エバン・ロンゴリア

アメリカの野球選手 (1985 - ) ウィキペディアから

エバン・ロンゴリア

エバン・マイケル・ロンゴリアEvan Michael Longoria, 1985年10月7日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ダウニー出身の元プロ野球選手三塁手)。右投右打。愛称は姓を略したロンゴLongo[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
エバン・ロンゴリア
Evan Longoria
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サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2018年5月7日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ダウニー
生年月日 (1985-10-07) 1985年10月7日(39歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2006年 MLBドラフト1巡目(全体3位)
初出場 2008年4月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
WBC 2009年
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経歴

要約
視点

プロ入り前

1985年10月7日にカリフォルニア州ダウニーで生まれる。子供のころ憧れていた選手はアレックス・ロドリゲスだった[2]。高校はセントジョン・ボスコ高等学校へ、大学はリオ・ホンドコミュニティーカレッジへ進学した。1年生の時に素質が開花し、2年生からはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ特待生として編入[3]トロイ・トゥロウィツキー遊撃手にいたため三塁手コンバートした[2]2005年にはMVPを獲得[4]

プロ入りとレイズ時代

タンパベイ・デビルレイズはロンゴリアをカール・クロフォードB.J.アップトンに次ぐ存在になると判断し[2]2006年MLBドラフト1巡目(全体3番目)で指名。

2007年は、2Aで105試合で打率.307、21本塁打の記録を残し、3Aのダラム・ブルズまで順調に昇格した。マイナーでは主に三塁手を務めており、ロンゴリアが期待通り成長したことにより、ポジションを空ける為に2007年までレイズの正三塁手だった岩村明憲がセカンドへコンバートされた[3]

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タンパベイ・レイズ時代
(2008年9月22日)

2008年開幕時はマイナーで迎えたものの4月12日にそれまで三塁手を務めていたウィリー・アイバーの故障に伴いメジャー初昇格を果たした。昇格した当日のボルチモア・オリオールズ戦で三塁手として先発出場し、メジャーデビュー。3打数1安打、1四球という内容だった。4月14日のニューヨーク・ヤンキース戦ではブライアン・ブルーニーからメジャー初本塁打を放った。レイズはその素質を高く評価し、4月18日に2013年までの6年総額1750万ドル、3年のオプションを含めると9年総額4400万ドル超で契約延長をした[5][6]オールスター選出選手の発表後、大リーグ公式サイト上で "32番目の男" を決める最終投票が開始され、ロンゴリアはジャーメイン・ダイを破り、オールスター初選出を果たした[7]。チームの5番打者に定着。死球による怪我で一時離脱したが、復帰後は4番を任され、レイズは球団初の地区優勝を果たした。シーズン終了後、アメリカンリーグの三塁手としては4人目の新人王を受賞した。満票での選出は1997年のノマー・ガルシアパーラ以来、MLB史上7人目となった[8]

2009年はシーズン開幕前に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表には当初落選していたが、負傷したチッパー・ジョーンズの代役として追加招集された。日本戦の8回表に代打で出場したが、空振り三振に終わった。

シーズンでは、4月のプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞し、その間に2度のプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞している[9]オールスターゲームの投票では、三塁手としてリーグ最多の票を集めての選出となったが[10]、右手薬指の感染症のため試合を欠場した[11]。157試合の出場で打率.281、33本塁打、113打点を記録した。オフにはゴールドグラブ賞シルバースラッガー賞を受賞した。

2010年は、シーズン前半が終了した時点で3割を超える打率と61打点を記録[12]。この活躍から、2年連続でヤンキースのアレックス・ロドリゲスに100万票以上の大差をつけ、オールスターゲームにファン投票で選出された[12]。シーズン通じては、9月に大腿四頭筋を痛めた影響から故障者リストに入ったが[12]、打率.294、22本塁打、104打点という成績を記録。本塁打は自己最低の数字に終わったが、安打・二塁打・三塁打・四球・盗塁・出塁率など、多くの部門で自己ベストの数字を叩き出した。また、チームリーダーとして6月27日に怠慢なプレイを見せた年上のB.J.アップトンに物申し、高い評価を得た[12]。3年目のこの年、初めて盗塁死を記録した。

2011年はBABIPが前年より1割近く低い.239だったこともあり、打率は自己最低の.244だった。しかし、四球率は過去最高、三振率は過去最低と打撃の内容自体は優れていた。シーズン最終戦のヤンキース戦ではサヨナラ本塁打を放ち、ボストン・レッドソックスを大逆転で交わしてのワイルドカード獲得を決めた。

2012年は前年同様、主砲として出場していたが、4月30日に二塁にスライディングした際に、右ハムストリングを壊し、全治6週間から8週間の重症をおい、60日間のDL入りとなった。その結果74試合の出場に留まった。しかし、球団はロンゴリアの存在を不可欠の物と捉え、11月26日に2017年シーズンから2022年まで6年総額1億ドルで契約を延長した[13]。オプションとして2023年シーズンの選択権を球団側が所持し、バイアウトの際には500万ドル支払われる。

2013年は復活し、自己最多の160試合に出場。打率.269、32本塁打(自身3度目の30本以上)、88打点、1盗塁という成績を残した。一方で自己ワーストとなる162三振(リーグワースト6位)を喫した。

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タンパベイ・レイズ時代
(2014年4月14日)

2014年は全162試合にフル出場した。打率.253、22本塁打、91打点(3年ぶりの90打点以上)、5盗塁という成績を記録したが、長打と四球が減少した事で長打率及び出塁率も低下。OPSが0.800に届かなかったのは、規定打席到達/未達にかかわらず、ロンゴリアにとって初めての事であった。オフの11月7日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[14]。同月11日の対阪神巨人連合戦では5回表に江柄子裕樹から満塁本塁打を記録した[15]

2015年9月2日のボルチモア・オリオールズ戦、通算200本塁打を達成した(同じ日にライアン・ジマーマンも同じ記録を達成)。最終的には3年連続160試合以上に出場したが、本塁打と打点は前年から更に低下し、それぞれ20本塁打と70打点をクリアするのがやっとだった。

2016年は160試合に出場し、BB/Kの値は自己最低ながらもキャリアハイとなる36本塁打を記録。二塁打も6年ぶりに40本をクリアした。2015年にかけて打撃成績が低下傾向にあり、主砲としての役割低下が懸念されていた[16]が、汚名返上した恰好となった。

2017年8月1日のアストロズ戦でB.J.アップトンに次いで球団史上2人目のサイクル安打を達成した[17]。オフにゴールドグラブ賞を7年ぶりに受賞した。

ジャイアンツ時代

2017年12月20日にデナード・スパンクリスチャン・アローヨスティーブン・ウッズマット・クルックとのトレードで、金銭1450万ドルとともにサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍した[18]。レイズと残り5年総額8697万ドルを残していたが、ジャイアンツ側が7150万ドル肩代わりすることで合意された。

2018年6月14日のマイアミ・マーリンズ戦でダン・ストレイリーから死球を受け、左の第5中手骨英語版を骨折[19]し、その後1ヶ月余り(34試合)を欠場した。この年は主に打順3番や5番として125試合に出場し、打率.244、16本塁打(チーム1位)、54打点(同2位タイ)、OPS.694と自身ワーストの成績に終わった。

2019年は129試合に出場し、打率.254、20本塁打、69打点だった。

2022年オフにチームオプションを破棄され、フリーエージェント(FA)となった[20]

ダイヤモンドバックス時代

2023年1月5日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと400万ドルの単年契約を結んだ[21][22]。 オフの11月3日にFAとなった[23]

2024年7月16日のインタビューで、正式に引退こそは表明しなかったものの、これから現役選手として続ける可能性は低い事を示唆した[24]

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
2008 TB 122508448671223122723885700846461228.272.343.531.874
2009 1576715841001644403330711390077211814027.281.364.526.889
2010 15166157496169465222911041550107212512415.294.372.507.879
2011 133574483781182613123999320580669311.244.355.495.850
2012 7431227339791401714455230333636114.289.369.527.896
2013 16069361491165393323068810067010316216.269.343.498.842
2014 16270062483158261222529150195711913315.253.320.404.724
2015 1606706047416335121263733109518613211.270.328.435.768
2016 1606856338117341436330980307426314413.273.318.521.840
2017 15667761371160362202608661012463610918.261.313.424.737
2018 SF 1255124805111725416198543105223510111.244.281.413.694
2019 1295084535911519220198693105431711214.254.325.437.762
2020 53209193264910178228010311023910.254.297.425.722
2021 812912534566170131224611023541689.261.351.482.833
2022 892982663165130141204200032722836.244.315.451.767
2023 ARI 7423721125479011892800032300738.223.295.422.717
MLB:16年 198682067306101719304312634234391159581919773087721696206.264.333.471.804
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  • 2023年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績

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2009[25] アメリカ合衆国 111000000000000010.000.000.000
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年度別守備成績

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三塁(3B)遊撃(SS)
























2008 TB 119862301226.963101001.000
2009 1511123021343.970-
2010 1511272761446.966-
2011 1301242291435.962-
2012 50378187.937-
2013 147962791127.972-
2014 1551212621327.967-
2015 148109259929.976-
2016 152103254930.975-
2017 142962671233.968-
2018 SF 123722131525.950-
2019 119692331527.953-
2020 52418429.984-
2021 7847139511.974-
2022 6840129611.966-
2023 ARI 41256024.977-
MLB 182613053297160390.966101001.000
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  • 2023年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年ゴールドグラブ賞受賞年

表彰

記録

背番号

  • 3(2008年 - 2017年)
  • 10(2018年 - 2023年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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