平井一夫

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平井一夫

平井 一夫(ひらい かずお、1960年昭和35年〉12月22日 - )は、日本実業家ソニーグループ株式会社シニアアドバイザー、一般社団法人プロジェクト希望代表理事東京都杉並区出身[1]学位教養学士国際基督教大学1984年)。

概要 ひらい かずお 平井 一夫, 生誕 ...
ひらい かずお

平井 一夫
Thumb
生誕 (1960-12-22) 1960年12月22日(64歳)
日本 東京都杉並区
国籍 日本
民族 日本人
出身校 国際基督教大学教養学部社会科学科
職業 実業家
活動期間 1984年 -
肩書き ソニーグループ株式会社シニアアドバイザー
任期 2019年 -
配偶者 既婚(1989年 - )
受賞 第66回テクノロジー&エンジニアリング・エミー賞特別功労賞(2015年
署名
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来歴

1960年12月22日銀行員父親の長男として東京都杉並区で生まれる[2][3]1967年日本小学校入学するが、父親の海外赴任に伴い1学期終了後にアメリカニューヨーク転居[3]1971年、小学五年生のときに帰国[1][4]1973年カナダトロントに転居[1]1975年に帰国し、東京都調布市アメリカンスクール・イン・ジャパンに入学[1]1977年にアメリカ・サンフランシスコシリコンバレーに転居[1]1978年に親戚宅に単身で帰国し、アメリカンスクール・イン・ジャパンに復学[3]1979年国際基督教大学教養学部社会科学科に入学[5]。大学時代は「国際法研究会」に参加した。

1984年に大学を卒業。CBS・ソニーに入社し、洋楽部門に配属される[4]1994年ソニー・ミュージックエンタテインメントニューヨークオフィス出向1995年丸山茂雄に頼まれソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカ)にてPlayStation北米発売業務に参加[4][6]1996年にソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ・エグゼクティブ・バイス・プレジデントに就任、1999年社長に就任。

2000年ソニー・ミュージックエンタテインメント(初代法人)からソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカに完全移籍[7]。その後、久夛良木健からの要請とハワード・ストリンガーからの後押しもあり、2006年にソニー・コンピュータエンタテインメント代表取締役社長に就任[7]

2009年からはソニー(現・ソニーグループ執行役 エグゼクティブ・バイス・プレジデントを兼任する形となり、ネットワークプロダクツ&サービスグループ担当としてソニーグループ全体のネットワーク商品事業を統括する。2011年代表執行役副社長に就任、ネットワークプロダクツ&サービス英語版グループ担当としてネットワーク関連を含め家電事業全般を統括する。2012年にはハワード・ストリンガーの後任として代表執行役社長兼CEOに就任した。

2018年に代表執行役社長兼CEOを退任し、会長に就任。2019年に会長を退任し、シニアアドバイザーとなる。

2021年に、一般社団法人プロジェクト希望を設立し、代表理事に就任。

人物

要約
視点

北米での居住歴が長かったため、流暢な英語を話す[4][6]E3などの場では英語プレゼンテーションしていたソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカ)在籍時の印象を強く持たれていたことから、記者に「日本語も話せるんですね」と言われ苦笑した事があったという[6]

幼少期から海外日本を往復する生活をしており、その反動からか「日本の大学に行き、日本の会社に行き、日本人として歩みたい」との思いを抱いていており、高校1年生のときに国際基督教大学 (ICU) への進学を決意[8]。高校3年生のときに日本の親戚宅に単身で帰国し、アメリカンスクール・イン・ジャパンへの復学を経て国際基督教大学に進学した[3]

ジョン・カビラとはアメリカンスクール・イン・ジャパン時代からの友人。年齢はカビラが2つ上だが、音楽という共通の趣味で自然と一緒に行動していた。大学も新卒ではじめて入社した会社(CBS・ソニー)も同じである[9]

久夛良木健が「PS3ゲーム機ではない」と述べたのに対し[10]、平井はゲーム機だと明言[11]。後に「ノンゲームにも注力する」としている。また、久夛良木が世界各地の支社に自ら指示していたのに対し、平井は各自の独立性を高める方向性を打ち出している[12]

ハワード・ストリンガーは、平井のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE; 現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE))CEO就任時に「北米での経験と手腕を活かし、SCEをさらに発展させ、新たな次元へと導くと確信する」と述べた。副社長昇格時から次期社長の最有力候補の一人と目され[13]2011年4月PlayStation Network個人情報流出事件の影響が指摘されたものの[14]2012年4月1日より代表執行役社長兼CEOに就任した。

世界各国では「Kaz」の通称がある[15]PlayStationの父と呼ばれる久夛良木健の後任だけに、比較されることが多い[要出典]ゲームをするのは1週間に4, 5時間である[16]

また、日本国内では「リッジ平井」の愛称がある。[17]これは、2006年に行われたE3でのPSP発表時に、同時発売であったリッジレーサーを実演しながら「リィーッジレーサー!」とシャウトしてアピールしたことによる。本人も認知しており、自著にて取り上げている。[18]

ソニービルの閉館イベント「It's a Sony展」では、中学生の時にスカイセンサーBCL受信に熱中していたことを明かした[19]。また自転車カメラ鉄道模型ラジコンと多趣味で、カメラは自社製品「α」の他に、ニコン愛用している。

2009年度の平井の執行役時代の役員報酬は1億5100万円[20]。社長就任後の2013年の役員報酬はフリンジ・ベネフィット含め2億0180万円、2014年の役員報酬は3億5920万円、フリンジ・ベネフィット他で1100万円であった[21]

履歴

学歴・職歴

  • 1979年(昭和54年) - アメリカンスクール・イン・ジャパン卒業。
  • 1984年(昭和59年)3月 - 国際基督教大学教養学部社会科学科卒業[5]
  • 1984年(昭和59年)4月 - 株式会社シービーエス・ソニー入社[22]
  • 1994年(平成6年) - ソニー・ミュージックエンタテインメント・インク出向 ニューヨークオフィス所属[3]
  • 1995年(平成7年)8月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ・インク(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカLLC)出向[5]
  • 1996年(平成8年)7月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ・インク(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカLLC)エグゼクティブ・バイス・プレジデント兼COO[22]
  • 1997年(平成9年)10月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント執行役員[23]
  • 1999年(平成11年)4月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ・インク(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカLLC)社長兼COO[22]
  • 2003年(平成15年)4月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)コーポレート・エグゼクティブ兼COO[24]
  • 2003年(平成15年)8月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ・インク(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカLLC)社長兼CEO[22]
  • 2004年(平成16年)4月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)コーポレート・エグゼクティブ[25]
  • 2006年(平成18年)7月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)コーポレート・エグゼクティブ グループEVP[26]
  • 2006年(平成18年)12月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)グループ・エグゼクティブ[27]
  • 2006年(平成18年)12月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)代表取締役社長兼グループCOO[28]
  • 2006年(平成18年)12月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ・インク(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメントアメリカLLC)会長[22]
  • 2007年(平成19年)6月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)代表取締役社長兼グループCEO[29]
  • 2007年(平成19年)6月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)グループ役員[30]
  • 2007年(平成19年)7月 - 社団法人日本経済団体連合会(現・一般社団法人日本経済団体連合会理事
  • 2008年(平成20年)3月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)代表取締役社長兼グループCEO兼SCEワールドワイド・スタジオプレジデント[31]
  • 2008年(平成20年)5月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)代表取締役社長兼グループCEO[32]
  • 2009年(平成21年)4月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)執行役 エグゼクティブ・バイス・プレジデント ネットワークプロダクツ&サービス英語版グループ担当[33]
  • 2009年(平成21年)5月 - ソニーマーケティング株式会社非常勤取締役[34]
  • 2011年(平成23年)4月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)代表執行役副社長 コンスーマープロダクツ&サービス英語版グループ担当[35]
  • 2011年(平成23年)9月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)代表取締役会長[36]
  • 2012年(平成24年)4月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)代表執行役社長兼CEO[37]
  • 2012年(平成24年)6月 - 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)非常勤取締役[38]
  • 2012年(平成24年)6月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)取締役兼代表執行役社長兼CEO[39]
  • 2013年(平成25年)5月 - 一般社団法人次世代放送推進フォーラム設立 副理事長[40][41]
  • 2013年(平成25年)5月 - 一般社団法人電子情報技術産業協会副会長。
  • 2014年(平成26年)6月 - 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント非常勤取締役[42]
  • 2014年(平成26年)11月 - 総務省 2020年に向けた社会全体のICT化推進に関する懇談会構成員[43][44]
  • 2015年(平成27年)1月 - ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社(現・ソニー株式会社)非常勤取締役[45]
  • 2016年(平成28年)4月 - ソニー・インタラクティブエンタテインメントLLC設立 非常勤取締役[46]
  • 2016年(平成28年)6月 - 一般社団法人日本経済団体連合会 南アジア地域委員会委員長
  • 2018年(平成30年)4月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)取締役会長[47]
  • 2019年(令和元年)6月 - ソニー株式会社(現・ソニーグループ株式会社)シニアアドバイザー(現任)[48]
  • 2021年(令和3年)4月 - 一般社団法人プロジェクト希望設立 代表理事(現任)[49]

受賞・栄誉

現職

出演

テレビ

著作

  • ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」日本経済新聞出版、2021年7月14日。ISBN 9784532324124https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/item-detail/32412

脚注

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