沖田さとし

日本の俳優 ウィキペディアから

沖田 さとし(おきた さとし、1958年3月25日[1] - )は、日本俳優。本名および旧芸名は渡辺 義之わたなべ よしゆき[1]

概要 おきた さとし 沖田 さとし, 本名 ...
おきた さとし
沖田 さとし
本名 渡辺 義之
生年月日 (1958-03-25) 1958年3月25日(66歳)
出生地 日本 大阪府
身長 175 cm[1]
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1979年 - 2002年
主な作品
テレビドラマ
ザ・ハングマンII
科学戦隊ダイナマン
映画
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大阪府[1]大阪市出身[2]同志社大学中退[1][3]MC企画に所属していた[1]

来歴・人物

大学中退後、演出家を目指して上京[3]。約30倍の倍率を勝ち抜いて演劇集団 円の研究所に入り、1960年代から1970年代ごろにかけて一世を風靡したコメディアン・平凡太郎の一座で役者と演出の腕を磨いた[3]。円を出た後は演出家になろうと決めて、関敬六劇団で演出助手を務めていたが[2]1981年小桜京子の勧めから再び役者の道へ戻る[2]

当初は本名の名義でテレビドラマに出演していたが、1982年からは芸名を「沖田 さとし」とする(芸名の由来は沖田総司から[4])。同年、テレビ朝日系『ザ・ハングマンII』に主要メンバー「ヨガ」役で出演し、知名度が上がる。翌年の1983年には、スーパー戦隊シリーズ科学戦隊ダイナマン』で弾北斗(ダイナレッド)役で主演を務めた[4]

その後は関西に拠点を移し、長寿番組『部長刑事』やドラマ30いのちの現場から』にレギュラー出演した他、時代劇などでも活躍。映画226』では、二・二六事件の決起将校の一人である対馬勝雄中尉を演じた。

1990年には、俳優業と並行して大阪市内のレストランバー「邯鄲」のオーナーとなる[5]が現在は倒産している。また、講演活動も行っていた[6]

趣味は、読書テニス。特技は、スキー[1](2級免状(1982年時点)を持つ[2])、スキューバーダイビング[1]関西弁[7]自動車のB級ライセンスを所持[2]

2005年に、日常のコミュニケーションににおける表現について考えるグループ「表現の学校」を設立[8]2007年に一度グループを離れるが、2012年に復帰し中心メンバーとして活動している[8]。また、河内長野市の商工観光課の職員として、観光企画の手伝いをしていたことがあった[9]

『科学戦隊ダイナマン』放送当時、撮影と平行して大学に通っていた共演者の萩原佐代子にレポートの書き方を教えたことがある。[要出典]

出演

テレビドラマ

映画

オリジナルビデオ

舞台

出典

参考文献

外部リンク

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