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日本の作家、評論家、文筆家、著述家 (1982-) ウィキペディアから
古谷 経衡(ふるや つねひら、1982年[1]〈昭和57年〉11月10日 - )は、日本の時事問題評論家、文筆家[2][3][4]。
古谷 経衡 (ふるや つねひら) | |
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ペンネーム | 太田 工兵 |
誕生 |
1982年11月10日(42歳) 日本 北海道札幌市 |
職業 | 評論家、文筆家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 立命館大学文学部史学科 |
主題 |
イデオロギー問題 政治問題 毒親問題 インターネット問題 アニメ評論 |
代表作 |
『若者は本当に右傾化しているのか』(2014年) 『左翼も右翼もウソばかり』(2015年) 『意識高い系の研究』(2017年) 『愛国商売』(2019年) 『毒親と絶縁する』(2020年) 『シニア右翼』(2023年) |
主な受賞歴 | 「愉しませてもらいました賞」(ビーケーワン怪談大賞) |
デビュー作 | 『フジテレビデモに行ってみた!』(2012年) |
公式サイト |
www |
一般社団法人令和政治社会問題研究所所長。株式会社オフィス・トゥー・ワン所属。血液型A型[5]、政治活動家。日本ペンクラブ正会員。千葉県松戸市在住。
北海道札幌市出身。北海道札幌手稲高等学校を経て、2001年(平成13年)、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)入学。学生時代は、原発問題と同和問題を研究しつつ、サブカルチャーを扱う企業にも身を置いた。2008年(平成20年)、同大学卒業。同大在籍時にビジュアルアーツ専門学校大阪(旧大阪写真学校)放送映画学科にダブルスクールしていたが中退[6]。大学は3回留年の末、7年がかりで卒業したが、これは両親の一方的な支配のもとで、強制された進路をいやいやながらに完結させた結果であると述べている[7]。
1998年(平成10年)、高校1年生の時にパニック障害を発症。発症時は両親(特に父親)の無理解と偏見から健康保険証を借りられず、保険証を持たないまま、近所の精神科を受診した。病院を転々とするが寛解せず、最終的に貝谷久宣の診断・加療ののち、薬物療法により精神障害の病状は完全にコントロール下に入り、安定期を迎えて現在に至る[8]。現在も通院・治療中であり、千葉県の精神障害者保健福祉手帳3級を所持していることを、2014年(平成26年)の自著『若者は本当に右傾化しているのか』で公表している[9]。
大学生時代から在籍していた企業で、引き続き勤務した後に退職し、2010年(平成22年)に千葉県を拠点に起業。インターネットと保守、マスコミ問題、アニメ評論などのテーマで執筆活動を行う[10]。
また、自身で運営するアニメ批評ブログ「アニオタ保守本流」を主催し、太田工兵のペンネームで怪談創作ブログ「工兵小隊司令部」を運営していた[11]。『WiLL』、『新潮45』、『Voice』、『撃論ムック』、『歴史通』、『正論』などに寄稿[12]。2012年(平成24年)6月から2013年(平成25年)6月まで、オピニオン情報誌『ジャパニズム』(青林堂)編集長を務めた。
2014年(平成26年)11月から、特定非営利活動法人江東映像振興事業団の理事長を務めている[13]。2015年(平成27年)4月から2018年(平成30年)9月まで、TOKYO FMのニュース情報番組「TIME LINE」隔週火曜日レギュラーコメンテーターを務めた[14]。2017年(平成29年)4月から、一般社団法人日本ペンクラブの正会員になる[15]。2018年(平成30年)4月から、文化放送のニュース情報番組「斉藤一美 ニュースワイド SAKIDORI」水曜日レギュラーコメンテーター[16]。2018年(平成30年)9月~2019年(平成31年)3月まで、テレビ朝日のニュース情報番組「ワイドスクランブル」隔週木曜日のレギュラーコメンテーターを務めた。2021年(令和3年)5月から、茨城放送のニュース情報番組「ダイバーシティニュース」木曜日レギュラーコメンテーター。2022年7月、「令和政治社会問題研究所」を立ち上げる(21日に一般社団法人認可)。
2022年12月8日、れいわ新選組の代表選に立候補を届け出た。同党は所属国会議員1名の推薦があれば代表選に立候補できるとしており、古谷は舩後靖彦参議院議員からの推薦を受けた[17]。12月18日の投開票の結果、現代表の山本太郎に敗れ落選[18]。2023年(令和5年)7月から、文化放送のバラエティ情報番組「大竹まこと ゴールデンラジオ!」月曜日レギュラーコメンテーター。
小学校時代から、架空戦記の影響を受け軍国少年であった、とする[20]。更に高校生の頃に小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』に触れ、保守思想に傾倒していた時期がある[21]。
一方、ネット右翼と呼ばれる層に対するスタンスには変化がある[22]。古谷自身は、自分がかつてはネット右翼と呼ばれる層に対して共感し、同じ目線に立って擁護する側というスタンスを取っていたものの(2018年頃まで。#著書参照)、その後彼らの「思考的狭隘性、偏向性」に失望し、距離を置いて観察する立場へと転向したとしている[22]。その後はネット右翼の言説を「保守論壇に寄生する烏合の人々」などとして批判する立場を取るようになり[22][23]、その宿主と位置づける旧来の保守論陣についても、当初は冷笑していたはずのネット右翼に迎合するようになって取り込まれてしまったとし[24]、自分以外の真の保守は絶滅危惧種となってしまったとして[24]批判的な立ち位置を取るようになる。
「改憲派」「外交タカ派」に分類されると自称しており、排外主義的傾向や人種差別には反対の姿勢を貫くとしている[25]。また、「歴史から遊離し、劣悪なプロパガンダを叫ぶ人々は、単なる低劣なノイズである。歴史に盲目な人間から発せられる言葉ほど信用できないものはない」と述べており[26]、在特会などの行動する保守に対して批判的態度を貫いている。
、従軍慰安婦に対して、「単なる高給に釣られた公認娼婦であり、強制連行などされていない」と主張していたが[27]、現在は、「従軍慰安婦は断じて自由意思で来たのではない」と主張している[28]。
反米思想の持ち主であり、沖縄の在日米軍の早急な全面撤退を強く訴えており[29]、在日米軍を擁護する既存の親米保守やネット右翼は真の保守ではないと主張している[30]。沖縄の米軍基地について複数の取材を行った経験から、翁長雄志を「真の愛国者、保守の政治家」と形容している[31]。
2016年アメリカ合衆国大統領選挙でドナルド・トランプが選出されたことを受けて、「トランプ政権誕生による”アメリカの庇護の終わり”は、元来保守派が夢想してきた対米自立、自主独立、憲法改正の機運を、たちまち高めることになるのは自明である。これは日本にとって大きなチャンスと捉えることができる。」として、自主独立の契機だとする論考を発表した[32]。
2017年(平成29年)、沖縄の基地問題で誤った事実を放送したとしてBPOから指摘された番組ニュース女子について、「お寒い番組制作に絶句」「”報道”を語ってはいけない番組」などと酷評した[33]。その後、2018年11月の自身のコラムで「『沖縄デマ』の発端はつい2、3年ほど前だが、当事者の存在しない『在日特権』デマですら、前掲の図表の通り、2002年から実に10年強も続いた。『沖縄デマ』の寿命は、それよりも相当長いかもしれない、と覚悟しなければならない」と危機感を露わにした[34]。
2018年(平成30年)9月、翁長雄志の死去に伴い行われた沖縄県知事選挙で玉城デニーが勝利した理由の一つとして「沖縄のネット右翼活動家や本土の沖縄デマが足を引っ張ったせい」と主張している[35]。
ネット右翼の定義を、保守界隈の著名人たちの理論や言説に寄生し、その受け売りをインターネットの言論空間で繰り返す烏合の人々であると位置づけており[22][23]、「韓国、中国、朝日新聞のいずれか1つにでも味方する者は反日である」という考えを持った人々である[23]、としている。また「インターネット上で右派的な発言をする人々」という従来の定義には異を唱えている[22]。この層の実態を、「大都市部に住む30歳代から40歳代の比較的富裕な中流層」、「所得水準や学歴においても、中流以上である」と一貫して主張しており[10][23]、「ネット右翼社会的底辺説・ネット右翼貧困説の嘘」を執筆、研究テーマとして取り組む。
2002年(平成14年)のFIFAワールドカップ頃からインターネット上に発生したとされるネット右翼を「インターネット保守(ネット保守)」と呼称し、とりわけこういった「ネット保守」の人口は、日本全国で250万人程度存在することを独自の推計で明らかにしている[36]。
若者が右傾化しているという風潮については、リベラリストの事実誤認に基づく嘘であると主張[37][38]。一方、それを「若者の正常化」と歓迎する保守派の論調についても「願望に過ぎない」としている[39]。
2014年東京都知事選挙で「20代の24%から支持を得た」とされた田母神俊雄候補の得票に対して、「20代の投票を考えれば、実際の同氏の得票は6%に過ぎない」とする推計を発表[39]。古市憲寿、佐波優子との紙上鼎談では、保守に存在するマッチョイズムが、若者が保守に入り込めない原因のひとつと分析[40]。
在日特権を許さない市民の会について、「在特会は保守派全体のイメージを毀損している」として、嫌悪感を示した[41]。
社会学者の古市憲寿と自著『欲望のすすめ』で行った巻末対談において「現在の保守は、保守というよりも国家社会主義者である」と述べ、古市もこれに同調した[42]。作家の曽野綾子が産経新聞紙上に掲載したコラムについて、「保守論壇は温室の中で育まれ、外部と競争していない」として、保守論壇の閉鎖的な体質を批判している[43]。2014年(平成26年)の衆議院議員選挙に立候補者を擁立した次世代の党について、「有権者がネット右翼的な、自民党よりも過激な右翼思想を拒否した」と批判的に分析した[44]。評論家宇野常寛との対談において「ネット右翼は保守ではない」と結論付けた[45]。このように、現在はネット右翼に対して極めて否定的な態度を示している(かつては自著『ネット右翼の逆襲』などでネット右翼をある程度肯定していた)。
大手ホテルチェーンアパが客室に南京大虐殺を否定する書籍を置いたことについて、その背景に「コミンテルン陰謀論」があると結論付け、これを陰謀史観であるとし、保守界隈全体を批判した[46]。古谷は、かって韓国とも親しかったはずの旧来の保守界は、ネット右翼に持ち上げられたことで有頂天になり、やがてネット右翼の嫌韓・ヘイトスピーチに迎合、同質化することで保守としての本質を見失い、消えてしまったとする[24]。一方で自分自身については「私はたとえ絶滅しようとも保守の本懐を曲げないで死にたい」[24]などと述べるなど、ネット右翼化してしまった保守界隈を批判する自分こそが本来の保守派であるという立場を取っている。ネット右翼によって「朝鮮飲み」という口元を隠して飲料を飲む仕草が「朝鮮半島由来の風習」として喧伝されていることに関しては「朝鮮半島にも存在しない」とデマであると否定しており「人類共通の普遍的な仕草」と特定の民族にのみ当てはまる仕草ではないとしている。この仕草を見せた人物を在日認定する行為を2018年11月の自身のコラムで「今日では完全に否定されているネット右翼的陰謀論の典型であり、まったく病的な妄想である」と切り捨てている[47]。
2010年(平成22年)8月14日放送のNHK『日本の、これから〜ともに語ろう日韓の未来〜』に一般参加で出演した際、1910年(明治43年)の韓国併合について「列強諸国が世界各地の小国を植民地化していく当時の流れの中では、日本が大韓帝国を併合したことはやむを得なかった」との趣旨の発言を行う。この発言に対し出演者の崔洋一や小倉紀蔵の間で議論が起こった[48]。
2010年(平成22年)11月12日より、チャンネル桜公式生放送番組「さくらじ」に共同パーソナリティとして出演[49]。2011年(平成23年)10月3日からは同名改変番組の共同パーソナリティを務めた。2014年(平成26年)5月9日に放送休止。休止の理由は古谷の疾病によるものとされている[50]。 また、「さくらじ」とは別に同局の番組「日本よ、今...「闘論!倒論!討論!」」などに不定期出演していたが、2014年(平成26年)5月を最後に同局への出演は確認されていない。チャンネル桜社長の水島総との仲違いがネット上で指摘されたことについては、否定している[51]。
2010年(平成22年)より、水島が幹事長を務める保守系団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の街頭宣伝活動等に参加し、演説を行う。2011年(平成23年)9月19日、頑張れ日本!全国行動委員会主催のフジテレビ抗議デモに参加。この時の体験を元に『フジテレビデモに行ってみた! 大手マスコミが一切報道できなかったネトデモの全記録』を2012年(平成24年)1月に出版し、ヒットした[52]。
2017年(平成29年)になって、古谷は著述家の菅野完との対談の中で、同局への出演を次のように振り返っている。
チャンネル桜に集まった人々と何年かつきあってみて、僕が彼らを過大評価してたと思い知らされました。渡部昇一さん(上智大学名誉教授)や長谷川三千子さん(埼玉大学名誉教授)をはじめ、名の通った論客が顔を揃えているから、まともな集団だと思ってたんですよ。でも実際にそこで仕事をしてみると、ファクトに基づいて議論するといった、メディアとして最低限の作法も身についていない。要するに「陰謀論」と「トンデモ」の巣窟なんです。偏差値61どころじゃない、言ってしまえば偏差値38だったんですよ。[53]
2012年(平成24年)9月25日、大韓民国に占拠されている島根県隠岐郡隠岐の島町の竹島に上陸したと発表した[54]。2012年(平成24年)現在、日本国の外務省は、日本国民が大韓民国の渡航手続に従い、竹島に上陸することを自粛するよう要請しているが[55]、これについて自著で批判を述べている[56]。またウェブ媒体にもこのときの体験を寄稿している[57]。
2016年(平成28年)、自身の公式Twitterにおいて、「タバコ一箱1,000円にしようというのは、いささか行き過ぎている」と主張しており、その背景について「喫煙者は悪なのだから何をしてもよい、という風潮が明らか」と持論を述べている[58]。
2018年(平成30年)、カンニング竹山との対談の中で、東京都の受動喫煙防止条例について「バカバカしい」「たばこだけをやり玉にあげるのが理解できない」「これ以上やらなくていい」と批判している。また、自身は非喫煙者を自称しているが、時折バーなどで喫煙するとも語っており「従業員のいる飲食店は禁煙とか、そこまで規制されちゃうとどうしよう」と述べている[59]。
その後も、近年の受動喫煙対策について「喫煙ヘイト」「禁煙ファシズム」などと表現した記事の執筆を繰り返している。その背景について、「喫煙と喫煙者と煙草は全部除去せねばならない悪であるという観念の元に奨められる」「ナチズムに通じる」などと持論を展開し、アドルフ・ヒトラーの行動になぞらえて酷評している[60][61]。
オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」において賛同人として掲載されていたが、自身のツイートにおいて名前の無断使用であると重要声明が出された。
小説の執筆も行っており、掌編「告訴状」がビーケーワン怪談大賞の「愉しませてもらいました賞」を受賞した[62]。2018年(平成30年)5月には、自身初の長編小説『愛国奴』を刊行した。
2017年(平成29年)、太平洋戦争に関する近年の右派やいわゆる保守が説く日本はいいことをやったという「アジア解放」論について、「歴史的事実を遮蔽し、都合の悪い事実を黙殺し、良い部分のみを取得する歴史修正主義」であると結論づけ、「『アジア解放』のお寒い実態」として批判を行った[63]。
同年、舛添要一との対談の中で、近年の女性国会議員について、神話の世界や神道、『古事記』に傾倒する事例を示して「伝統的な反共右翼ではなく、『スピリチュアル右翼』だ」と指摘している[64]。
ここまで「古谷ツネヒラ」名義。
※そのほか月刊誌、論壇誌等への寄稿などの詳細は古谷経衡公式サイトを参照。
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