アルフレド・グリフィン

ドミニカ共和国の野球選手 (1957 - ) ウィキペディアから

アルフレド・グリフィン

アルフレド・クラウディーノ・バプティスト・グリフィン・リードAlfredo Claudino Baptist Griffin Read, 1957年10月6日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手遊撃手)、野球指導者。右投両打。

概要 基本情報, 国籍 ...
アルフレド・グリフィン
Alfredo Griffin
Thumb
エンゼルスでのコーチ時代
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1957-10-06) 1957年10月6日(67歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1973年 アマチュアFA
初出場 1976年9月4日
最終出場 1993年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
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経歴

要約
視点

1973年、アマチュア・フリーエージェントでクリーブランド・インディアンスに入団。

1976年9月4日のボストン・レッドソックス戦、代走として[1]MLB初出場を果たした。

1978年12月5日にビクター・クルーズとのトレードで、フィル・ランスフォードと共にトロント・ブルージェイズに移籍した。

1979年アメリカンリーグルーキー・オブ・ザ・イヤージョン・カスティーノ英語版と共に受賞した。

1980年に記録した三塁打15はアメリカンリーグ1位。1984年オールスターに選出された。

1984年12月8日にビル・コーディル英語版とのトレードで、デーブ・コリンズ英語版と共にオークランド・アスレチックスへ移籍した。

1985年にはゴールドグラブ賞を受賞した。

1987年12月11日に3球団が絡むトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。

1988年5月21日ニューヨーク・メッツ戦、5回裏の第二打席にドワイト・グッデンの速球を右手に受けて骨折[2]、約1か月欠場した。その年ドジャースは地区優勝を果たし、グリフィンはナ・リーグチャンピオンシップシリーズ、ワールドシリーズの全試合で先発出場[3]。チームはワールドシリーズでアスレチックスを破り、グリフィンは初めてワールドシリーズチャンピオンチームのメンバーとなった。

1992年、ブルージェイズに移籍。1992年、1993年と2年連続でワールドシリーズ制覇を果たす。1993年のワールドシリーズ第6戦、ジョン・オルルドの代走として登場し、その後三塁の守備についた[4]のが現役最後の出場であった。

対戦相手投手の完全試合に3度スターティングメンバーとして出場するという大リーグ史上最初の不運な選手となった。1回目はブルージェイズ時代の1981年5月15日のレン・バーカー(インディアンス)で、2回目と3回目はいずれもドジャース時代で、1988年9月16日のトム・ブラウニングシンシナティ・レッズ)と1991年7月28日のデニス・マルティネスモントリオール・エクスポズ)。ちなみに、この記録はなかなか「第2号」が現れなかったが、エバン・ロンゴリアカルロス・ペーニャB.J.アップトンベン・ゾブリストタンパベイ・レイズの4選手が2009年7月23日にマーク・バーリーシカゴ・ホワイトソックス)、2010年5月9日にダラス・ブレイデン(アスレチックス)、2012年8月15日にフェリックス・ヘルナンデスシアトル・マリナーズ)の3回完全試合の相手となり、加わることとなった。

引退後は、1996年からの2年間ブルージェイズで一塁ベースコーチを務めた後、2000年から2018年までアナハイム・エンゼルス及びロサンゼルス・エンゼルスの一塁ベースコーチを務める。母国ドミニカ共和国で行われるウィンターリーグリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナでもコーチを務める。

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCドミニカ共和国代表コーチを務めた。

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのドミニカ共和国代表コーチを務め、2大会連続でコーチを務めた。同大会で、ドミニカ共和国は優勝を果たしている。

2017年開幕前の3月に開催された第4回WBCドミニカ共和国代表コーチを務め、3大会連続でコーチを務めた。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1976 CLE 12440100010010000020.250.250.250.500
1977 1444415610073220030051.146.205.171.375
1978 5641210030000020010.500.667.7501.417
1979 TOR 153689624811792210222731211616440055910.287.333.364.697
1980 15569665363166261522284118231052424587.254.283.349.632
1981 1014143883081196011221812621711386.209.243.289.531
1982 162576539571302081169481081142200487.241.269.314.583
1983 162572528621322294184478111132703445.250.289.348.637
1984 1404414195310182412530113134401335.241.248.298.546
1985 OAK 16264661475166187220464249572010506.270.290.332.622
1986 1626495947416923642165133161263562525.285.323.364.687
1987 1445394946913023531726026131032824419.263.306.348.654
1988 LAD 9535431639638318027751112472303.199.259.253.513
1989 136547506491252720156291071112920575.247.287.308.596
1990 1415024613897113111735636429112655.210.258.254.512
1991 1093853502785620952754752251495.243.286.271.557
1992 TOR 63164150213570042103132900193.233.273.280.553
1993 461029515203002330040300133.211.235.242.477
MLB:18年 19627330678075916882457824216152719213413651338372566485.249.285.319.604
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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二塁(2B)三塁(3B)遊撃(SS)




































1976 CLE --61210.750
1977 --13173036.940
1978 --24715.917
1979 TOR --15327250136124.956
1980 --15529548937126.955
1981 111011.000443001.000971862753164.937
1982 --1623194792692.968
1983 579021.000-1572804132584.965
1984 21415137.968-1151892691865.962
1985 OAK --1622784403087.960
1986 --1622824212585.966
1987 153011.000-1372453862472.963
1988 LAD --931452641544.965
1989 --1312083331469.975
1990 --1392213822663.959
1991 --1091863492245.961
1992 TOR 16162844.917-4845108313.981
1993 11222316.978635001.00020343839.960
MLB 5592115821.9631078001.0001861320751863401053.961
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表彰

背番号

  • 16(1976年)
  • 8(1977年 - 1978年)
  • 4(1979年 - 1984年、1992年 - 1993年、1996年 - 1997年、2000年 - 2017年8月30日、2018年)
  • 3(1985年 - 1987年、2017年8月31日 - 同年終了)
  • 7(1988年 - 1991年)

コーチ歴

脚注

関連項目

外部リンク

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