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日本の俳優 ウィキペディアから
中屋敷 哲也(なかやしき てつや、旧名:中屋敷 鉄也、1948年6月5日[1][2][3][4] - )は、日本の俳優、スタントマン、スーツアクター。本名:中屋敷 鉄男[2]。
昭和の歴代仮面ライダーを演じた実績から、「ミスター仮面ライダー」の異名を持つ。
幼少期より日活映画に憧れ、アクション俳優の道を志す[4]。17歳の時に家出同然で上京し、食品会社に勤務する一方で、劇団宝映に所属し東宝映画へエキストラとして出演する[3][4]。
1966年、18歳。殺陣師・嵐寛童の紹介で12月に大野剣友会に入会[3][4]。
1968年、20歳。『マイティジャック』(フジテレビ)でテレビデビュー[1]。
1969年、21歳。『柔道一直線』(TBS)で立ち回り出演[3]。
1970年、22歳。大野剣友会を一時退会。芸能界から離れ、チョコレート工場で夜勤のアルバイト生活をする。
1971年、23歳。秋ごろに剣友会に復帰、『仮面ライダー』(毎日放送)で戦闘員や怪人のスーツアクターを務める[4]。第46話で初めて、主役の「仮面ライダー」を演じた[5][3][4]。
以後、大野剣友会の担当する数多くの東映「変身ヒーロー」番組に出演し、長身で足の長い恵まれた体格もあって、そのほとんどで主役ヒーローのスーツアクターを担当した。
1972年、24歳。『超人バロム・1』(よみうりテレビ)で、主役の「バロム・1」を演じる[5]。同番組終了後、『仮面ライダー』に復帰、「仮面ライダー1号」を演じる[5]。
1973年、25歳。『仮面ライダーV3』(毎日放送)で、主役ヒーロー「仮面ライダーV3」を演じる[5]。
1974年、26歳。『仮面ライダーX』(毎日放送)で、主役ヒーロー「仮面ライダーX」を演じる[5]。Xの前期アクションは剣戟の要素が強く、これは中屋敷の得意とするものだった。
同年、映画『エスパイ』(東宝)に、中村文弥・新堀和男とともに暗殺者役で出演。
1975年、27歳。『仮面ライダーストロンガー』(毎日放送)で、主役ヒーロー「仮面ライダーストロンガー」を演じる[5]。
同年、『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)では「アオレンジャー」を担当。
1977年、29歳。『後楽園ゆうえんち』での大野剣友会オリジナル・ショー『レッドタイガーショー』で、主人公と二段変身後のレッドタイガーを演じる。
1978年、30歳。テレビ番組となった『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』東京12チャンネル)でレッドタイガーを演じる。
1979年、31歳。大野剣友会代表の大野幸太郎が会長に退き、岡田勝が代表に就任。中屋敷は新体制下の剣友会で盟友岡田を支えることとなる。
同年、『仮面ライダー (スカイライダー)』(毎日放送)で「スカイライダー」を演じる[5]。
1980年、32歳。『仮面ライダースーパー1』(毎日放送)で、「仮面ライダースーパー1」を演じる[5]。
1984年、36歳。『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』(毎日放送)ではスーパー1と敵役の「三影英介」を演じた。主演の仮面ライダーZXのスーツアクターの座は、城谷光俊に譲っている。
その後はフリーとなり、日光江戸村や舞台を中心に活動している[4]。テレビドラマへの客演も多い。剣友会時代は岡田勝と『凸凹コンビ』と呼ばれ、岡田とは現在も仕事を共にすることが多い。一時は元大野剣友会の瀬島達佳が主催する瀬嶋事務所にも所属していた[2][4]。
中学生時代から小林旭や宍戸錠ら日活のアクション俳優に憧れていた[3]。遊びで自分で考えた芸名や友人の名を入れたポスターを描いていたことが俳優を志すきっかけになったという[3]。
初めて通年で演じた『仮面ライダーV3』について、自身では「ぎこちなく、カシラ(高橋一俊)に言われたまま動いている」と述べているが、演出の危険度が増す中でメリハリのあるアクションを演じきったことが評価されている[6]。大野剣友会の岡田勝は、中屋敷が演じたV3について「自分と違いスマートで格好良かった」と評している[6]。
『仮面ライダーV3』第4話では、仮面ライダーV3の衣装を着けたまま、命綱なしで高さ50メートルを超える煙突の上に立って演技をしている[4][7][注釈 1]。
『仮面ライダーV3』の四国ロケ。この時の宴会の写真が宮内洋の著書『ヒーロー神髄』に掲載されており、中屋敷と宮内のツーショットが観られる。
『仮面ライダーX』では、棒術など自身が得意とする長モノを用いたアクションやライダーの頭部のデザインがすっきりとしたものであったことなどからやりやすかったと述べている[6]。
『仮面ライダーストロンガー』第13話の撮影では、車の故障でロケ現場に遅刻し、新堀和男が代役を務めた[5]。
『仮面ライダー (スカイライダー)』は、当初プロデューサーの平山亨が擬斗担当として大野剣友会にオファーしたものの、一度は大野会長が不安定な新体制状態であることと、映画『戦国自衛隊』への出演オファーがあったことを慮って断っていたが、平山や毎日放送側から「仮面ライダー(スカイライダー)役はぜひ中屋敷に」と、たってのオファーが来たことで、自身、相当悩んだが、その際に若手に仕事を与えるためにも「自分たち(大野剣友会)を使って下さい。それが出演の条件です」と申し出て依頼を受けた[4][6]。
中屋敷によれば、『V3』のころはまだ駆け出しで未熟だったが、次第にアクションがシャープでキレのあるものへ進化していったうえで、『スーパー1』は心身ともに一番脂の乗った時期にあり、最も円熟したアクションとして完成を迎え、「どういうふうに動けばいいか、確認フィルムを見なくてもわかった」と、後にスーパー1でのアクションを語っている[6]。
村枝賢一の漫画『仮面ライダーSPIRITS』第5巻でのインタビューには「「もし何人かに『仮面ライダー』(のアクション)で誰が一番良かったか?」って訊いたら、全員「スーパー1の中屋敷さん」って答えると思いますよ」と答えている[9]。
『スーパー1』後半のジンドグマ幹部「鬼火司令」役を当初演じる予定だったが、中屋敷はスーパー1のメイン担当だったので、同僚の河原崎洋夫が鬼火司令を演じることになった[1]。
大野剣友会創始者の大野幸太郎は、中屋敷を「努力の人」と評している[10]。
※太字はメインキャラクター。
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