頌栄女子学院中学校・高等学校
東京都港区にある中高一貫校 ウィキペディアから
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頌栄女子学院中学校・高等学校(しょうえいじょしがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Shoei Girls' Junior and Senior High School)は、東京都港区白金台二丁目にあるキリスト教系の私立の女子中学校・高等学校(中高一貫制)。
岡見清致(1855年生)は九州中津藩士・岡見清通の子で、一家は明治維新後は東京大崎に住み、品川、芝方面に広く土地をもつ地主として貸地貸家業を営んだ[3][4]。清致は江戸・築地で生まれ、家業を継いだ[5][3]。叔父に福澤諭吉を引き立てた岡見清熙(彦三)がおり、清致は福澤の影響で英学を学ぶとともに、幕末の儒学者林靏梁にも師事した[5]。一族の岡見辰五郎が青物横町の自宅内にキリスト教の説教所を設け、品川教会を設立したことから[6]、清致も米国長老教会派遣宣教師オリバー・マクリーン・グリーンより受洗[5]。1878年に家塾「品台学舎」の設立を出願し、1884年に頌栄小学校として開校した[7]。
実弟に岡見京の夫である岡見千吉郎がいる。清致の妻に、田中不二麿子爵の妹の静子(1865年生)、奥平昌邁伯爵の娘の春(1878年生)らがいる[3]。岡見家は裕福な一族であり、清致の弟の千吉郎、義治とともに、千吉郎の妻京、清致の子の敬一(1879年生)、慎二(1883年生)も米国に私費留学した[8][9]。長男敬一は頌栄学園の校主・理事長となり、陸軍中将の坪井航三男爵の娘と結婚、二男の慎二は同校第四代校長を務め、台北高等商業学校校長武田英一の娘と結婚、三男・弟三は堤正義の娘と結婚、長女みゑは小室信夫の二男小室三吉に、二女きよは秤座守随商店の守随啓四郎に嫁いだ[3][10][11]。理事長、校長を務めた岡見如雪(1916-2011、立教大卒、元三井物産ほか)は敬一の長男、同岡見清明(1943年生、慶應大卒、元電通)は如雪の長男[12]。清致の姉すみ(寿海)の入婿に岡見正(頌栄小学校校長)、その娘育の夫に田口卯吉の長男田口文太、正の甥に米国で写真家となった松浦栄がいる。千吉郎の弟岡見彦蔵(1860年生)も頌栄女学校の教壇に立ち、1903年から1905年に校長を務めている[13]。
女優の菅井きんと高橋ひとみは同校の卒業生で先輩・後輩(年齢は母娘ほどの開きがある)に当たり、共演もしている。母校の話になった時、菅井が女学生時代に習った先生が、高橋が在学していた時も教鞭を執っていた事実が分かり、驚愕したという。当時の校則で芸能活動は一切禁止だったが、高橋は入学時から成績優秀だったそうでこのまま成績が落ちることなく優秀ならば退学せずに芸能活動を認めるとの許可が特例で出たそうで、卒業後は女優業を優先したかったために大学進学は諦めたが在学中は学業も継続して頑張り卒業まで校内で成績は上位だったとインタビューなどで語っている。
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