瀬田 (世田谷区・川崎市)
東京都世田谷区・神奈川県川崎市高津区の町名 ウィキペディアから
瀬田(せた)は、東京都世田谷区の町名または神奈川県川崎市高津区の町名。両町丁は多摩川を挟んだ両岸に位置する。
瀬田 (世田谷区)
要約
視点
瀬田(せた、英語: Seta)は、東京都世田谷区の町名。玉川地域に属する。
昭和30年代の住居表示実施前の玉川瀬田町に当たる地域がほぼ含まれている。南部は、街として二子玉川と呼称される地域の一部に当たる。北部は環八通りに面す。
地理
国分寺崖線沿いにあり、崖線の上からは多摩川や富士山まで見渡せる場所がある。丸子川沿いなどに自然が程よく残されている閑静な地域である。戦前より多摩川や富士山を見晴らす景勝地の一つとして知られ、玉川遊園などの園地が設けられていた。
内閣総理大臣を務めた大平正芳や森喜朗が私邸を構えたほか、現在でも多くの政財界人等が暮らすなど、高級住宅街として知られている。用賀・玉川台・砧公園・岡本・玉川・上野毛と隣接する。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、瀬田1-8-14の地点で77万7000円/m²[4]、瀬田4-35-9の地点で69万5000円/m²[5]となっている。
住居表示実施前後の町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
瀬田一丁目 | 1971年9月1日 | 玉川瀬田町の一部 |
瀬田二丁目 | 玉川瀬田町の一部 | |
瀬田三丁目 | 玉川瀬田町、玉川上野毛町、玉川用賀町1の各一部 | |
瀬田四丁目 | 玉川瀬田町、岡本町の各一部 | |
瀬田五丁目 | 玉川瀬田町、岡本町の各一部 | |
世帯数と人口
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
瀬田一丁目 | 全域 | 世田谷区立瀬田小学校 | 世田谷区立瀬田中学校 |
瀬田二丁目 | 全域 | ||
瀬田三丁目 | 全域 | ||
瀬田四丁目 | 1~14番 16番 36~41番 | 世田谷区立二子玉川小学校 | |
その他 | 世田谷区立瀬田小学校 | ||
瀬田五丁目 | 全域 |
交通
道路
瀬田交差点は、環八通りと国道246号と都道427号の交点である。また、東名高速道路東京ICと首都高速3号線用賀出入口は瀬田、砧公園、玉川台、上用賀の境界に存在する。
鉄道
おおむね国道246号に沿って東急田園都市線が通過しているが、駅はない。1969年(昭和44年)まで通っていた東急玉川線には、瀬田停留所が設置されていた。
路線バス
以下の路線を利用することができる。すべて東急バスによる運行である。
このほか瀬田営業所からの出入庫便が多数設定されている。
施設
公共
医療
教育
- 世田谷区立瀬田小学校
- 世田谷区立瀬田中学校
- セント・メリーズ・インターナショナル・スクール
- 聖アントニオ神学院
文化
寺社・教会
現存しない施設
- 参議院速記者養成所:瀬田四丁目5番。2007年(平成19年)1月廃止。
- 瀬田温泉(山河の湯):瀬田四丁目15番で営業していた天然温泉の日帰り入浴施設。1997年(平成9年)に開業し、2013年(平成25年)に閉業した。薄いコーラ色の湯で、弱アルカリ性のナトリウム塩化物温泉であった。二子玉川駅方面から蒸気機関車を模した外観のシャトルバスが運行していた。水戸徳川家の屋敷跡の四千坪に及ぶ敷地は国分寺崖線上にあり、多摩川の眺めや緑を満喫できた。また、都内で富士山が見える唯一の露天風呂であった。
- その後改装を経て2016年に「Aqua sports&spa」としてリニューアルオープン、この際旧源泉は廃湯とされ、新たな源泉(ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉、37.6℃、pH:8.1)を掘削し供用を開始した[7]。
瀬田 (川崎市高津区)
瀬田(せた、英語: Seta)は、神奈川県川崎市高津区の町名。
二子橋(旧大山街道)の右岸側に位置し(二子橋右岸はかつては瀬田の一部であったが、1997年(平成9年)に二子一丁目となった)、すぐ側に東急田園都市線二子新地駅がある。多摩川堤防に近接するが、瀬田一帯は周囲より一段低くなっている。現在は、多摩川河川敷および多摩川沿いの閑静な住宅街になっている。二子・諏訪の各地域が隣接している。
世帯数と人口
2024年(令和6年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[8]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年10月時点)[17][18]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 川崎市立東高津小学校 | 川崎市立高津中学校 |
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
瀬田 | 13事業所 | 29人 |
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
交通
鉄道
道路
歴史
要約
視点
かつて多摩川は頻繁に洪水を起こし、流路も度々変わっていたため、村が多摩川で分断されることが度々あり、ここ瀬田も多摩川により分断されていた。
かつては全域が武蔵国荏原郡に属していたが、1912年(明治45年)に郡境が多摩川上に設定され、以降右岸地域は橘樹郡(後に川崎市)に属すこととなり、以降現在まで両岸に地名が残っている。
明治以降の行政区画
- 左岸地域
- 1932年(昭和7年)
- 1943年(昭和18年)
- 東京都制施行、東京都世田谷区玉川瀬田町、玉川町になる。
- 1968年 (昭和43年)
- 玉川町が鎌田町、岡本町各町域と境界変更を行い、大蔵町飛地を編入し、東部(旧高津村大字諏訪河原の一部)を残した上で住居表示を実施(その残った地域は数年後の住居表示実施時に上野毛となる)。玉川一丁目~四丁目が設置される。
- 1971年(昭和46年)
- 玉川瀬田町の一部が玉川台に編入される。
- 玉川瀬田町が岡本町の一部(元・字下山)を編入し、東名高速道路以北を砧公園と大蔵一丁目に編入するなど隣接各町域と町域整理を行った上で住居表示を実施。瀬田一丁目 - 五丁目が設置される。
- 右岸地域
多摩川両岸に点在する同地名
多摩川を挟んで同じ地名があるのは、もともとこれらの一帯が同じ村域であったこと名残りである。多摩川の氾濫等で流路は頻繁に変わったが、川を挟んだ両岸が一つの村であり、渡し舟等で往来した。このような事例は他に、高津区下野毛(旧荏原郡下野毛村の大部分が移管)、等々力(世田谷区等々力と川崎市中原区等々力)、宇奈根(世田谷区と川崎市高津区)、押立(町)(府中市と稲城市)などにも見られる。
なお、かつて橘樹郡から荏原郡・北多摩郡に移管した地域は全て他の町域に編入されるなどしており、現在は地名が残っていない。その例として以下のものが挙げられる。
その他
日本郵便
- 集配担当する郵便局と郵便番号は以下の通りである[21]
警察
脚注
関連文献
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