1939年の野球(1939ねんのやきゅう)では、1939年の野球界における動向をまとめる。 競技結果 日本プロ野球 ペナントレース さらに見る 順位, 球団 ... 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝東京巨人軍66264.717- 2位大阪タイガース63303.6773.5 3位阪急軍58362.6179.0 4位東京セネタース49389.56314.5 5位南海軍40506.44425.0 6位名古屋軍38535.41827.5 7位名古屋金鯱軍36564.39130.0 8位ライオン軍33585.36332.5 9位イーグルス29652.30938.0 閉じる 個人タイトル さらに見る タイトル, 選手 ... タイトル選手球団成績 最優秀選手スタルヒン巨人 首位打者川上哲治巨人.338 本塁打王鶴岡一人南海10本 打点王川上哲治巨人75点 盗塁王山田伝阪急30個 最優秀防御率若林忠志大阪1.09 最多勝利スタルヒン巨人42勝 最多奪三振スタルヒン巨人282個 最高勝率御園生崇男大阪.824 閉じる ベストナイン この年は選出なし 社会人野球 この節の加筆が望まれています。 東京大学野球 8月16日 - 文部省が平日の試合禁止を通達。 春 - 早慶の優勝決定戦により、早大が優勝。 秋 - 早慶の優勝決定戦により、慶大が優勝。 中等野球 第16回選抜中等学校野球大会決勝(阪神甲子園球場・4月3日) 東邦商業(愛知県) 7 - 2 岐阜商業(岐阜県) 第25回全国中等学校優勝野球大会決勝(阪神甲子園球場・8月20日) 海草中学(和歌山県) 5 - 0 下関商業(山口県) メジャーリーグ →詳細は「1939年のメジャーリーグベースボール」を参照 ワールドシリーズ できごと この節の加筆が望まれています。 1月 2月 3月 3月1日 - 日本職業野球連盟は名称を「日本野球連盟」に改称[1]。 3月19日 - 大阪タイガースが対東京巨人軍戦で5回に1イニング2本盗を記録(日本プロ野球2度目)[2]。 3月30日 - イーグルスの亀田忠が対阪急軍戦(後楽園)で自身2度目の日本タイ記録の12与四死球を記録。8回5失点で敗戦投手[3]。 4月 4月3日 - 選抜中等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場において行われ、愛知県の東邦商が岐阜県の岐阜商に7対2で勝利し、5年ぶり2度目の優勝達成。 4月19日 - ライオン軍対南海軍において、南海は8安打8四球1失策で17走者を出すものの、完封負けを記録する。 5月 5月2日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグが現役を引退。 5月5日 - 【MLB】フィラデルフィア・アスレチックスのサム・チャップマンがサイクル安打を達成。 5月6日 - 南海軍が対阪急戦(甲子園)において、阪急を無安打で抑えながら、2失点で敗戦。被安打0での敗戦は日本プロ野球史上、唯一。 5月9日 - 巨人がこの日の対名古屋軍戦と、7月15日の東京セネタースに勝利し、勝利投手はいずれもスタルヒンに記録されたが、1953年に記録の見直しがされ、先発した中尾に勝利投手が記録され、スタルヒンの勝ちが消えこの年の勝ち星も42から40となったものの、1962年に稲尾和久がシーズン42勝を挙げ、この試合のスタルヒンの記録の取り扱いについて再び議論となり、結局はスタルヒンの勝利投手に再修正され、稲尾とスタルヒンがシーズン勝ち星42勝で日本プロ野球記録となっている。 5月19日 - 名古屋金鯱軍が対阪急戦に敗れ、球団記録の15連敗。 5月27日 - 【MLB】デトロイト・タイガースのチャーリー・ゲーリンジャーがサイクル安打を達成。 6月 6月18日 - 南海の清水秀雄が対阪急戦で13奪三振で毎回奪三振を達成。通算かつシーズン2度の達成は日本プロ野球初[4]。 7月 7月19日 - 【MLB】ピッツバーグ・パイレーツのアーキー・ヴォーンがサイクル安打を達成。 8月 8月11日 - 中モズ球場が落成[5]。 8月16日 - 南海が対大阪戦で16安打で、日本プロ野球史上初となる、毎回安打、全員安打を達成する。 8月20日 - 全国中等学校優勝野球大会の決勝戦が甲子園球場において行われ、和歌山県の海草中が山口県の下関商を5対0で勝利し、 初優勝達成。海草中の嶋清一が準決勝の島田商に続き決勝戦においても、ノーヒットノーランを達成(決勝戦での達成は大会史上初で、同じ投手が複数回達成したのは大会史上唯一の記録)。 9月 10月 10月8日 - 【MLB】ワールドシリーズ第4戦が行われ、ニューヨーク・ヤンキースがシンシナティ・レッズを4連勝で下し、史上初となる4年連続優勝を達成。 10月20日 - 巨人の川上哲治が対イーグルス戦(西宮)で先発し、9イニングを日本タイ記録の12与四死球(四球11死球1)を記録し、5失点で敗戦投手[3]。 11月 11月3日 - 巨人の中尾輝三が対セネターズ戦(後楽園球場)で、ノーヒットノーランを達成[6]、スコアは1対0[7] 。 11月9日 - 巨人対南海(後楽園)で巨人が勝利し、巨人の優勝が決定している。 12月 12月22日 - 文部省は東京大学野球連盟に対し、「学校教育と学生野球の調和」についての見解を発表[8]。 誕生 1月 1月5日 - 福塚勝哉 1月7日 - 金博昭 2月 2月5日 - 小池兼司 2月11日 - ウィリー・スミス(+ 2006年) 2月24日 - 長田幸雄 3月 3月1日 - 祓川正敏(+ 2012年) 3月5日 - 城戸則文 3月8日 - ジム・バウトン(+ 2019年) 3月8日 - 鎌田実(+ 2019年) 3月29日 - フランシス・アグウィリー 4月 4月1日 - フィル・ニークロ 4月8日 - 安藤統男 4月17日 - 戸梶正夫 4月24日 - 渋谷誠司 5月 5月1日 - 本間勝 5月2日 - 横地由松(+ 2007年) 5月6日 - 石井茂雄(+ 2005年) 5月24日 - 前田益穂 6月 6月18日 - ルー・ブロック(+ 2020年) 7月 7月3日 - 寺本勇 7月10日 - 石田博三 7月29日 - 新山彰忠(+ 2000年) 8月 8月22日 - カール・ヤストレムスキー 8月25日 - 島田源太郎 9月 9月3日 - 古賀英彦 9月26日 - 樋口正蔵 10月 10月10日 - 田中勉 10月12日 - 漆畑勝久 10月13日 - 青野修三 10月20日 - 森中千香良(+2008年) 10月26日 - 安藤元博(+ 1996年) 10月31日 - 堀込基明(+ 1997年) 11月 11月4日 - 宮田征典(+ 2006年) 11月13日 - ウェス・パーカー 11月16日 - 室山皓之助 11月21日 - 石井晶(+ 2013年) 12月 12月1日 - 小野木孝 12月4日 - 遠井吾郎(+ 2005年) 12月18日 - ソイロ・ベルサイエス(+ 1995年) 12月18日 - 高野一彦 死去 8月21日 - 久慈次郎(*1898年) 脚注 [1]南海ホークス 編『南海ホークス四十年史』南海ホークス、1978年、54頁。 [2]宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、724頁。ISBN 4062061082。 [3]宇佐美徹也 1993, p. 634. [4]宇佐美徹也 1993, p. 692. [5]中日ドラゴンズ 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、44頁。ISBN 4806205141。 [6]奪三振6、与四死球10。 [7]“無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月28日閲覧。 [8]岸野雄三 ほか『近代体育スポーツ年表 1800→1997』大修館書店、1999年、171頁。ISBN 4469264083。 この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。表示編集Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.