1946年のセネタース

ウィキペディアから

1946年のセネタースでは、1946年シーズンのセネタースの動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...
1946年のセネタース
成績
レギュラーシーズン5位
47勝58敗 勝率.448[1]
本拠地
地域 東京都
球場 フランチャイズ制導入前
球団組織
オーナー 西園寺公一
経営母体 セネタース野球協会
監督 横沢三郎
« 1945
1947 »

テンプレートを表示
閉じる

この年のセネタースは、前年にチームを創設してから、初のリーグ参加のシーズンであり、横沢三郎が1年だけ、監督を務めたシーズンである。

概要

球団創設1年目は西鉄でも活躍する大下弘や、大下に代わって1968年の途中に後身の東映で代理監督を務め大杉勝男を育てた飯島滋弥公明党の参議院議員となった白木義一郎などが入団してスタートするが、肝心のチーム成績は7月まで最下位争いを演じるなど低迷が続いた。8月以降は持ち直して5位に浮上。最下位と予想されたものの、借金11とまずまずのスタートを切った。シーズン終了後、東急電鉄が球団を買収し、「東急フライヤーズ」に改称したため、「セネタース」として戦ったのはこの年限りとなった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 横沢七郎
2 鈴木清一
3 大下弘
4 飯島滋弥
5 長持栄吉
6 上口政
7 熊耳武彦
8 大木董四郎
9 一言多十
さらに見る 順位, 5月終了時 ...
1946年日本野球連盟順位変動
順位5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位 近畿-- 巨人-- 大阪-- 近畿-- 近畿-- 近畿--
2位 阪急0.0 阪急2.5 巨人3.5 大阪1.5 巨人3.5 巨人1.0
3位 巨人1.0 大阪4.0 近畿5.0 巨人3.5 大阪6.0 大阪7.0
4位 大阪 近畿4.5 阪急8.0 阪急9.0 阪急13.0 阪急14.0
5位 ゴールド2.0 パシフィ8.5 中部日本11.5 ゴールド17.0 セネター17.0 セネター19.0
6位 パシフィ4.0 ゴールド8.5 ゴールド15.0 セネター17.5 パシフィ19.5 ゴールド22.0
7位 セネター4.0 セネター10.0 セネター15.5 パシフィ18.5 ゴールド20.0 パシフィ22.5
8位 中部日本4.0 中部日本10.0 パシフィ17.5 中部日本21.0 中部日本21.0 中部日本
閉じる
さらに見る 順位, 球団 ...
1946年日本野球連盟最終成績
順位球団勝率
優勝近畿グレートリング65382.631-
2位東京巨人軍64392.6211.0
3位大阪タイガース59460.5627.0
4位阪急軍51522.49514.0
5位セネタース47580.44819.0
6位ゴールドスター43602.41722.0
7位中部日本42603.41222.5
パシフィック42603.41222.5
閉じる

[1]

できごと

選手・スタッフ

[2][3]

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー, 選手名 ...
リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
大下弘 本塁打王20本初受賞
白木義一郎 最多勝利30勝初受賞
閉じる

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.