桜井俊貴

日本の野球選手、元プロ野球選手 ウィキペディアから

桜井俊貴

桜井 俊貴(さくらい としき、1993年10月21日 - )は、兵庫県神戸市垂水区出身[1]社会人野球選手、元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 ミキハウス硬式野球部 #21, 基本情報 ...
桜井 俊貴
ミキハウス硬式野球部 #21
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巨人現役時代
(2016年12月18日 台中インターコンチネンタル野球場にて)
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県神戸市垂水区
生年月日 (1993-10-21) 1993年10月21日(31歳)
身長
体重
182 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2015年 ドラフト1位
初出場 2016年3月30日
最終出場 2022年8月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

要約
視点

プロ入り前

神戸市立多聞東小学校4年生から軟式野球を始めた[1][2]神戸市立多聞東中学校では軟式野球部に所属し[1][3]、3年時には神戸市大会準優勝の成績を収めた[4]。中学野球部の1年先輩には福敬登がいる[5]

高校進学時には地元の強豪私学からも勧誘されたが、「途中まで勉強を頑張っていたし、野球だけに切り替えたら後悔するなと。高校は勉強で入って、勝負しようと思った」ことから、野球では無名に近い公立の兵庫県立北須磨高等学校に進学し[4]、2年時にはエースとして夏の兵庫大会において同校では24年ぶりとなるベスト16入りを果たした[1]。高校時代の最高成績は秋季県大会ベスト8で[4]、高校卒業時点での速球の最速は130 km/h台後半であった[6]

大学進学時は北須磨高校からは珍しいスポーツ推薦立命館大学に入学[1]。その後は関西学生野球連盟リーグ戦で1年秋に4勝、防御率0.50の成績を挙げる[2]。2年春にエースとなる。3年春に6勝、防御率0.97の成績を収めて優勝に貢献。最優秀投手、MVPを獲得した[7]。11月には第1回21U野球ワールドカップに日本代表として出場した[8]。その後、肉体改造に着手して体重は7kg増えた[8]。4年時に出場した明治神宮野球大会では11月13日の東北福祉大学戦で大会タイ記録となる18奪三振を記録した[9]。リーグ通算56試合に登板、28勝8敗、防御率1.10、通算306奪三振を記録。

2015年10月22日に行われたドラフト会議読売ジャイアンツから単独1位指名を受け、11月20日に契約金1億円、年俸1500万円で契約した[10]。背番号は21。北須磨高校出身者として初めてのプロ野球選手となった[1]

巨人時代

2016年3月30日に一軍初登板を果たしたが、肘の違和感により5回途中4失点で降板し、敗戦投手となった[11]。その後は二軍と三軍で調整を続け、イースタン・リーグ最終戦となった9月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、リリーフとして6ヶ月ぶりに実戦で登板した[11]。シーズン終了後、北海道日本ハムファイターズからトレードで移籍した吉川光夫が背番号21を使用することとなったため、桜井の背番号は36に変更されることが発表された[12]。11月21日、300万円減の推定年俸1200万円で契約を更改した[13]

2017年、2月18日に韓国・サムスン・ライオンズとの練習試合でチームの対外試合の開幕投手を託されたが、3回3失点で降板した。その後、二軍戦では救援(中継ぎ)投手として好投したため、5月16日には一軍へ昇格した[14]。昇格当初は勝ちパターンでの登板もあるなど好調だったがその後急激に調子を落とした。19試合の登板で防御率5.67、プロ初白星もお預けになった。オフには、現状維持の1200万円で契約を更改した[15]

2018年は、二軍で18試合の登板で4勝0敗、防御率2.69を記録したが、一軍での登板はなかった[16]。オフには、200万円減の推定年俸1000万円で契約を更改した[16]

2019年は背番号を35に変更。5月23日の横浜DeNAベイスターズ戦で中継ぎ登板しプロ初勝利を挙げた[17]。6月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では3年ぶりに先発登板し、7回途中まで1失点と好投し先発初勝利をあげるなど、交流戦では3試合で2勝0敗、防御率1.83を記録した。シーズン終盤は疲労により失速したが、最終的にチーム3位かつ自己最多の8勝を記録し、リーグ優勝に貢献した。オフには、2000万円増の推定年俸3000万円で契約を更改した[18]

2020年は開幕ローテーションの6人目になり、8月2日までで6先発で2勝2敗を記録したが、8月3日に登録抹消となった[19]。8月23日に再登録されると、中継ぎに配置変換され、9月20日に再び登録抹消。10月5日の再登録後に2試合に先発するも2連敗と結果を残せず再び中継ぎとしてシーズンを終えた。シーズン通算で2勝4敗4ホールド、防御率4.95を記録した。オフには、600万円減の推定年俸2400万円で契約を更改した[20]

2022年は、8試合の登板で2勝0敗、防御率14.04に留まり[21]、10月7日、翌年の契約を結ばないことが球団より発表された[22]。その後、11月8日に楽天生命パークで行われた12球団合同トライアウトに参加。打者3人に対して1安打1四球を許すも、最速148km/hを記録した[23]。トライアウト終了後には、戦力外となった際2日間寝込んだことを明かし、「家族や周りに相談して、悔いなく終わりたかった」と感想を述べた[24]。他球団からのオファーはなく、11月23日、現役引退を表明した[25]

2023年は巨人のスカウトを務め、主に近畿・中国地区を担当し[25][26]同年のドラフト4位・泉口友汰の獲得に尽力した。一方で、スカウトとしての視察を重ねる中、夏頃から選手としての思いが再燃し、多忙なスカウト業の合間を縫って走り込みなどのトレーニングを続け、ドラフト会議も終了した11月頃からは現役復帰に向けた本格的な練習を始めた[27]

社会人野球での現役復帰

2023年12月20日、社会人野球ミキハウス硬式野球部2024年1月1日から加わり、選手としての現役復帰することが発表された[28]ミキハウスへの入社は、母校・立命館大学のOB会長である藤岡重樹が同部の前身クラブチームミキハウスREDSの監督を務めていた縁によるもの[27]

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2024年10月31日京セラドーム大阪

第95回都市対抗野球大会の近畿2次予選では2試合連続完投勝ちを収めるなどの活躍で、チームの本大会出場に大きく貢献した[29]

選手としての特徴

最速150km/hの速球、スライダーカーブチェンジアップスプリットを投げる[3]。また、大学4年の秋季リーグ戦では延長14回を206球完投勝利を挙げるなどスタミナはあるが[8]、プロ入り後は中継ぎでの起用が大半である。

堀内恒夫には「フォームが安定しないため、コントロールがつかない」と評価されている[30]

詳細情報

年度別投手成績

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W
H
I
P
2016 巨人 110000100.000234.190101500448.312.31
2017 1900000100.00012627.02821502162018175.671.59
2019 29170008600.571472108.1109124204821053524.321.40
2020 2480002404.33328163.268152115430037354.951.40
2021 29000010061.00014533.13571611204020205.401.53
2022 8000020001.000468.1133602910131314.042.28
通算:6年 110260001312010.5201093245.026239101215175801451415.181.48
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年度別守備成績

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投手












2016 巨人 10000----
2017 1924001.000
2019 29215001.000
2020 2418001.000
2021 2922001.000
2022 802001.000
通算 110731001.000
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記録

初記録
投手記録
打撃記録

背番号

  • 21(2016年)
  • 36(2017年 - 2018年)
  • 35(2019年 - 2022年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク

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