1949年の野球

ウィキペディアから

1949年の野球(1949ねんのやきゅう)では、1949年野球界における動向をまとめる。

競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

1リーグ制としては最後の年となった。翌年より、セ・パ2リーグ制となる。

さらに見る 順位, 球団 ...
1949年日本野球連盟最終成績
順位球団勝率
優勝読売ジャイアンツ85481.639-
2位阪急ブレーブス69643.51916.0
3位大映スターズ67652.50817.5
4位南海ホークス67671.50018.5
5位中日ドラゴンズ66683.49319.5
6位大阪タイガース65693.48520.5
7位東急フライヤーズ64731.46723.0
8位大陽ロビンス52810.39133.0
閉じる

個人タイトル

さらに見る タイトル, 選手 ...
タイトル選手球団成績
最優秀選手藤村富美男大阪 
首位打者小鶴誠大映.361
本塁打王藤村富美男大阪46本
打点王藤村富美男大阪142点
最多安打藤村富美男大阪187本
盗塁王木塚忠助南海59個
最優秀防御率藤本英雄巨人1.94
最多勝利V.スタルヒン大映27勝
最多奪三振武末悉昌南海183個
最高勝率藤本英雄巨人.774
閉じる

ベストナイン

さらに見る 守備位置, 選手 ...
守備位置選手球団
投手 藤本英雄巨人
捕手 土井垣武大阪
一塁手 川上哲治巨人
二塁手 千葉茂巨人
三塁手 藤村富美男大阪
遊撃手 木塚忠助南海
外野手 小鶴誠大映
別当薫大阪
大下弘東急
閉じる

社会人野球

東京六大学野球

高校野球

メジャーリーグ

できごと

1月

3月

4月

  • 4月14日 - 読売ジャイアンツ三原脩監督が相手球団の選手を殴打する。この事件で、三原には無期限出場停止処分が下されたが、後に100日に軽減と言うケースに変更された。三原ポカリ事件も参照。
  • 4月15日 - 正力コミッショナーによる、「大リーグを日本に招請」「東京に新球場」「二リーグ制への移行」の三大表明が行われる[4]
  • 4月16日 - 大阪タイガース金田正泰外野手が対南海ホークス戦を後楽園球場サイクル安打を達成。
  • 4月26日 - 阪神電気鉄道甲子園駅において、野球観戦の乗客が将棋倒しとなる事件が発生。死者1名、重傷11名[5]
  • 4月26日 - 巨人対大映戦で、巨人先発の川崎徳次が日本プロ野球新記録の1試合被8本塁打を記録して13失点、川崎は打つ方でも投手初の3本塁打9打点を記録し、両チーム合わせて日本プロ野球新記録の13本塁打で、うち11本を川崎が打って打たれてという試合となり、最終的に15対13で巨人が勝利。川崎は自責点13で最多失点勝利投手の日本プロ野球新記録[6]

6月

7月

9月

10月

  • 10月2日 - 大映対太陽戦で、3回までに大映が10対0でリードし、太陽は5回まで1安打に抑えられていたが、その後満塁本塁打が出るなど、同点で迎えた9回裏2死満塁から死球で10点差を逆転してのサヨナラ押し出し勝利。10点差逆転は日本プロ野球新記録[9]
  • 10月9日 - この日、阪急が負けたため、巨人が6年ぶり戦後初の優勝をする。
  • 10月15日 - サンフランシスコ・シールズが来日し、この日の対巨人戦(後楽園)を始め日本のプロ野球チームと戦後初の日米野球親善試合を行う。またこの試合を、大阪で開催中の大相撲秋場所をこの日から休場した横綱前田山が帰京して観戦したことが問題となり、前田山はその後引退に追い込まれる(シールズ事件)。
  • 10月30日 - 東京六大学選抜チームとサンフランシスコ・シールズが対戦(後楽園)。4-2でシールズ勝利。

11月

12月

誕生

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

死去

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.