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日本の実業家 ウィキペディアから
平井 一夫(ひらい かずお、1960年〈昭和35年〉12月22日 - )は、日本の実業家。ソニーグループ株式会社シニアアドバイザー、一般社団法人プロジェクト希望代表理事。東京都杉並区出身[1]。学位は教養学士(国際基督教大学・1984年)。
1960年12月22日、銀行員の父親の長男として東京都杉並区で生まれる[2][3]。1967年に日本の小学校に入学するが、父親の海外赴任に伴い1学期終了後にアメリカ・ニューヨークに転居[3]。1971年、小学五年生のときに帰国[1][4]。1973年にカナダ・トロントに転居[1]。1975年に帰国し、東京都調布市のアメリカンスクール・イン・ジャパンに入学[1]。1977年にアメリカ・サンフランシスコのシリコンバレーに転居[1]。1978年に親戚宅に単身で帰国し、アメリカンスクール・イン・ジャパンに復学[3]。1979年に国際基督教大学教養学部社会科学科に入学[5]。大学時代は「国際法研究会」に参加した。
1984年に大学を卒業。CBS・ソニーに入社し、洋楽部門に配属される[4]。1994年にソニー・ミュージックエンタテインメントのニューヨークオフィスに出向。1995年、丸山茂雄に頼まれソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカ)にてPlayStationの北米発売業務に参加[4][6]。1996年にソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ・エグゼクティブ・バイス・プレジデントに就任、1999年に社長に就任。
2000年にソニー・ミュージックエンタテインメント(初代法人)からソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカに完全移籍[7]。その後、久夛良木健からの要請とハワード・ストリンガーからの後押しもあり、2006年にソニー・コンピュータエンタテインメント代表取締役社長に就任[7]。
2009年からはソニー(現・ソニーグループ)執行役 エグゼクティブ・バイス・プレジデントを兼任する形となり、ネットワークプロダクツ&サービスグループ担当としてソニーグループ全体のネットワーク商品事業を統括する。2011年に代表執行役副社長に就任、ネットワークプロダクツ&サービスグループ担当としてネットワーク関連を含め家電事業全般を統括する。2012年にはハワード・ストリンガーの後任として代表執行役社長兼CEOに就任した。
北米での居住歴が長かったため、流暢な英語を話す[4][6]。E3などの場では英語でプレゼンテーションしていたソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカ)在籍時の印象を強く持たれていたことから、記者に「日本語も話せるんですね」と言われ苦笑した事があったという[6]。
幼少期から海外と日本を往復する生活をしており、その反動からか「日本の大学に行き、日本の会社に行き、日本人として歩みたい」との思いを抱いていており、高校1年生のときに国際基督教大学 (ICU) への進学を決意[8]。高校3年生のときに日本の親戚宅に単身で帰国し、アメリカンスクール・イン・ジャパンへの復学を経て国際基督教大学に進学した[3]。
ジョン・カビラとはアメリカンスクール・イン・ジャパン時代からの友人。年齢はカビラが2つ上だが、音楽という共通の趣味で自然と一緒に行動していた。大学も新卒ではじめて入社した会社(CBS・ソニー)も同じである[9]。
久夛良木健が「PS3はゲーム機ではない」と述べたのに対し[10]、平井はゲーム機だと明言[11]。後に「ノンゲームにも注力する」としている。また、久夛良木が世界各地の支社に自ら指示していたのに対し、平井は各自の独立性を高める方向性を打ち出している[12]。
ハワード・ストリンガーは、平井のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE; 現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE))CEO就任時に「北米での経験と手腕を活かし、SCEをさらに発展させ、新たな次元へと導くと確信する」と述べた。副社長昇格時から次期社長の最有力候補の一人と目され[13]、2011年4月のPlayStation Network個人情報流出事件の影響が指摘されたものの[14]、2012年4月1日より代表執行役社長兼CEOに就任した。
世界各国では「Kaz」の通称がある[15]。PlayStationの父と呼ばれる久夛良木健の後任だけに、比較されることが多い[要出典]。ゲームをするのは1週間に4, 5時間である[16]。
また、日本国内では「リッジ平井」の愛称がある。[17]これは、2006年に行われたE3でのPSP発表時に、同時発売であったリッジレーサーを実演しながら「リィーッジレーサー!」とシャウトしてアピールしたことによる。本人も認知しており、自著にて取り上げている。[18]
ソニービルの閉館イベント「It's a Sony展」では、中学生の時にスカイセンサーでBCLの受信に熱中していたことを明かした[19]。また自転車・カメラ・鉄道模型・ラジコンと多趣味で、カメラは自社製品「α」の他に、ニコンを愛用している。
2009年度の平井の執行役時代の役員報酬は1億5100万円[20]。社長就任後の2013年の役員報酬はフリンジ・ベネフィット含め2億0180万円、2014年の役員報酬は3億5920万円、フリンジ・ベネフィット他で1100万円であった[21]。
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