1938年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
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個人タイトル
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ベストナイン
この年は選出なし
社会人野球
→詳細は「第12回都市対抗野球大会」を参照
- 決勝(明治神宮野球場・8月11日)
東京大学野球
- 春 - 早明の優勝決定戦により、明大が優勝。
- 秋 - 明大が7勝2敗1分で前年春から4連覇を達成。
中等野球
- 第15回選抜中等学校野球大会決勝(阪神甲子園球場・4月4日)
- 第24回全国中等学校優勝野球大会決勝(阪神甲子園球場・8月22日)
メジャーリーグ
→詳細は「1938年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4戦全勝) シカゴ・カブス(ナ・リーグ)
できごと
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3月
4月
6月
7月
8月
- 8月11日 - 都市対抗野球大会の決勝戦が明治神宮野球場で行われ、東京市・藤倉電線が4対1で京城府・全京城を破り、優勝。
- 8月22日 - 全国中等学校優勝野球大会の決勝戦が行われ、京都府の平安中が2対1のサヨナラ勝ちで岐阜商に勝利し、優勝。
- 9月6日 - 南海が対名古屋金鯱軍戦に勝利し、リーグ公式戦初勝利[7]。
- 9月9日 - 大阪の景浦將が7月9日の対名古屋戦からこの日の金鯱戦まで1リーグ時代の記録となる16試合連続安打を達成。この間の成績は57打数19安打14四死球16得点[8]。
- 9月11日 - 南海が対ライオン軍戦(阪急西宮球場)において、17四球で日本プロ野球初の毎回与四球を記録[9]。試合は8対7で南海がサヨナラ勝利。
- 9月30日 - イーグルスの亀田忠が対金鯱戦で日本プロ野球初の毎回奪三振(三振数は12)を記録[10]。
10月
- 10月2日 - セネターズ対ライオン戦(後楽園球場)で、日本プロ野球史上初となる先頭打者初球本塁打かつサヨナラ本塁打で東京セネタースが勝利する(詳細は参照)[11]。
- 10月1日 - イーグルスの亀田忠が対名古屋戦(後楽園)において、10四球で日本プロ野球初の全員与四球を記録。試合は4対3で名古屋が勝利。
- 10月19日 - 名古屋軍の倉本信護が対東京セネタース戦において、10回裏に日本プロ野球初のサヨナラ満塁本塁打を記録[2]。
- 10月9日 - 【MLB】ワールドシリーズの第4戦がヤンキー・スタジアムにおいて行われ、アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースがナショナルリーグのシカゴ・カブスに8対3で勝利して3年連続7度目の優勝達成。
- 10月10日 - アメリカ合衆国の女子野球団51名が来日
11月
- 11月12日 - 東京巨人軍対金鯱戦(後楽園)で巨人が勝利し、巨人の秋季に於ける優勝が決定。
- 11月16日 - イーグルス対大阪戦において、日本プロ野球史上初の打順間違いが起きる(参照)[12]。
- 11月17日 - 巨人の中島治康が日本プロ野球史上初の打撃部門のタイトル三冠王を達成するが、当時は三冠王の認識がなく、1965年9月30日のプロ野球実行委員会において三冠王に認定されている[13]。
- 11月26日 - タイガース対巨人の年度優勝決定戦第1戦で、審判の判定に不服を持った巨人・藤本定義監督とバットを手にした三原脩が、試合後に抗議のために審判室に押しかけ、後日、出場停止処分と罰金処分を受ける。三原はこの処分を不服として、閉幕後に巨人を退団。
12月
- 12月2日 - 大阪タイガースが年度優勝決定戦で東京巨人軍に4連勝して年度優勝を決める。
- 第1試合(11月26日)大阪タイガース 3-2 東京巨人軍(甲子園)
- 第2試合(11月27日)大阪タイガース 5-4 東京巨人軍(甲子園)
- 第3試合(12月1日)大阪タイガース 5-3 東京巨人軍(後楽園)
- 第4試合(12月2日)大阪タイガース 4-2 東京巨人軍(後楽園)
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
脚注
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