日本のプロ野球組織(1936年~1949年) ウィキペディアから
日本野球連盟(にほんやきゅうれんめい)は、1936年から1949年まで存在していた日本のプロ野球組織、またはそのリーグ名。日本初の本格的全国規模によるスポーツリーグ(プロ選手対象である場合でも日本初)であり、現在の日本野球機構のルーツに当たる。
以後は日本野球機構#沿革を参照
上述のアメリカとの関係悪化により、野球が敵国アメリカの国技であるために、陸軍と文部省からの通達もあり、日本野球連盟は英語使用を徹底的に自主規制した。球団名や球団旗ロゴ、用語等の日本語化が押し進められた。
球団名では大阪タイガースが「阪神軍」、東京セネタースが「翼軍」になるなど改称を強いられた(参照)。
野球の用語はアメリカから伝来した性格上カタカナ英語が多かったが、その全てが日本語に改められた。更に一部の日本語用語も、より健闘精神を煽るものへと変えられた。以下はその一例。
他にも延長戦の時間・イニング制限が無くなり、引き分けは天候や日没によるコールドのみに。また犠牲フライが打数に加算されるようになった。1943年頃からユニフォームの国防色使用と、戦闘帽の着用が指示され、卑怯な戦術であるとして隠し球も禁止された。1944年には個を主張してはならないとの理由から背番号の使用も禁止された。
日本人選手以外のいわゆる外国籍選手(当時はハワイ出身の日系人が主)も政府の帰国令などで締め出される形となった。無国籍であったヴィクトル・スタルヒン(当時・東京巨人軍)は登録名を「須田博」として出場、更には戦況悪化に伴い追放・軽井沢に抑留された。
なお、大学野球、中等学校野球などは大衆人気が高かったことと、軍部命令により早期に公式大会が中止されたため、職業野球が行なったこれらのような延命策を採らなかった。用語の言い換えなども職業野球でのみ使用され、一般にはそれほど浸透しなかった。
1946年シーズンでは鈴木惣太郎の提案により各球団に愛称が付けられた。以前より東京巨人軍が「巨人」と呼ばれていたことに倣ったものである。
新聞報道などではこの愛称で表記されることが多かった。愛称と球団名を繋げて「太平パシフィック」「近畿グレートリング」「青鞜セネタース」「金星ゴールドスター」の表記も見られた(球団の正式名称ではない)。各球団の反発に合い1年限りで取り止めとなり、翌1947年にアメリカメジャーリーグベースボールを参考にしたニックネームが採用された。しかし東京巨人軍は「読売ジャイアンツ」と改称したものの「読売巨人軍」の名乗りを重視しており、4月3日の自社紙面の布告においても「読売巨人軍と変更」とのみ記載して「読売ジャイアンツ」の名を記載していない。
(注)1945年は活動中止
年度 | 優勝 | 勝 | 敗 | 分 | 2位 | 勝 | 敗 | 分 | 3位 | 勝 | 敗 | 分 | 4位 | 勝 | 敗 | 分 | 5位 | 勝 | 敗 | 分 | 6位 | 勝 | 敗 | 分 | 7位 | 勝 | 敗 | 分 | 8位 | 勝 | 敗 | 分 | 9位 | 勝 | 敗 | 分 |
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1936春 | 順位なし(セネタース、金鯱、タイガース、阪急、名古屋、大東京) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1936夏 | 順位なし(阪急、タイガース、セネタース、名古屋、金鯱、巨人、大東京) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1936秋 | 巨人 | タイガース | 順位なし(阪急、名古屋、セネタース、金鯱、大東京) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1937春 | 巨人 | 41 | 13 | 2 | タイガース | 41 | 14 | 1 | セネタース | 30 | 26 | 阪急 | 28 | 26 | 2 | 金鯱 | 25 | 30 | 1 | 大東京 | 21 | 31 | 4 | 名古屋 | 21 | 35 | イーグルス | 12 | 44 | |||||||
1937秋 | タイガース | 39 | 9 | 1 | 巨人 | 30 | 18 | イーグルス | 28 | 19 | 2 | 金鯱 | 23 | 25 | 1 | セネタース | 20 | 27 | 1 | ライオン | 19 | 29 | 1 | 阪急 | 17 | 29 | 3 | 名古屋 | 13 | 33 | 3 | |||||
1938春 | タイガース | 29 | 6 | 巨人 | 24 | 11 | 阪急 | 21 | 13 | 1 | イーグルス | 18 | 15 | 2 | セネタース | 13 | 21 | 1 | 金鯱 | 13 | 22 | 名古屋 | 11 | 24 | ライオン | 9 | 26 | |||||||||
1938秋 | 巨人 | 30 | 9 | 1 | タイガース | 27 | 13 | 阪急 | 21 | 17 | 2 | 名古屋 | 19 | 18 | 3 | セネタース | 19 | 20 | 1 | ライオン. | 19 | 20 | 1 | イーグルス | 15 | 20 | 5 | 南海 | 11 | 26 | 3 | 金鯱 | 11 | 29 | ||
1939 | 巨人 | 66 | 26 | 4 | タイガース | 63 | 30 | 3 | 阪急 | 58 | 36 | 2 | セネタース | 49 | 38 | 9 | 南海 | 40 | 50 | 6 | 名古屋 | 38 | 53 | 5 | 金鯱 | 36 | 56 | 4 | ライオン | 33 | 58 | 5 | イーグルス | 29 | 65 | 2 |
1940 | 巨人 | 76 | 28 | 阪神 | 64 | 37 | 3 | 阪急 | 61 | 38 | 5 | 翼 | 56 | 39 | 10 | 名古屋 | 58 | 41 | 5 | 黒鷲 | 46 | 54 | 4 | 金鯱 | 34 | 63 | 7 | 南海 | 28 | 71 | 6 | ライオン | 24 | 76 | 4 | |
1941 | 巨人 | 62 | 22 | 2 | 阪急 | 53 | 31 | 51 | 大洋 | 47 | 37 | 3 | 南海 | 43 | 41 | 阪神 | 41 | 43 | 名古屋 | 37 | 47 | 黒鷲 | 28 | 56 | 1 | 朝日 | 25 | 59 | 1 | |||||||
1942 | 巨人 | 73 | 27 | 5 | 大洋 | 60 | 39 | 6 | 阪神 | 52 | 48 | 5 | 阪急 | 49 | 50 | 6 | 朝日 | 49 | 50 | 6 | 南海 | 49 | 56 | 名古屋 | 39 | 60 | 6 | 大和 | 27 | 68 | 10 | |||||
1943 | 巨人 | 54 | 27 | 3 | 名古屋 | 48 | 29 | 7 | 阪神 | 41 | 36 | 7 | 朝日. | 41 | 36 | 7 | 西鉄 | 39 | 37 | 8 | 大和 | 35 | 43 | 6 | 阪急 | 31 | 51 | 2 | 南海 | 26 | 56 | 2 | ||||
1944 | 阪神 | 27 | 6 | 2 | 巨人 | 19 | 14 | 2 | 阪急 | 19 | 15 | 1 | 産業 | 13 | 21 | 1 | 朝日 | 12 | 22 | 1 | 近畿日本 | 11 | 23 | 1 | ||||||||||||
1945 | 戦況悪化のため中止 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1946 | グレートリング | 65 | 38 | 2 | 巨人 | 64 | 39 | 2 | 大阪 | 59 | 46 | 阪急 | 51 | 52 | 2 | セネタース | 47 | 58 | ゴールドスター | 43 | 60 | 2 | 中部日本 | 42 | 60 | 3 | パシフィック | 42 | 60 | 3 | ||||||
1947 | 大阪 | 79 | 37 | 3 | 中部日本 | 67 | 50 | 2 | 南海 | 59 | 55 | 5 | 阪急 | 58 | 57 | 4 | 巨人 | 56 | 59 | 4 | 東急 | 51 | 65 | 3 | 太陽 | 50 | 64 | 5 | 金星 | 41 | 74 | 4 | ||||
1948 | 南海 | 87 | 49 | 4 | 巨人 | 83 | 55 | 2 | 大阪 | 70 | 66 | 4 | 阪急 | 66 | 68 | 6 | 急映 | 59 | 70 | 11 | 大陽 | 61 | 74 | 5 | 金星 | 60 | 73 | 7 | 中日 | 52 | 83 | 5 | ||||
1949 | 巨人 | 85 | 48 | 1 | 阪急 | 69 | 64 | 3 | 大映 | 67 | 65 | 2 | 南海 | 67 | 67 | 1 | 中日 | 66 | 68 | 3 | 大阪 | 65 | 69 | 3 | 東急 | 64 | 73 | 1 | 大陽 | 52 | 81 |
1940年(昭和15年)に開催された満洲リーグ戦の時点では以下の通り加盟全9チームが球団歌を作成しており、同年7月に大連市で発行された選手名鑑『職業野球早わかり』に歌詞が掲載されている[1]。大半はレコード未作成かつ楽譜の現存が確認されておらず、歌詞のみしか伝わっていない。
球団名 | タイトル | 作成時期 | 音源・楽譜 | 備考 |
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東京巨人軍 | 巨人軍の歌(野球の王者) | 1939年 | レコードあり | 1949年に「ジャイアンツ・ソング」へ代替わり |
大阪タイガース | 大阪タイガースの歌 | 1936年 | レコードあり | 1961年に「阪神タイガースの歌」への改題・歌詞一部変更を経て現存 |
名古屋軍 | 名古屋軍応援歌[2] | 1936年 | 歌詞のみ | 1950年に「ドラゴンズの歌」制定 |
阪急軍 | 阪急職業野球団応援歌 | 1936年 | 楽譜あり[3] | 1950年に「阪急ブレーブスの歌」へ代替わり |
ライオン軍 | 制覇に進む若き獅子 | 1939年 | 楽譜あり[4] | 1948年に「輝けロビンス」制定 |
イーグルス | イーグルス応援歌 | 不詳 | 歌詞のみ[5] | |
南海軍 | 南海軍の歌 | 1939年頃 | 歌詞のみ[6] | 作曲者不詳、1952年に「南海ホークスの歌」制定 |
東京セネタース | 東京セネタースの歌 | 1940年 | レコードあり[7] | 2013年のライオンズ・クラシックで復活演奏実施[8] |
名古屋金鯱軍 | 金鯱の歌 | 不詳 | 歌詞のみ[9] | 総監督の岡田源三郎が作詞[1] |
このうち名古屋軍と阪急のものは表題を「応援歌」としているが、公式の「球団歌」とその他の(公認・非公認を問わない)「応援歌」が区別されるようになったのは1960年代から70年代以降にかけてであり、1リーグ時代において両者の区別は曖昧なものであった。
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