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日本の声楽家 ウィキペディアから
秋元 雅一朗(あきもと まさいちろう、1920年(大正9年)3月2日[1] - 1990年(平成2年)2月7日[1])は、日本の声楽家(バリトン、バス)・オペラ歌手・音楽教育者・翻訳家(訳詞家)。二期会の創設メンバーの一人。本名は秋元清一(あきもと せいいち)[1]。旧字体秋元淸一。
作曲家の関口孝明は孫にあたる。
東京府(現: 東京都)出身[1]。1945年(昭和20年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)研究科修了[2]。本科では戸田敏子、畑中良輔らと同級[3]。木下保に師事。
第二次大戦後まもなくの1946年(昭和21年)4月に藤原歌劇團 ビゼー『カルメン』エスカミリオでデビュー。その後オペラへの出演を続け、20年足らずの間に約90本ものプロダクションに出演している。役柄は2枚目、3枚目から悪役まで多岐にわたるが、特に團伊玖磨『夕鶴』では全国をまわって「惣ど」役を演じ、秋元の存在なくしては語れない役となっている。
1951年(昭和26年)1月27日に日比谷公会堂で文部省芸術祭参加作品として、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の訳詞を演奏会形式で2公演、舞台として9公演を行い、これをNHKラジオが収録して放送している。秋元も大役のメフィストで参加している[4]。芸術祭後にソプラノの三宅春惠、アルトの川崎靜子、テノールの柴田睦陸、バリトンの中山悌一の4名が中心となり、「先人のオペラ活動を第1期に自らは第2期の中心として気概を新たに」という趣旨から「二期会」を結成し、1952年(昭和27年)2月15日に結成披露・基金募集の「ヴォーカル・コンサート」が行われた。プログラムには、2月現在の二期会会員として以下の16人の名前が記されている。三宅春恵、大熊文子、朝倉万紀子、柴田喜代子、荒牧規子、川崎靜子、佐々木成子、木下保、柴田睦陸、渡邊高之助、中山悌一、秋元清一、関忠亮、石津憲一、畑中良輔、伊藤亘行[5][6]。同年2月25日から28日にかけて、日比谷公会堂でプッチーニ『ラ・ボエーム』を訳詞で、マンフレート・グルリット指揮の東京交響楽団演奏で初演する。秋元はコリーヌを務めた[7]。
その後も数多くのオペラに出演しているが、團伊玖磨『夕鶴』惣ど、プッチーニ『蝶々夫人』シャープレス、ビゼー『カルメン』エスカミリオ、ヴェルディ『アイーダ』ランフイス、モーツァルト『フィガロの結婚』フィガロ、清水脩『修善寺物語』面作師夜叉王などが代表的な役柄である。また、1960年のワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』日本初演のハンス・ザックスを務める[8]など、歴史的な舞台も踏んでいる。
訳詞も手掛けており、上記の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の訳詞者も秋元である(植村敏夫と共訳)[8]。他にも、オッフェンバック『ホフマン物語』[9]、プッチーニ『トスカ』[10]の邦訳をはじめ、自らの訳と編集でロシア歌曲集を出版している。
また、コンサートにおいても、ベートーヴェン『第九』をはじめ、ヴェルディ『レクイエム』など、数多くの曲でソリストとして活躍した。
音楽教育者としては、東京女子高等師範学校教授[2]、宇都宮大学教授、東京学芸大学教授、東京藝術大学講師、創価大学教育学部教授[2]を歴任。1964年10月には城多又兵衛を理事長に日本声楽発声学会(創立当時の名称は「発声指導法研究会」)の発足に参画[11]。門下生に、池田明良[12]、八重樫節子[13]、松田晃[14]、山形忠顯[15]、野口理恵[16]、伊集院俊光[17]などがいる。
元・日本声楽発声学会会員。二期会会員。日本音楽連盟会員(評議員)[2]。
1990年(平成2年)2月7日死去。69歳没。
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