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1972年5月、関西汽船より、深日 - 由良 - 洲本航路および客船たんしゅう丸を譲り受け、事業を開始した[1]。
当初は関西汽船のダイヤを引き継ぎ、旅客船によって一日5往復(直航便の所要時間1時間)を運航。1978年からは高速船が投入され、所要時間は30分となり、大幅な増便が行われた。1980年夏にはホバークラフトも就航したが、これは定着せず、1980年代~1990年代初頭には、ひかり1号、ひかり2号(1号と同型船)、ひかり3号の3隻の高速船が活躍、ひかりシリーズの水冷空調による冷房はしっとり心地よく船酔いし難いと評判であった。
しかしながらこの間、引継ぎ当初の1972年には41万1,000人の年間利用者が、高速船の就航した1978年に40万6,000人となった後、利用減が続き、1986年には21万8,000人とほぼ半減、1993年には13万7,000人まで減少した[1]。
その後、関西国際空港の開港にあわせ、1994年(平成6年)9月に社名をえあぽーとあわじあくあらいんに改め、航路も洲本港 - 関西国際空港 - 津名港を開設し、新造高速船3隻を投入したものの、起死回生には至らず、1997年(平成9年)2月、経営悪化により廃業した。
深日-洲本航路はシャトルサービスに譲渡されたが、同社も明石海峡大橋開通後に高速バス路線の開設による旅客離れを食い止めることができず、また泉州・和歌山県方面への旅客が減少したことから、1999年(平成11年)9月末で廃業した。一方の関西空港航路も、事業者の変遷を経て、2007年に洲本パールラインが運航を休止し、事実上航路廃止になっている。
岬町は深日 - 洲本航路の復活を目指しており、2016年3月27日に神戸-関空ベイ・シャトルの予備船を使用して試験運航が行われ[2][3]、2017年以降、「深日洲本ライナー」として社会実験運航を実施している。
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