ルー・ブロック

アメリカの野球選手 (1939 - 2020) ウィキペディアから

ルー・ブロック

ルイス・クラーク・ブロックLouis Clark Brock, 1939年6月18日 - 2020年9月6日)は、アメリカ合衆国アーカンソー州エル・ドレード出身の元プロ野球選手外野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
ルー・ブロック
Lou Brock
Thumb
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州エル・ドレード
生年月日 (1939-06-18) 1939年6月18日
没年月日 (2020-09-06) 2020年9月6日(81歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1960年
初出場 1961年9月10日
最終出場 1979年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1985年
得票率 79.75%
選出方法 BBWAA[:en]選出
閉じる

息子のルー・ブロックJr.英語版は元NFL選手である。

経歴

要約
視点

少年時代

ブロックは1939年6月18日にアーカンソー州エル・ドレードの農家に生まれたが、2歳の時にルイジアナ州コリンストン村に家族で移住。幼少期は貧しい中での生活だったという。 少年時代はブルックリン・ドジャースジャッキー・ロビンソンら黒人選手の活躍でファンになり、その後野球を志した。

大学時代

その後、実家にほど近いマールージュ高校を卒業後、バトンルージュサザン大学に進学するが、自身の成績が低いためにスカラシップが取れず、野球推薦で入学した逸話がある。

進学後、最初の年度は打率.189という成績だったが、翌年は改善して打率.500を記録して注目され、1959年の大学全米代表メンバーの1人に選出される。これで自信をつけたブロックはメジャーリーグへの入団を決め、セントルイス・カージナルスのトライアウトに挑戦するが、当時のカージナルスのスカウトの勧めもあり、シカゴ・カブスのトライアウトに参加、そしてアマチュア・フリーエージェントとして1960年にカブスと契約する。

マイナーチーム~カブス時代(1960年 - 1964年)

Thumb
カブス時代のブロック(1964年)

カブスとの契約後、まずはマイナーチームで始動することになり、初年度の1961年セントクラウド・ロックスミネソタ州セントクラウド)にてプレーし、打率.361の高打率を記録する。

カブス陣営もブロックの高打率を聞いて昇格を決め、同年シーズン終盤に入った1961年9月10日にカブスに昇格してメジャーデビューを果たす。翌1962年からレギュラーとしてメジャーに定着し、同年はポロ・グラウンズでのニューヨーク・メッツ戦で歴代4人しかいないという中堅フィールドに叩き込む本塁打を放っている。

もっとも、主だったのはブロックの俊足であるが、当時のカブス陣営にはあまり注目されず、続く1963年のシーズンを通して打率.260[1]しか記録しなかったこともあり、1964年6月15日にジャック・スプリングポール・トスとともに、アーニー・ブロリーオダグ・クレメンス、そして1952年のMVPでゴールドグラブ賞8度のボビー・シャンツとのトレードセントルイス・カージナルスに移籍することとなった。

カージナルス時代(1964年 - 1979年)

移籍後、ブロックは左翼手にコンバートされ、好成績を挙げる。1964年シーズンは打率.348を記録することになり、同年カージナルスはリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズにも出場、相手となったニューヨーク・ヤンキースを破りワールドチャンピオンに輝き、自身もシーズンMVPの第10位にランクされた[2]

持ち前の俊足をさらに活かすようになり、1966年には74盗塁で初の盗塁王に輝く。その後1974年までの9年間のうち8度盗塁王に輝く[3]

1967年は開幕4試合で5本塁打を放ち、前半戦.328の好成績で同年のオールスターゲームに出場、その後スランプに、終盤までに立て直して同シーズンはキャリアハイの打率.299、206安打を記録した。その勢いでチームはリーグ優勝を果たし、同年のワールドシリーズにてボストン・レッドソックスを迎え撃ち、これを破って自身2度目のワールドシリーズ優勝を果たす。

1968年も最多三塁打を記録するなど好成績を収めて、3度目のワールドシリーズに出場、デトロイト・タイガースを迎え撃ちチームは第4戦までに3勝1敗と、あと1勝でワールドチャンピオンとなるところだった。その第5戦の5回、ブロックは二塁打で進塁し、後続のユリアン・ハビアーの安打で本塁に帰塁するところを、タイガースの左翼手のウィリー・ホートンの好返球でタッチアウトとなり、このプレーでタイガースに勢いを盛り返されてシリーズに敗れてしまう。そんな敗戦であったが、同年シーズンオフにブロックは日米野球でカージナルスの一員として来日、後楽園球場で本塁打を放っている。

1974年モーリー・ウィルスがもつシーズン104盗塁を破る、シーズン118盗塁という当時のMLB記録を樹立[4]1975年5月27日にはサイクル安打を達成するが、同年連続盗塁王の記録が途絶える。1977年にはタイ・カッブが持つ通算892盗塁を破る。

1979年8月13日に史上14人目の3000本安打を達成。この3000本安打は投手強襲の内野安打で、さながら俊足のブロックらしいといえる3000本安打達成だった。同年のシーズンを最後に現役を引退するが、最後のシーズンで打率.304を記録している。この年のオフには、日本ハムファイターズへの入団も噂されたが、実現しなかった[5]

Thumb
ブロックのカージナルス在籍時の背番号「20」。
セントルイス・カージナルスの永久欠番1979年指定。

その引退とともにブロックの背番号20』はカージナルスの永久欠番に指定された。通算938盗塁の記録は引退後、1983年に日本の福本豊1991年リッキー・ヘンダーソンに抜かれるまで世界記録だった。

引退後

Thumb
カージナルス特別アドバイザーとして現場に立つ(2005年のスプリング・トレーニングにて)

引退後はセントルイスを中心に生花店を経営するほか、解説者活動や古巣カージナルスの特別アドバイザーを務める。1985年、資格取得1年目で野球殿堂入り[6]

2015年11月11日、糖尿病の悪化に伴い、左脚の一部を切断する手術を受けたことが報じられた。

2020年9月6日、死去したことが地元紙セントルイス・ポスト・ディスパッチによって報じられた[7]81歳没

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1961 CHC 412111100010000010030.091.167.091.258
1962 12347743473114247917935167053543965.263.319.412.731
1963 14858854779141191192093724122431241222.258.300.382.682
1964 5223121530549227314103101302403.251.300.340.640
STL 10346441981146219122214433151242702872.348.387.527.915
'64計 15569563411120030111429458431813440041275.315.358.464.821
1965 15569763110718235816281696327110456101162.288.345.445.791
1966 156678643941832412152764674180131631347.285.320.429.749
1967 1597246891132063212213257652182324661096.299.327.472.799
1968 15971266092184461462765162121246731244.279.328.418.746
1969 1577106559719533101228447531421501521152.298.349.434.782
1970 1557296641142022951328057511513601219910.304.361.422.783
1971 15772164012620037772726164191276511075.313.385.425.810
1972 1536766218119326832444263183347121936.311.359.393.752
1973 160727650110193298725963702015711501129.297.364.398.762
1974 153702635105194257324248118332161162888.306.368.381.749
1975 136574528781632763211475616303863647.309.359.400.758
1976 1335444987315024541966756194635717519.301.344.394.738
1977 141521489691332262173463524003022746.272.317.354.670
1978 9231729831669007512175111720294.221.263.252.514
1979 120436405561231545161382112052313437.304.342.398.739
MLB:19年 261611240103321610302348614114942389009383074746761124491730114.293.343.410.753
閉じる
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...


左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)




































1961 CHC -36020.750-
1962 -106233692.964-
1963 --1402661787.973
1964 -220001.0005185741.958
STL 981725110.94120000----471001.000
'64計 981725110.941420001.0005592841.962
1965 14926411120.95820000----8101011.000
1966 1222167131.945-3554160.902
1967 15727612132.957--
1968 1562699141.952--
1969 1572537142.949--
1970 1492379102.961-3100001.000
1971 1552647143.951-10000----
1972 1492506131.952--
1973 1593103121.963--
1974 1522778102.966--
1975 128253590.966--
1976 123220640.983--
1977 130185291.954--
1978 79112230.974--
1979 98152772.958--
MLB 2161371010616818.9581152416112.95724243227189.962
閉じる
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 盗塁王:8回(1966年 - 1969年、1971年 - 1974年)

表彰

記録

背番号

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.