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金子 清(かねこ きよし、1932年6月7日 - )は、日本の政治家、自治官僚。第53代新潟県知事(1期)。東京佐川急便事件をめぐり知事を辞職。有罪判決を受けた。
東京都大田区生まれ。1957年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、自治省入省。1969年、広島県庁に赴任。以後、税務課長、企画部長などを歴任。
1978年、沖縄開発庁総務局企画課長。1979年8月、自治省税務局市町村税課長。1983年7月、自治省審議官。
1989年4月8日、君健男知事は胃がん発覚を理由として、金子に辞意を伝え、事実上後継として金子を指名した。同年4月19日、君は辞職。同年6月4日に行われた新潟県知事選挙に自民党の推薦を得て立候補。元参議院議員の志苫裕が社会党・社民連推薦で立候補し、長﨑明が共産党推薦で立候補したため野党票が分散。金子が初当選した[1]。 ※当日有権者数:1,805,196人 最終投票率:79.07%(前回比:7.86pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
金子清 | 56 | 無所属 | 新 | 658,086票 | 46.66% | (推薦)自由民主党 |
志苫裕 | 61 | 無所属 | 新 | 611,986票 | 43.40% | (推薦)社会党、社民連 |
長﨑明 | 65 | 無所属 | 新 | 140,161票 | 9.94% | (推薦)共産党 |
1992年、東京佐川急便の元代表取締役の渡辺広康から前回の知事選に際し2億円の供与を受けたことが発覚(東京佐川急便事件)[2]。同年9月9日、知事を辞職。政治資金規正法違反で在宅起訴され、東京地裁で禁錮1年・執行猶予3年の有罪判決を受けた(第1審で確定)
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