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北海道(十勝国)の郡 ウィキペディアから
広尾郡(ひろおぐん)は、北海道(十勝国)十勝総合振興局の郡。
人口11,193人、面積1,412.15km²、人口密度7.93人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の広尾町にあたる。
1906年(明治39年)に当縁郡の一部を編入した後の郡域は、上記2町から大樹町の一部(生花・晩成)を除き、中川郡幕別町の一部(忠類各町)を加えた区域にあたる。
江戸時代の広尾郡域は、松前藩によってトカチ場所が開かれていた。寛永12年にはアイボシマ付近の採金がはじまり、また十勝神社(後の広尾町に所在。十勝国一宮)の前身の戸賀知明神社(刀勝大明神)は寛文6年6月よりも前の創建である。藩政時代から明治時代初頭にかけての交通は、渡島国の箱館から千島国方面に至る道(国道336号の前身)が通じていたが、西端部に一部地形が険しい難所があったため、寛政10年幕吏近藤重蔵が私費を投じて蝦夷68名を雇い広尾郡の西隅にあたるビタタヌンケとルベシベツの間2里(7.9km)にルベシベツ山道を開削した。重蔵の従者下野源助が山道開削について記録し、蝦夷が碑文を彫った木が十勝神社に奉納されたが、この碑文は現在、広尾町タニイソトンネル北側坑口の海側に立つ碑に刻まれている。
江戸時代後期、広尾郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年広尾郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。安政6年の6藩分領の際に仙台藩領となり出張陣屋のひとつトカチ陣屋が築城されている。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して広尾郡が置かれた。
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代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 吉田直太郎[1] | 明治30年(1897年)7月 | 明治30年(1897年)11月5日 | 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く |
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