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岡崎市の町 ウィキペディアから
岡崎市のやや北西に位置する。主に住宅地を形成している。15個の番地と19個の小字を持つ。町内に井田町1丁目、井田町3丁目、井田町4丁目があるが、これらは丁目ではなく小字であり、正確には井田町字1丁目、井田町字3丁目、井田町字4丁目と表記される。
かつては町内を名鉄岡崎市内線が通り、岡崎井田駅が設置されていた。
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2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 6,703人 | [5] | |
2000年(平成12年) | 6,719人 | [6] | |
2005年(平成17年) | 6,702人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 6,628人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 6,649人 | [9] |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
額田郡井田村の一部を前身とする。古くから人が定住しており町内からは弥生時代の山王遺跡及び赤山遺跡が発掘されている[11]。
中世には、1493年松平氏4代松平親忠らによる井田野合戦が起きた。1506年には井田野の地で、松平氏5代松平長親らが、西三河に侵攻してきた今川氏親の軍と会戦し、破った。また松平氏に仕えた酒井氏により井田城が築かれ、徳川四天王の酒井忠次は1527年に井田城内で出生している。
江戸時代は岡崎藩領であった。
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