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札幌市の副都心 ウィキペディアから
新札幌副都心は、1975年(昭和50年)から札幌市の「副都心計画」に基づいて開発した街である[1]。札幌の副都心から「新札幌」と呼ばれているが、この名称は1973年(昭和48年)開業の日本国有鉄道(現在の北海道旅客鉄道)新札幌駅の駅名で初めて使用したことに由来している[1]。駅周辺には公共施設、商業施設、宿泊施設、業務施設、医療機関などが集積している。交通機関については新札幌駅のほかに札幌市営地下鉄新さっぽろ駅や新札幌バスターミナル、タクシー乗り場を併設しており、国道12号や南郷通、国道274号(札幌新道)や道央自動車道大谷地IC・札幌南ICなどの幹線道路によって札幌市中心部、近隣の江別市や北広島市、北海道内各地へアクセスすることができる交通結節点になっている。
新札幌副都心周辺の土地は、1944年(昭和19年)に白石に開設した旧北海道陸軍兵器補給廠の附属弾薬庫(厚別弾薬庫)であり、当時は林のくぼ地であった場所に4,000トンもの弾薬を保管していた[2]。戦後はアメリカ軍に接収された後、陸上自衛隊が引き継いだが[2]、1966年(昭和41年)に札幌市が土地を取得した[3]。札幌市は高度経済成長に伴う大都市への人口集中による急激な人口増加が続いており、都心部では商業業務機能が過度に集中することによる大気汚染や渋滞などの都市型公害が発生していたほか、市街地周辺部では住宅地の急激な拡大に対応する整備が追いつかないなどの課題が生じていた[1]。当初は「ひばりが丘団地」に続く団地を造成する予定であったが[3]、日本国有鉄道(国鉄)千歳線のルート変更によって現在のルートに鉄道が通ることが決まったため、駅前商業地の開発を行うことになった[3]。1971年(昭和46年)策定の「札幌市長期総合計画」において「『多核分散型の都市形態』を計画的に誘導して行う」基本方針を打ち出し、新札幌駅周辺を「副都心」として位置づけた[1]。1972年(昭和47年)策定の「厚別副都心開発基本計画」では、1.質の高い都市サービスの提供、2.公共的空間の創出、3.都市ビジネス機能の分担、4.交通ネットワークの整備、5.公害・災害のない街づくり、の5つを開発の基本方針とした[1]。中心となる商業業務施設の建設は第三セクターによって開発を進めることが望ましいとされ、1974年(昭和49年)に「札幌副都心開発公社」を設立した[1]。
1977年(昭和52年)に「サンピアザショッピングセンター」がオープンし、1980年代には体育館、科学館、百貨店、水族館などがオープンした[3]。1990年(平成2年)に「札幌社会保険総合病院」(現在の地域医療機能推進機構札幌北辰病院)が移転新築し、新札幌駅の駅舎北側に駅ビル(デュオ1)がオープンし、バスターミナル、タクシー乗り場、ホテルを併設した[3]。1992年(平成4年)には駅舎南側のビル(デュオ2)がオープンして全面開業となった[3]。その後も1997年度(平成9年度)に「厚別副都心地区土地利用転換計画」、1998年度(平成10年度)には「厚別副都心基盤整備計画」を策定し、駅周辺にある公園や歩行者専用道路、厚別青葉通の再整備などを行ったほか[4]、JR・地下鉄・バスターミナルの乗り継ぎ動線を確保するためのバリアフリー事業などを展開しながら、副都心のまちづくりを推進してきた[4]。 2015年(平成27年)策定の「新さっぽろ駅周辺まちづくり計画」に基づき[5]、市営住宅の建て替えや集約化によって発生する余剰地を再開発し、大学や医療機関、商業施設やホテルを含む新たなまちづくりが進められ[6][7]、対象エリアはマールク新さっぽろと名付けられた[8]。
業務施設・病院
住宅地
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