女性を彷彿とさせるいしだあゆみになった。町子の父親花岡徳一は田辺聖子の父親に似ている城島茂になった。ドラマオリジナルキャラの昭一は『大奥~華の乱~』に出演していた火野正平がイメージにぴったりと起用された。50歳を過ぎた晴子の結婚相手は山口智充が起用されたが、当時の山口は多忙だったため、出演シーンは1日で撮り終えている[12]。
NHK大阪放送会館のアトリウムで2007年2月20日から3月12日まで、スタジオセットの一部が無料公開され、公開されたセットは、徳永家の居間・応接室・町子の仕事部屋・中庭など。
健次郎が営む医院。健次郎が脳出血で入院し、退院後は閉院となる。
大阪にある商店街で徳永医院も位置する。
町子の回想に登場する少女時代の実家。かつて、大阪市福島区にあった写真館。幸いにも戦時中の食料難に巻き込まれず、比較的裕福に暮らしていた。当時としては珍しく、従業員も経営者家族と共に食卓を囲んでいた。昭和20年6月の空襲で全焼した。
町子女学生編:昭和18年 町子15歳
町子女学生編:昭和19年 - 昭和20年
昭和45年・春
昭和45年10月
週 | 回数 | 放送日 | サブタイトル | 演出 |
---|---|---|---|---|
2006年 | ||||
1 | 1 - 6 | 10月2日 - 10月7日 | ふたり | 野田雄介 |
2 | 7 - 12 | 10月9日 - 10月14日 | お祝い!? | |
3 | 13 - 18 | 10月16日 - 10月21日 | かぜひき | 伊勢田雅也 |
4 | 19 - 24 | 10月23日 - 10月28日 | しゃべる、しゃべる | 野田雄介 |
5 | 25 - 30 | 10月30日 - 11月4日 | すれちがい | 真鍋斎 |
6 | 31 - 36 | 11月6日 - 11月11日 | 思いやる心 | 佐藤譲 |
7 | 37 - 42 | 11月13日 - 11月18日 | おくりもの!? | |
8 | 43 - 48 | 11月20日 - 11月27日 | おおきに | 伊勢田雅也 |
9 | 49 - 54 | 11月27日 - 12月2日 | 最後の一人まで | 真鍋斎 |
10 | 55 - 60 | 12月4日 - 12月9日 | いのり | 佐藤譲 |
11 | 61 - 66 | 12月11日 - 12月16日 | おとうちゃん | 野田雄介 |
12 | 67 - 72 | 12月18日 - 12月23日 | おかあちゃん | 櫻井賢 |
13 | 73 - 76 | 12月25日 - 12月28日 | 年越し しんしんと…… | 野田雄介 |
2007年 | ||||
14 | 77 - 79 | 1月4日 - 1月6日 | 年明け ほんわかと…… | 野田雄介 |
15 | 80 - 85 | 1月8日 - 1月13日 | 奄美想いて | 吉國勲 |
16 | 86 - 91 | 1月15日 - 1月20日 | 禁じられても…… | 櫻井賢 |
17 | 92 - 97 | 1月22日 - 1月27日 | しもたっ! | 真鍋斎 |
18 | 98 - 103 | 1月29日 - 2月3日 | いつか光が…… | 菓子浩 |
19 | 104 - 109 | 2月5日 - 2月10日 | カーテンコール | 伊勢田雅也 |
20 | 110 - 115 | 2月12日 - 2月17日 | ここに花咲く | 櫻井賢 |
21 | 116 - 121 | 2月19日 - 2月24日 | 子離れ、親離れ | 真鍋斎 |
22 | 122 - 127 | 2月26日 - 3月3日 | 春のあらし | 伊勢田雅也 |
23 | 128 - 133 | 3月5日 - 3月10日 | 山があるから…… | |
24 | 134 - 139 | 3月12日 - 3月17日 | 出会い | 櫻井賢 |
25 | 140 - 145 | 3月19日 - 3月24日 | お兄ちゃん | 真鍋斎 |
26 | 146 - 151 | 3月26日 - 3月31日 | ほな、また! |
2022年、BSプレミアムで再放送されると、SNS上で話題となり、関連ワードがトレンド入りするなど異例の盛り上がりを見せた。再放送終了後も「芋たこロス」で録画を見直すなど人気は続いた。さらに有志によるイベント「芋たこなんきん感謝祭」が企画され、10月15日に開催された。イベントにはプロデューサーの尾中美紀子と脚本家の長川千佳子も自腹で出席し、ファンと交流した。語りを担当したNHKアナウンサーの住田功一からの手紙も寄せられた[25]。田辺聖子の姪で出版社勤務の田辺美奈もサプライズで登壇した[6]。
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