Loading AI tools
ウィキペディアから
新外映配給株式会社(しんがいえいはいきゅう-、Shingaiei Haikyu Co., Ltd., 1952年4月 創立 - 1963年11月 倒産)は、かつて存在した日本の映画会社である。
前身は、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に設立されたフランス映画輸出組合日本事務所(SEF)[1]で、創立時には、のちに小説家となる大岡昇平が文芸部長に就任、字幕翻訳を手がける[2]。1950年(昭和25年)には新外映を名乗り、1951年(昭和26年)にはフランス映画を中心とした輸入業務を開始し、東宝との配給提携によって、ジャン・コクトー監督の『オルフェ』等を日本に紹介し始める[3]。1948年5月に退社した大岡の後任の文芸部長には画家の末松正樹が就任している[2]。
独自に輸入配給を始めた東和映画に対抗して配給業務を強化するため、1952年(昭和27年)4月、社名に「配給」を加えて新外映配給株式会社となる[4]。代表取締役社長に鈴木崧、営業部長に鈴木一誠、宣伝部長に池谷公男という体制で始まった[5]。ニッポンシネマコーポレーション(NCC)、スターフィルム、泰西映画、映配、ブレイクストン、イタリフィルム、新東宝、英国映画協会(BCFC)と共同配給を多く行なう[3]。のちに映画評論家となる秦早穂子もSEF時代から在籍しており、パリ駐在時には『勝手にしやがれ』や『太陽がいっぱい』などの名作を買い付けた。ほかにもロベール・ブレッソン監督『抵抗』、ジャック・タチ監督主演『ぼくの伯父さん』など、フランス映画輸入の大手だった東和映画が手を出さなかった多くの名作を配給した点でも注目される。
1963年(昭和38年)、経営者が更迭され社長に片山武次が就任したが、同年11月、倒産し、吉岡庄蔵が社長に就任して富士映画株式会社と改称、清算業務を行っていたが、間もなくパールハウス映画代表の渡辺登が買収し、ヨーロッパ・フィルム株式会社となる[1][6]。同社の配給作品に関する記録は、1965年(昭和40年)6月22日に公開したフランツ・ペーター・ウィルト監督の西ドイツ映画『網』(ネット)以降は見当たらない[3]。
同社は、フランス映画を中心とした作品の本国でのオリジナルポスターを東京国立近代美術館フィルムセンターに寄贈していた(新外映コレクション)が、2010年(平成22年)、同センターが「戦後フランス映画ポスターの世界」として初めて公開した[1]。2009年(平成21年)10月29日には、大岡がSEF時代に手がけたジャン・コクトー監督の『美女と野獣』の日本語字幕の和文タイプ原稿が、上記のポスターとともに寄贈した同社コレクションのなかから発見されたことが報じられた[7]。
キネマ旬報映画データベースに見られる配給作品の一覧であり、日本での配給作品のみである[3]。日本公開順。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.