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君 健男(きみ たけお、1911年12月22日 - 1989年4月20日)は日本の医師、官僚、政治家。参議院議員(1期)、新潟県知事(公選第9-12代)。医学博士。
1911年(明治44年)12月22日、君修一郎の長男として新潟市に出生。新潟県立新潟中学校を経て官立新潟高等学校を卒業。1936年(昭和11年)3月、官立新潟医科大学(現新潟大学医学部)を卒業。同年11月、応召。
1940年(昭和15年)、栃尾町の栃尾郷立診療所組合(現新潟県厚生農業協同組合連合会栃尾郷病院)内科部長に就任。東京の日本光学病院内科主任を経て、再度応召。
1947年(昭和22年)に新潟県庁入庁し、1949年(昭和24年)に新潟県予防課長、1955年(昭和30年)に新潟県公衆衛生課長、1958年(昭和33年)に新潟県衛生部長を経て、1962年(昭和37年)に新潟県総務部長となる。
1965年(昭和40年)7月21日から新潟県副知事となり、1972年(昭和47年)11月17日に7年間務めた新潟県副知事を辞任。12月17日の第8回参議院議員通常選挙(1968年(昭和43年))の補欠選挙に新潟県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選(1期)。田中派に所属。1974年(昭和49年)、同年4月21日執行の新潟県知事選挙に立候補したため、告示日の3月27日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職)した。県知事選では松沢俊昭(社会党)、浦沢与三郎(共産党)を破って当選。5月1日に第49代新潟県知事(公選制で5人目)に就任した。
1978年(昭和53年)4月23日、任期満了に伴う県知事選挙で稲村稔夫を破り再選。1982年(昭和57年)4月25日、任期満了に伴う県知事選挙で坂上富男を破り3選。1985年(昭和60年)6月、新潟県庁舎が移転。1986年(昭和61年)4月20日、任期満了に伴う県知事選挙で諸里正典、今井敬弥、真貝秀二を破り4選。
1989年(平成元年)3月18日、新潟県立がんセンター新潟病院に入院。2日後の3月20日に医師からがんであることを告知される。4月8日、副知事金子清に辞意を伝え、事実上後継として金子を指名する。4月13日、入院先に金子を呼び正式に辞意を伝える。4月18日には田中角栄、自民党所属の国会議員計13人に、癌を告白する親書を送る。4月19日、臨時県議会が開かれ君は知事を辞職。君に対し感謝決議が採択される。
辞職の翌4月20日11時4分胃がんのため、死去した[1]。77歳没。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈(勲六等からの昇叙)、正七位から従三位に叙される[2]。7月2日に県民葬が執り行われた[3][4]。
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趣味はヴァイオリンで、夫人の芳子はピアニスト。1980年4月22日に新潟県民会館前で開催された新潟県警察音楽隊の第1回プロムナードコンサートで『アルルの女』を演奏する音楽隊の指揮者を務めたこともあった。
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