1949年の野球(1949ねんのやきゅう)では、1949年の野球界における動向をまとめる。
日本プロ野球
ペナントレース
1リーグ制としては最後の年となった。翌年より、セ・パ2リーグ制となる。
4月
- 4月14日 - 読売ジャイアンツの三原脩監督が相手球団の選手を殴打する。この事件で、三原には無期限出場停止処分が下されたが、後に100日に軽減と言うケースに変更された。三原ポカリ事件も参照。
- 4月15日 - 正力コミッショナーによる、「大リーグを日本に招請」「東京に新球場」「二リーグ制への移行」の三大表明が行われる。
- 4月16日 - 大阪タイガースの金田正泰外野手が対南海ホークス戦を後楽園球場でサイクル安打を達成。
- 4月26日 - 阪神電気鉄道甲子園駅において、野球観戦の乗客が将棋倒しとなる事件が発生。死者1名、重傷11名。
- 4月26日 - 巨人対大映戦で、巨人先発の川崎徳次が日本プロ野球新記録の1試合被8本塁打を記録して13失点、川崎は打つ方でも投手初の3本塁打9打点を記録し、両チーム合わせて日本プロ野球新記録の13本塁打で、うち11本を川崎が打って打たれてという試合となり、最終的に15対13で巨人が勝利。川崎は自責点13で最多失点勝利投手の日本プロ野球新記録[6]。
10月
- 10月2日 - 大映対太陽戦で、3回までに大映が10対0でリードし、太陽は5回まで1安打に抑えられていたが、その後満塁本塁打が出るなど、同点で迎えた9回裏2死満塁から死球で10点差を逆転してのサヨナラ押し出し勝利。10点差逆転は日本プロ野球新記録。
- 10月9日 - この日、阪急が負けたため、巨人が6年ぶり戦後初の優勝をする。
- 10月15日 - サンフランシスコ・シールズが来日し、この日の対巨人戦(後楽園)を始め日本のプロ野球チームと戦後初の日米野球親善試合を行う。またこの試合を、大阪で開催中の大相撲秋場所をこの日から休場した横綱前田山が帰京して観戦したことが問題となり、前田山はその後引退に追い込まれる(シールズ事件)。
- 10月30日 - 東京六大学選抜チームとサンフランシスコ・シールズが対戦(後楽園)。4-2でシールズ勝利。
南海ホークス 編『南海ホークス四十年史』南海ホークス、1978年、60頁。
加藤迪男 編『スポーツ366日話題事典 今日は何の日? 世界新記録の日!』日本地域社会研究所〈コミュニティ・ブックス〉、2011年、146頁。ISBN 9784890229505。