浦野真彦

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

浦野 真彦(うらの まさひこ、1964年3月14日-)は、将棋棋士棋士番号は162。大阪府出身。中井捨吉八段門下。高槻市教育委員会委員(2019年12月1日 - )。

概要 浦野真彦 八段, 名前 ...
 浦野真彦 八段
名前 浦野真彦
生年月日 (1964-03-14) 1964年3月14日(61歳)
プロ入り年月日 1983年10月19日(19歳)
棋士番号 162
出身地 大阪府
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 中井捨吉八段
段位 八段
棋士DB 浦野真彦
順位戦クラス B級1組(1期)
2024年4月11日現在
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棋歴

  • 小学4年生のときに友達から将棋を教わる[1]。翌年に家が高槻市に引っ越した際、近所に棋士が住んでいるという話を聞きつけ、師匠の中井が自宅で開いていた将棋教室に通い始めた[1]。当時は自宅に将棋盤すらない状態だったにもかかわらず、いきなり師匠に「プロになりたい」と直訴したという[1]。13歳で新進棋士奨励会に入会したため、高校にも行かなかった[1]
  • 初参加から3期目の第45期順位戦(1986年度)C級2組において10戦全勝し、C級1組へ昇級。第47期順位戦(1988年度)C級1組では8勝2敗の成績を収め、B級2組へ昇級。
  • 1989年度、婚約発表直後に、第1回「IBM杯順位戦昇級者激突戦」(非公式戦)で優勝(決勝の相手は森下卓[2]
  • 1995年度のB級2組順位戦で9勝1敗の成績を収め、B級1組に初昇級した。しかし、明くる1996年度のB級1組順位戦では、有吉道夫青野照市小林健二内藤國雄田丸昇とともに6名で5勝7敗の成績に並んで終え、B級1組初参加のためリーグ表で下位の浦野は1期でB級2組へ降級してしまうという不運を味わった。
  • その一方で、第9期竜王戦(1996年度)では3組で準優勝し、初の本戦出場を果たすとともに自己最高の2組へ昇級した。
  • 第29期棋王戦(2003年度)で、屋敷伸之井上慶太らを破ってベスト4進出。準決勝で谷川浩司に敗れ、敗者復活戦では深浦康市に敗れて挑戦者決定戦進出はならなかった。次年度(第30期)はベスト16にシードされ、中川大輔から1勝を挙げてベスト8進出。しかし、準々決勝で森内俊之三冠王(竜王・名人・王将 = 当時)に敗れ、2年連続のシード権獲得を逸した。
  • 2013年度には、第26期竜王戦5組の残留決定戦で中村亮介に敗れ6組に降級。更に2014年9月から10月に亘り体調を崩し入院したため、同時期に予定されていた4局[3]が不戦敗となった。それ以降は公式戦において成績不振が続き、順位戦C級1組で参加していた2014年度(第73期)・2015年度(第74期)ではそれぞれ1勝9敗・2勝8敗に終わり、降級点を2個累積させてC級2組へ降級。翌2016年度(第75期)は順位戦33期目で初めての全敗。当期を最後にフリークラス宣言をし、翌期以降の順位戦への出場権を放棄した。

棋風

  • 特定の得意戦法は持たない。攻め将棋。

詰将棋

  • 詰将棋の創作も手がけ、詰将棋の賞としては最高峰の看寿賞を1983年度に短編部門で受賞し、1994年度には同賞の特別賞を受賞している。プロ棋士で看寿賞を2度受賞したのは浦野が初である。
  • 煙詰の愛好家でもあり、詰将棋パラダイス誌で行われたコンクールで優勝したこともある。優勝作品である「春時雨」は看寿賞の特別賞(前述)を受賞したが、後に二通りの余詰を指摘されている。
  • 握り詰(無作為に選んだ駒だけを過不足なく使って作る詰将棋)の達人として知られている。NHK BS2で毎年1回放送されていた「大逆転将棋」でも何度か握り詰を披露している。特に2003年の同番組では、指定された駒を使って3題の詰将棋をつくることを課せられたが、それに成功したのはもちろん、その3題すべてを1か一の字の形で詰むようにまとめた。さらに、3題の詰め手数の合計が111手になることも狙っていたが、これは目論見がはずれて107手だった。
  • 2004年2月に発売された『5手詰ハンドブック』は八重洲ブックセンター本店の趣味・娯楽・スポーツ部門において週間1位を記録。その後のシリーズ化された詰将棋ハンドブックシリーズはamazonの将棋部門において上位を占めており、ロングセラーとなっている。浦野と親交のある先崎学は本シリーズについて『作風にこだわりがあり、洗練されていることを最上とする人が、啓蒙書として易しい本を出した。だから五手詰といえども、美しい作品が多い。奥底に高度な技術を持っている人の作品というのは、どんなに軽く作っていても一味も二味も違うのである』と評している[4]
  • 創作以外では、2006年まで将棋世界誌の詰将棋欄の担当を務めていた。2013年現在看寿賞の選考委員も務めている。また、2008年から詰将棋解答選手権の実行委員を務めている。
  • 2019年、詰将棋界への貢献により第8回・門脇芳雄賞を受賞。(『ハンドブック』シリーズ刊行による一般層への普及の貢献・看寿賞選考委員などの功績による)
  • 関西奨励会所属の都成竜馬が四段への昇段を決めた時には即席でその名前に掛けた詰将棋を作り、祝福した[5]

人物

  • 1998年度後期のNHK将棋講座の講師を務めた。
  • 饒舌な語り口で知られる。ニコニコ生放送で第60期王座戦第4局の解説を務めた際には、解説の合間に自著の将棋本(後述)をTVショッピングさながらの軽妙なトークで宣伝し視聴者から「ジャパネット浦野」と呼ばれ[6]、Amazonの将棋関連書籍売上で上位を独占し、品切れが相次いだ。このセールストークが買われ、第61期王座戦第1局で解説を行った際には将棋電王戦関連書籍の宣伝活動も行っている。
  • 端正な顔立ちで、同い年で同じ名前の近藤真彦にちなみ「将棋界のマッチ」と呼ばれたこともある[6]
  • ながらく棋界最軽量と言われていたが、2007年度の将棋年鑑によると豊島将之が浦野より2kgほど軽いということが確認されている(体重は自己申告)。しかし2014年夏に体調を崩し入院(後に潰瘍性大腸炎好酸球性肺炎と診断される[7])、体重も一時40kg台前半にまで落ち込んだため、結果的に棋界最軽量の座に返り咲いた。2015年2月時点では50kgまで回復している[8]
  • 妻(元都ホテル従業員)とはタイトル戦(棋王戦)で知り合う。
  • 趣味は麻雀であり、多くの棋士同様「三人麻雀」を好む。[信頼性要検証]
  • 愛猫家である。
  • 引退し地元で普及に努める熊坂学五段に、自著とともに激励の手紙を送るなど[9]、他棋士に細やかな心配りを見せる面がある。
  • 2019年12月1日、高槻市教育委員会の委員に就任[10][11]。任期は2023年11月30日まで[10][11]
  • 順位戦における年度全勝記録者のうち史上2人目の年度全敗記録者(第45期C級2組 10戦全勝、第75期C級2組 10戦全敗)。

昇段履歴

  • 1977年10月00日奨励会入会(6級)[12]
  • 1980年06月00日 : 初段 [12]
  • 1983年10月19日 : 四段 = プロ入り
  • 1987年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1989年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1996年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 2012年09月14日 : 八段(勝数規定/七段昇段後公式戦190勝)[13]

主な成績

非公式戦優勝

  • IBM杯(1989年・第1回)

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[14]
(出典)竜王戦
出典[15]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1984 43 C243 7-3
1985 44 C208 6-4
1986 45 C221 10-0
1987 46 C120 8-2 1 4組 -- 5-2
1988 47 C102 8-2 2 4組 -- 1-2
1989 48 B220 6-4 3 4組 -- 1-2
1990 49 B210 7-3 4 4組 -- 4-2
1991 50 B204 5-5 5 4組 -- 4-1
1992 51 B210 5-5 6 3組 -- 1-3
1993 52 B210 5-5 7 3組 -- 2-2
1994 53 B211 6-4 8 3組 -- 1-2
1995 54 B207 9-1 9 3組 0-1 3-1
1996 55 B113 5-7 10 2組 -- 1-2
1997 56 B201 5-5 11 2組 -- 2-2
1998 57 B209x 2-8 12 2組 -- 2-2
1999 58 B223+ 8-2 13 2組 -- 2-2
2000 59 B204 3-7 14 2組 -- 2-2
2001 60 B218 5-5 15 2組 -- 1-2
2002 61 B211x 3-7 16 2組 -- 0-3
2003 62 B221* 5-5 17 3組 -- 1-2
2004 63 B213+ 5-5 18 3組 -- 1-2
2005 64 B210 6-4 19 3組 -- 0-2
2006 65 B207x 3-7 20 4組 -- 1-2
2007 66 B221* 4-6 21 4組 -- 3-2
2008 67 B217*x 2-8 22 4組 -- 0-3
2009 68 C101 3-7 23 5組 -- 1-2
2010 69 C124 4-6 24 5組 -- 1-2
2011 70 C124 6-4 25 5組 -- 1-2
2012 71 C112 3-7 26 5組 -- 0-3
2013 72 C125 5-5 27 6組 -- 0-2
2014 73 C118x 1-9 28 6組 -- 2-2
2015 74 C134*x 2-8 29 6組 -- 2-2
2016 75 C203x 0-10 30 6組 -- 1-2
2017 76 F宣 31 6組 -- 4-2
2018 77 F宣 32 6組 -- 0-2
2019 78 F宣 33 6組 -- 0-2
2020 79 F宣 34 6組 -- 1-2
2021 80 F宣 35 6組 -- 2-2
2022 81 F宣 36 6組 -- 1-2
2023 82 F宣 37 6組 -- 2-2
2024 83 F宣 38 6組 -- -
2025 84 F宣 39 (開始前)
第87期順位戦(2028年度)まで現役継続可
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。
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年度別成績

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公式棋戦成績
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1983 9630.6667[16]
1984 5132190.6275[17]
1985 4225170.5952[18]
1986 4023170.5750[19]
1987 3520150.5714[20]
1988 4228140.6667[21]
1989 4627190.5870[22]
1990 4126150.6341[23]
1983-1990
(小計)
26518877
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1991 3820180.5263[24]
1992 4023170.5750[25]
1993 4220220.4762[26]
1994 3012180.4000[27]
1995 281990.6786[28]
1996 2711160.4074[29]
1997 3722150.5946[30]
1998 3212200.3750[31]
1999 2716110.5926[32]
2000 277200.2593[33]
1991-2000
(小計)
328142186
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2001 3014160.4667[34]
2002 2811170.3929[35]
2003 3518170.5143[36]
2004 2510150.4000[37]
2005 2510150.4000[38]
2006 247170.2917[39]
2007 2611150.4231[40]
2008 267190.2692[41]
2009 2810180.3571[42]
2010 2610160.3846[43]
2001-2010
(小計)
273108165
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2011 239140.3913[44]
2012 3014160.4667[45]
2013 258170.3200[46]
2014 269170.3462[47]
2015 243210.1250[48]
2016 287210.2500[49]
2017 188100.4444[50]
2018 197120.3684[51]
2019 154110.2667[52]
2020 143110.2143[53]
2011-2020
(小計)
22272150
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2021 155100.3333[54]
2022 175120.2941[55]
2023 142120.1429[56]
2021-2023
(小計)
461234
通算 11755416340.4604[57]
2023年度まで
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表彰

  • 2005年02月00日:公式戦通算400勝達成 [12]
  • 2008年11月17日:現役勤続25年 [58]
  • 2023年11月17日:現役勤続40年 [59]

著書

出演

ウェブテレビ

  • 「藤井四段に『2度負けた男たち』の証言」(2017年6月14日、AbemaTV)[60][61]

脚注

関連項目

外部リンク

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